被災地の復旧から復興、そして振興へ。東北のために旅行会社ができること

2016年03月25日 00時01分 JST | 更新 2016年03月25日 00時08分 JST
Kazuhiko Kuze

東日本大震災から5年が経った。

「まだ5年」、または「もう5年」。どちらを感じるかは人それぞれだろう。確実に言えることは、被災地が日々現実に向き合い、復興へ向けてひた走ってきたということだ。

これまで多くの人が、組織が、そして企業が復興のためにさまざまな形で被災地に手を差し伸べてきた。復旧のためのボランティアから地域振興へと、被災地のニーズに応じて復興の流れは変わりつつある。

そんな中、旅行会社のJTBは復旧のためのボランティアツアーから、震災の教訓を後世に伝えるための学習ツアー、そして地域の観光復活のためのツアーなど、被災地の方々に寄り添った活動を行ってきた。東北復興のために旅行会社が出来ることは何か。それは、被災された方を第一に考えて行動することだったという。被災地復興を感じてもらうツアープログラムを企画してきた(株)JTBコーポレートセールス霞ヶ関第一事業部の毛利直俊さんと影山葉子さんの2人に話を聞いた。

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毛利直俊さん(写真左)、影山葉子さん(同右)

■震災直後。「自分たちにもできることはないのか」

2011年、被災地は瓦礫の山だった。全国各地から駆けつけた組織やボランティアは数多くいたものの、現地で踏ん張っていたのは地元の人々だ。2011年5月に宮城県石巻市を訪れた影山さんはこう話す。

「ある仕事で仙台に行く用事があり、そこから自分の時間を作ってプライベートでボランティアとして被災地に初めて立ちました。旅行会社としてどう仕事をしようか、とは全く考えていなかったんです。瓦礫だらけのなかでショックを受け、なかなか考えが整理できない状況になりました。『人として私には何ができるんだろう……』と。そこで思い出したのが、自分は旅行会社の人間だということだったんです。『旅行会社の社員だからこそできることがあるのではないか』と考え、それを探そう、と自分の中で決心したことが活動の原点になっています」(影山さん)

JTBでは、5月下旬から「旅行会社としてできること」を模索し、ボランティアツアーを開催した。のべ約1万人を超える人がそのツアーを利用したという。

「夜行バスで行くボランティアツアーは恒常的に動いていたのですが、その一方で、当時『自分たちにもできることはないのか』という女性からの声がありました。当時、特に首都圏の女性たちの多くは『力仕事はあまりできないから、今被災地へ行ったら逆に迷惑になるのでは』と感じていたのです」(毛利さん)

社内でも「必要なのは本当に力仕事だけなのか。女性ができるボランティアはどのようなものか?」と議論が交わされたという。その結果、2011年8月、働く女性を対象に女性向け媒体誌と組み“女性だけの”ボランティアツアーを開催することになった。JTBスタッフも女性のみで構成した。

「夜行バスに乗る時、知らない男性が横にいることに抵抗がある女性もいるので、バスで隣に座る人も添乗員もみんな女性にし、夜行バスに乗る時には『スッピンで来てください』とお伝えしました。また、ボランティア活動の他に、現地の女性たちが今どんなことで支援を求めているのか、これから何をしたいのかと直接話す交流の機会を作りました」(影山さん)

このツアーは好評で翌年までほぼ毎月実施され、合計12回行われたという。のべ約400人が参加した。

■震災から1〜2年後。地域と手を組んで観光復興へ 

毛利さんは同年8月に初めて被災地へ行き、関わりたい気持ちがより強くなったという。そこで、東北駐在を上司に志願。2012年2月から約1年間、仙台に駐在し、岩手、宮城、福島の観光復興に関わった。日々レンタカーを借りてさまざまな地域に足を運ぶなかで、改めて感じたのは「旅の持っている力の大きさ」だったという。新たな観光の出番だった。

「徐々に被災地の状況も変わってきました。交流をいかに作るか、観光や旅の力で地域の方々が元気になるにはどうしたらいいのか、ということを少しずつ考え始めたのです。必要とされていたのは、関心を持っている被災地外の方が行くことができる仕組みでした。実際に仮設住宅に行ってニーズとの調整をしたり、首都圏の参加者の学びを深くし、どう被災地に寄り添っていただくか考えたりしながらツアーを作っていきました」(毛利さん)

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また、影山さんが2011年12月に、「今どんなことをしてほしいのか」を現地の人に聞くと、こう返ってきたという。「ボランティアや支援は必要だし、ありがたいけれども、いずれはフィフティ・フィフティの関係になりたい。来ていただいた方に恩返しもしたいし、助けていただくばかりではなくて、地元の海産物や伝統産業などを楽しんでもらいたい。そういうことにできるだけ早くシフトしたいんです」

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被災地でのさまざまな声を受けとめながら、次のフェーズに入っていることを実感した同社では、「東北ふるさと課(化)」を立ち上げた。

「その一つの形としては、気仙沼の酒蔵である男山本店さんとツアーを作りました。震災前から、日本酒のビンを海中に沈め、海中の揺らぎで熟成させるというロマンあふれる『海中貯蔵』という取り組みをされていた酒蔵です。社長から「貯蔵と引き上げの2回、気仙沼に来ていただくツアー企画ができないか」と相談を頂きツアー企画にしました。」(影山さん)

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ツアーは大好評となり、リピーターが増えていった。「自ら海に沈めた日本酒を、翌年に引き上げる」という海中貯蔵の仕組みや、日本酒を地元の美味しい牡蠣やホタテと一緒に味わえる楽しさも手伝って、二年連続で訪れる人が続出したという。海中貯蔵旅はこれまでに5回、東北ふるさと課(化)としての、遠洋漁業船を見送る「出船送りツアー」や「マグロ船乗船体験ツアー」等、港町ならではのツアー企画は全部で8回実施され、2014年のツアーグランプリ表彰では国内旅行部門 観光庁長官賞を受賞した。

「多い方は5回、6回と来てくださいました。土地を好きになって何度も来てくれる人に対して、地元の方も『また来てくれてありがとう。おかえりなさい』と言ってくださる。そういった関係がツアーから発生し、まさに“ふるさと”になっていきました。お別れするときも『さよなら』ではなくて、『また来てね』と言ってくれます」(影山さん)

こうしたツアーが実現できたのは、気仙沼の持つ力だったと毛利さんは振り返る。

「気仙沼は遠洋漁業の基地で、もともと人々がとても元気なところです。漁師のいない期間、まちを守っているのは女性たちで、そういう方々が一致団結して地域づくりを支えているんです。気仙沼はもちろん津波の被害もありましたが、震災後の火災の被害も大きかったところでした。でも、宿泊施設の一部は高台にあったために残っていて、幸いにも被害をまぬがれたことで、早期に受け入れができたのです」(毛利さん)

実は2012年4月、気仙沼市長のもとでいち早く「観光復興戦略会議」が進み、観光復興を促進させていくことを地域として決めて動き出した。アクションの速さが、復興のスピードの速さにもつながっていたのだ。

■震災から3〜5年後。より“自立”した観光復興へ

東日本大震災から3年が経つと、被災地はより“自立”を始める。男山本店の社長であり、商工会議所の会頭である菅原昭彦さんが中心になり、気仙沼市全体の観光戦略を推進していくための「一般社団法人 リアス観光創造プラットフォーム」が設立されたのだ。

「気仙沼は水産業が基幹産業です。震災前までは観光業は観光事業者だけのものという感じだったようです。今後は水産業と観光業の両軸でやっていくぞという地方の熱い思いを知りました。つまり、地元の人たちみんなが関わって、新しい観光を作るんだという決意です。そこで『リアス観光創造プラットフォーム』が中心になって、水産業や観光業に関わる人を集め『観光チーム気仙沼』を作りました」(影山さん)

同社は、各部署の社員を講師として派遣し「観光商品を作るということはどういうことか」「観光というものは今どういうムーブメントがあるのか」などを地域の人たちと一緒に考えた。

「皆さんが気仙沼というまちを一つのツーリズムのテーマパークにしたい、という思いを持って取り組んでいらっしゃいます。旅行会社が引っ張っていくのではなく、地元の人たちがきちんと作れるフェーズに入ったのです。『リアス観光創造プラットフォーム』ができ、一年ほど経った頃、まち全体で観光業を盛り上げようという機運が伝わってきました。ツアーが最後に気仙沼から出発する際に、まちの皆様が大漁旗を振って見送ってくれた今までの観光は、観光事業者だけのものだったのが、まち全体でツーリズムを形成できる。そう感じました。」(影山さん)

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■この先の未来へ。東北の魅力を伝え続ける決意

「5年間で得られたことは、非常に多かったですね。今後は、地元の人たちと一緒になって観光復興を目指し、新しい旅のスタイルを作っていかなければならないと考えています。震災を契機に、本当にもう切羽詰まっているんです。東北は、人口減少や少子高齢化を抱え、日本全体が抱えている課題の最先端にいます」(影山さん)

毛利さんは「日本の地方は、相反する2つの課題を抱えている」と指摘する。「交流人口を増やして今の規模で経済を残すのか、またはいかに街をコンパクトにするか。地方創生のアクションを実際に動かす人材が足りていないのが現状だと思います」

さらに毛利さんは、自治体と連携しながら東北に人を呼び込むことの大切さを語った。

「多くの方に東北の魅力を感じていただけるよう、今後も努めたいです。そのためには、今までにない旅行商品も当然必要になるでしょう。気仙沼はフロントランナーで走ってきましたけれども、これからだという自治体さんからのご相談もいただいています。東北の資源の豊富さや、人々の奥ゆかしさやたくましさ。そういう魅力を感じていただき、好きになってもらえたらと考えています」(毛利さん)

■「旅行会社が持つ『人を動かす力』を生かして、被災地に元気をもたらしたい」

震災5年となる2016年3月11日から、JTBは地域とともに東北の魅力を発信する「東北絆キャンペーン」をスタートさせた。桜、新緑、名湯秘湯など、本来持っている東北の美しさを知るプログラムだ。そして、震災の風化を防ぎ、後世に教訓を伝えるための「学びのブログラム」や、地域の特性、特産物を生かして町おこしに成功した地域を訪ねる「地恵のたび」など、被災地の今とこれからを知るツアーも用意されている。

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小林英輝さん(写真左)、鈴木雅之さん(同右)

東北絆キャンペーンのねらいを、JTB国内旅行企画東北事業部の小林英輝さんはこう語る。

「JTB全社を挙げて、東北をキャンペーンしようという意志のもと、ただ観光で来てもらうだけでなく、『学びのプログラム』や『地恵のたび』を通じて被災地のこれまでと今を体験していただく、そして語り部ガイドの話から震災の教訓を学んでいただく。そこから東北が地域としてさらに発展していく取り組みをJTBとして今後も継続的に応援していきたい。そして東北本来の魅力を伝え、東北各地にお客様にお越しいただく。それが東北絆キャンペーンの一つの目標です」

震災前から東北に根ざした仕事を続け、現在は地域交流事業に携わるJTB東北の鈴木雅之さんは、震災5年は節目ではなく、東北の新たなスタートととらえている。

「私たち旅行会社は企業活動を通じ、地域にお応えをしていく立場です。当然その中には、私たちが本来持っている『人を動かす力』で被災地に経済的な効果をもたらし、元気を取り戻すことを目指しています。だから、会社として一過性のものではなく、持続性のある活動をしていきたい。そして元通りの東北ではなく、5年後10年後の新しい東北を作り出していくために、新しい東北の価値みたいなものを生み出していくお手伝いを我々としてはしていきたいと思っています」

震災から5年がたった今、そしてこの先の未来に向けて、JTBは旅行会社として、持ち前の『人を動かす力』で、国内のみならず、海外からのインバウンド客も含めて東北に訪れる交流人口を拡大させようしている。