「僕らにはユーモアという名の武器がある」ベルギー人はテロに知恵で立ち向かう(現地レポート)

なぜ、過激派組織IS(イスラム国)はブリュッセルを狙ったのか。現地の人々はどう反応しているのか。私たちはどこへ向かおうとしているのか、1週間後の今、少し考えてみたい。

3月22日、ベルギーの首都ブリュッセルで起きた連続テロ。公共の場で多くの非ベルギー人が犠牲となった。死者・負傷者は合わせて約300人以上に上る。

なぜ過激派組織IS(イスラム国)は、ベルギーを狙ったのか。事件から1週間、現地の人々はどう感じているのか。ブリュッセル在住のフリーライター・栗田路子さんが現地の様子をレポートする。

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3月22日朝、報道関係者からの電話でブリュッセル空港爆破を知った。テレビをつけると、見慣れた出発ロビーが無残な姿をさらし、逃げ惑う人々に自分の影が重なる。そうこうするうちに、欧州連合(EU)主要機関の集まる地下鉄駅でも爆破。こうしてベルギーの首都ブリュッセルは、恐怖の濁流に飲みこまれていった。

死者・負傷者は合わせて約300人以上といわれているが、負傷者の大半は重傷で、遺体が飛散したことで身元が特定できないケースも多い。東京のようなメガタウンと異なり、人口120万足らずの小さな都市ブリュッセルでは、この数は、友人や知人をたどれば、悲しみに打ちひしがれる人に到達することを意味する。

なぜ、過激派組織IS(イスラム国)はブリュッセルを狙ったのか。現地の人々はどう反応しているのか。私たちはどこへ向かおうとしているのか、1週間後の今、少し考えてみたい。

■国際都市・ベルギーは「ヨーロッパの十字路」

2001年、9.11で襲われたニューヨーク、2015年1月と11月に標的となったパリに比べると、ブリュッセルは日本人には印象が薄いかもしれない。

ベルギーは、フランス、ドイツ、オランダ、イギリスなどヨーロッパの列強に囲まれ、四国ほどの国土に約1100万人が住む小国で、ブリュッセルはその首都だ。観光的にも文化的にも地味なので、日本人には見落とされがちだが、ベルギー近辺は、ヨーロッパ史を形成してきた覇権争いや交易の要衝で、地政学的な重要度も高く、「欧州の十字路」「欧州の首都」「ヨーロッパの縮図」など様々な異名をとる。

第二次世界大戦後には、EUの前身となる欧州石炭鉄鋼共同体や欧州原子力共同体が作られた。今ではブリュッセルにEUの主要機関が集中し、加盟28か国から4万人の職員が働いている。北大西洋条約機構(NATO)の本部をはじめ、2000以上もの国際組織やロビー事務所があるとされる国際都市だ。

■外国人や異民族が暮らす、首都ブリュッセル

ベルギー国内にはオランダ語を話すゲルマン系とフランス語を話すラテン系民族が共存し、教養ある大人なら国語であるオランダ語・フランス語の他に、英語はもちろん、4~5カ国語を操る人も少なくない。

ブリュッセルでは市民の40%は非ベルギー人と言われるほど外国人比率が高く、3人に1人はイスラム教徒というほどイスラム圏からの移民層も多い。外国人や異民族が隣り合わせに住みながら、民主的ルールを守るなら、それぞれが自由に生きる権利を認めあい、互いに干渉しないので、少数派にも極めて居心地がいい都市だ。ヨーロッパが掲げる理想社会を具現しているかのようだ。

ISが狙ったのは、「ベルギー」というちっぽけな国の首都でも、甚大な被害だけでもあるまい。ISの狙いは、ヨーロッパにおける対話による平和主義、連帯する市民社会や民主主義といった「戦後レジームへの挑戦状」と感じられている。

しかし、パリでのテロ犯の多くが、ブリュッセル市内のイスラム教移民の多い地区に住んだり潜伏したりしていたことが伝えられると、ブリュッセルは世界的に「テロリストの温床」とまで呼ばれるようになってしまった。

これは、オランダ語とフランス語の行政間の風通しの悪さが原因だとか、移民統合政策の失敗だと批判されているが、それは反面、長い歴史の中で育まれてきた、誰もが互いの生き方を尊重し、よそ者にも居心地の良い社会の脆さでもある。即効性のある解決策などあるわけもない。

■2015年1月以降の厳戒態勢、テロは「いつか起きる」

フランスでシャルリー・エブド襲撃事件が起きた2015年1月以降、警察や軍隊による警備が増強され、物々しい武装警官や機関銃を持った迷彩服の兵士が町中で見られるようになった。過激派アジトの捜索が繰り返されて、疑わしい人物の検挙や武器弾薬の押収が続いた。

クリスマス前には、突然、警戒レベルが最高に引き上げられ、学校や地下鉄、商店やスポーツ施設が閉鎖され、戒厳令のような緊張下で、人々は恐怖と不自由に耐えた。

犯人側に情報提供しないようにとの捜査当局の要請に応えて、メディアはスクープ合戦を止め、ベルギーらしいユーモアで切り返した。警察が犯人に情報を提供しないように呼びかけたところ、メディア関係者が「了解」とユーモアで対応し、たちまち広がっていった。

フォースと共にあらんことを

だが、ベルギー社会が、人口比でヨーロッパ最多のシリア義勇兵を輩出してしまっている以上、ここでのテロは「いつかは起きる」と予感されていた。

覚悟はしていても、それが現実となった衝撃は息が詰まるほど重い。再び引き上げられた警戒レベルでは学校も交通機関もすべて閉鎖。怒りと恐怖に震えながら、テレビとネットに噛り付くしかない。

そこに映しだされるのは、変わり果てたブリュッセルの姿。訓練された特殊部隊がドローンやロボットを使って銃撃戦をしている。押収された情報によれば、ISは原子力施設まで狙おうとしていたらしく、原子炉がテロ標的になるという仮説がにわかに現実味を増した。SF映画か戦闘ゲームのようなストーリーが身近で展開する。

■ベルギーのテロとフランスのテロは、何が違うのか

ベルギーはフランスから、弟分のように見なされているところがある。南半分のフランス語圏はもちろんだが、北半分のオランダ語圏でも、フランス文化の洗礼を受けているので、フランス語もよく通用するし、今回のテロリスト集団の行動範囲からもわかるように、人的つながりも太い。しかし、国家のあり方や国民性という上では、大きな温度差がある。

パリのテロでは、フランス共和主義の理念ともいうべき「表現の自由」と、コンサートやサッカーなどフランス人が謳歌する文化や娯楽が標的となった。大統領が「ISとの戦争」を宣言し、フランス人は勇ましく国歌を歌って互いの士気を高めあった。

一方、ブリュッセルで標的となったのは、検問のしようのない公共の場だった。被害者の多くは十数か国に及ぶ非ベルギー人。誰も「ベルギーへの攻撃」とは感じなかった。

首相は市民に対し「冷静さ」や「連帯」を呼び掛けた。人々は、国歌ではなく、思い思いのやり方で、平和への願いを表現する。萎縮していた市民は、勇気を出して、おそるおそる町に繰り出し始め、花やろうそくを捧げ、楽器を奏でて歌い、路上や壁はチョークの書き込みでいっぱいになった。

ブリュッセル市民が捧げた花やろうそく

誰からともなく始まった路上や壁への書き込み

FacebookTwitter、YouTubeなどのSNSには風刺画や動画が続々と投稿された。

ベルギーの公営放送でも紹介された人気YouTuberはこんな風に訴える。

「ママ、なんでうちにいなくちゃなんないんだよ。テロがあったから? 学校行くなって、ママがいうの変だよね。初めてじゃん。学校行かなくていいならうれしいけどさあ。でも、こういう時、学校行かないことが最善だと思わない。こういうのがずる休みの口実になったら世の中だめになっちゃうよ。僕たちはテロリストのカラシュニコフよりずっと強力な武器があるんだ。ユーモアってやつさ」

「ベルギー人のユーモアってやつは、テロリストだって歯が立たないんだ。だからさ、もし、テロリストが人口の半分を殺したってさ、『へ、お前、半分しか殺せないんだね』って言ってやんのさ。だからね、ママ、僕、今日は学校に行かせてよ。明日も、明後日も、その次の日も、その先もずっと、僕は学校に行くんだ。テロが起きたら、だからこそもっと学校に行くんだよ。だってさ、テロリストは持ってない『知恵』こそが僕らの武器なんだから」(一部省略)

■未来への示唆、これからベルギーはどうなるのか

戦後レジームの終焉とともに、ポスト・デモクラシーの暗澹たる時代に入ると予言する人がいる。欧州理事会のテロ対策専門家は、「ISは、親や社会への不満エネルギーを持ったはみ出し者を洗脳し、イスラム教という大義名分を与えて戦士に仕立て上げ、戦後の欧米主導型世界を破壊しようとしている」という。

2003年に始まったイラク戦争など、ISの台頭を生んだ欧米諸国の責任は重大だが、歴史を巻き戻すことができないのなら、偏見と差別と憎悪を長期戦の対話で解きほぐし、彼らをも包摂する次の時代を模索する以外に方法はないと感じる。

復活祭の日曜日(3月27日)、旧市街では、市民による『ピースウォーク』が企画されていたが、必死の捜索にも関わらず、逃走中の容疑者が捕まらないために中止となった。ところが、平和を求める市民の場には、反イスラム・反移民の暴徒が大挙して現れ、混乱状態になったという。ベルギーでも、目の前のISテロや難民急増が恐怖心を煽り、極右勢力が伸び、移民排斥・反イスラム機運が強まっている。

確かに戦後レジームは終わろうとしているのかもしれない。対話による平和主義、連帯する市民社会や民主主義は限界を迎えているのかもしれない。しかし、その間に育まれた、ヨーロッパが標榜する民主主義の根は、ベルギーの市民社会に深く強く育っていると感じる。

ちっぽけで複雑なベルギーには、ひとつの強烈な理念も国民性もない。だが、大国にありがちな独善性や押しつけがましさとも無縁で、同調圧力もかからない。これがベルギーらしさだ。

ちょっとシャイなベルギー人は、斜に構えた皮肉たっぷりのユーモアで、少数派も心地よく生きられる包摂的で持続可能な社会を求め続けている。国や会社よりも、家族や友人が大事。武器よりも、漫画や音楽や美味しいものを手にして、語り合いながら平和を希求するしかないのだとーー。

(栗田路子)

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