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「30歳でこの道に入ったのは私が初めて」トリリンガルの鏡味味千代さんが、"太神楽芸人"になった理由

2016年03月25日 23時15分 JST | 更新 2016年03月26日 00時47分 JST

「太神楽(だいかぐら)の千年の歴史の中で、30歳という遅い年齢でこの道に入ったのは多分私が初めてです(笑)」

鏡味味千代(かがみ・みちよ)さんは、物心ついたときから海外志向だった。「カタカナの名前の作者の本ばかり読んでいた」少女時代を経て、高校時代は1年間フランスに留学。国際基督教大学卒業後は大手PR会社に就職。激務の日々を送りながら、人生に迷っていた29歳の冬。たまたま見かけた「太神楽 研修生募集」のチラシが、鏡味さんの人生を大きく変えた。

なぜ数ある伝統芸能の中でも「太神楽」に魅せられたのか?

「23歳以下」という応募資格の壁を29歳のOLはどうやってクリアしたのか?

現在、英語とフランス語を駆使して海外でも活躍するトリリンガルの太神楽曲芸師・鏡味さんにこれまでの歩みを聞いた。

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■「本気」の同僚たちと一緒に働いているのが恥ずかしかった

実は、もともとは外交官を目指していました。大学卒業後は就職浪人して外交官試験を受けたんですが、落ちてしまって。そんなときPR会社で働いていた友達から「バイトしない?」と誘われたんです。もともと発信したりイベントを考えたりするのも好きだったんだけど、「バイトじゃイヤだ」と試しに言ってみたら「じゃあ社員でいいよ」と社員にしてもらえました(笑)。

そこはわりとゆるい会社だったんですが、数年後に移った別のPR会社がもう激務なところでしたね。終電で帰れたら「やった!」という会社で。体もつらかったけど、それ以上に精神的につらかった。なぜかっていうと、その会社は本気でPRが好きで好きで仕方がない人たちが集まっていたから。

ちょうど私が入社した頃はホワイトバンドが大流行して、「PRの力で日本を変えてやる」という空気が業界に漂っていた頃で。その会社はPRという仕事が本当に好きな人ばかりが集まっていて、彼らはアイディアも面白いし、ちゃんと結果も出す。やってることがプロだなと感じました。

私はそこまでPRという仕事を好きにはなれなかった。と同時に、「私も本気で好きなことを仕事にしたい」「彼らに恥ずかしくない生き方をしたい」とも思うようになったんです。一緒に働いていて、自分が恥ずかしかったので。

■初めて見る人にもキャッチーでハッピーな伝統芸能

寄席に通うようになったのはその頃です。最初は父に無理やり連れて行かれたんですけど、いざ行ってみたらすごく好きになってしまって。そこで初めて太神楽を見たんですが、初めて寄席に来る人に対してもすごくキャッチーな芸だな、と感じました。

気になって調べてみたら、お能と同じくらい古い歴史があることや、神社との繋がりも深いれっきとした芸能だということ、最初から最後までおめでたいハッピーな芸だということがわかってきた。こんなおめでたい日本の芸能ってなかなかない、いい芸だな、とだんだん惹かれていきました。

そうやって寄席通いをする中で、お正月に鈴本演芸場で獅子舞を見たんですよ。その獅子舞がすごくよかった。最後に獅子頭(ししがしら)を脱いだ人たちを見て初めて、「あ、太神楽の人だったんだ!」と気付いたんです。

その日の帰り道、国立劇場の「太神楽 研修生募集」のチラシを見てピンと来ました。

それまでそういうものをずっと探してたんですよ。テレビを見ているときも、海外旅行をしているときでも。「これはどうかな?」と思えるものもいくつかあったけど、ピンと来るものはなかった。でも、この太神楽の道は突っ走れたんですよね。

■国立劇場のトップに直筆の手紙を送りました

研修生の応募資格は「原則23歳以下」でしたが、「じゃあ例外もあるだろう」と勝手に解釈をして(笑)。ただし正攻法でいってもだめだろう、じゃあトップダウンでいってみよう、と考えて日本芸術文化振興会の理事長に直筆の手紙を出したんです。

あとで知ったことですが、その津田和明理事長(当時)は元サントリー株式会社の取締役副社長で、初めて民間企業から理事長になった方だったんです。だからそういうのを面白がってくださって、「本人がやる気があるなら採ってあげれば」ということになったらしく。ご縁ですよね。

そうして2007年4月に国立大神楽養成所の第5期研修生になれました。研修期間はそこから3年間、それから寄席に出ての前座修業が1年間、計4年間の修業を積んでから、芸人としてデビューすることになります。

■太神楽、19、20歳から始めても「遅い」と言われていた世界

私、4月6日が誕生日なので太神楽の研修が始まったのが30歳になってからなんですね。太神楽の千年くらいの歴史の中で、30歳という遅い年齢から始めたのは多分私が初めてなんです。ちょっとカッコいいですよね(笑)。でも昔は19、20歳から始めても「遅い」と言われていた世界なので、師匠たちも内心「どうなんだ」って思っていたとは思うんですけど(笑)。

若い人たちと比べると、芸の覚えはやっぱり悪かったですが、「とにかく続けることが大事」と言われながらなんとかついていきました。当然、貯金だけでは3年間さすがに食べていけないので、研修が終わった後の夜や土日は飲食店などでアルバイトをしていました。

でも、毎日が楽しくて仕方なかったですね。あの頃がいちばん人間として楽しかったかもしれない。つらかったことはたくさんありますけど、でもまず働かなくていいじゃないですか(笑)。「夜の10時からミーティング!」ということがない世界にようやく来れた開放感と、あとは好きなことだけをやっていればいい世界だったので。

■日本文化との出会いが人生最大のカルチャーショック

国立劇場の養成所では、太神楽だけじゃなく三味線や踊り、太鼓に笛も習わせてもらえます。それもすごく楽しかったですね。しかも恐れ多いことに、家元クラスの名人に習うんですよ。

最初のうちは日本の伝統文化って、すごくかたい世界だろうなと思っていたんですよ。でも最前線にいられる方々は、皆さん本当に頭が柔らかくて、個性を尊重してくれる。洋楽とコラボしてみたりとか、常に「何か新しいこと」をと思っている方ばかりで驚きました。

たとえば、三味線って「指二本分」とか「手のひらひとつ分」という測り方をするんですよ。三味線糸って絹なので弦がどんどん緩んでくるため、こまめにチューニングする必要があるんです。最初はそれを面倒くさいなと思っていたんですが、三味線の先生が「それが個性なんです」と仰っていて。

つまり「指二本分」といっても、人によって指の太さが違う。チューニングだって耳は機械じゃないから人によってちょっとずれてくる。それが「個性」なんです。何センチとかちゃんと決まっているわけではないんですね。そのことを教わったとき、私もうぱああっ~!って目が開きました。

それまでPR会社で働いていたときは、「個性を出す」っていうのはなにか新しいこと、奇抜なことをしなきゃいけないって思ってたんです。けど、そうじゃなかった。ある程度の型からどれだけ自分を出せる、自分の持っているものを最大限に生かすことが個性なんだ、とそこで初めて気付かされたんです。

それまでいろんな海外の国を旅行しましたけど、国立劇場でそのことを教わったときが、人生で一番のカルチャーショックでしたね。まさに日本への留学ですよ。そこを個性として認めてくれるなんて、日本文化ってなんて度量が広いんだろう、この文化の素晴らしさをもっと外に紹介できないものだろうか、ということをそれ以来ずっと考え続けています。

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太神楽 画像集

(後編は3月29日掲載予定です)

鏡味味千代(かがみ・みちよ)
1976年、山梨県出身。国際基督教大学卒。PR会社員勤務を経て、29歳で太神楽の道を志す。2007年4月、第5期国立大神楽養成所に入る。2010年4月から落語芸術協会にて前座修行を開始。2011年4月、浅草演芸ホールにて高座デビュー。特技は英語、フランス語。2015年5月に長男を出産。ブログ「味千曜日」、Twitter

(取材・文 阿部花恵