「LGBTは、結婚を輝かせる最後の光」大塚隆史さんに聞く、同性婚の意義

とにかく前に出て行くしかないと思います。

全国の地方自治体で同性パートナーシップ制度の導入が進み、企業でも同性カップルに既婚者と同等の福利厚生を保証する動きが広がるなど、LGBTについての理解がここ最近進んできている。

このような動きは、2015年に渋谷区のパートナーシップ条例をきっかけに、一気に加速した感がある。しかし、これはもちろんなんの前触れもなく起きたわけではない。ゲイが権利を獲得しようとするゲイ・リブの運動は1960年代のアメリカで起こり、そのムーブメントはほぼ同時に日本にも伝えられていた。以来、続いたゲイ・リブの活動の延長に、こんにちのLGBTがあるといってもいいだろう。

長年、ゲイの当事者として活動してきたクリエイターの大塚隆史さんは、この現在のLGBTをめぐる世の中の動きをどう思うのか。同性婚の議論はどう思うのか−−。

1970年代からラジオ『スネークマンショー』にゲイのパーソナリティとして参加し、90年代のベストセラー・別冊宝島のゲイ3部作の編集に携わるなど、長年に渡り世界と日本のゲイの動向を見てきた大塚さんに、前編に続いて話を聞いた。

■日本独特の差別のあり方と、それに立ち向かう難しさ

−−大塚さんは、かなり早い時期からゲイ・リブというアメリカで生まれた運動に触れ、日本でもそれを展開なさろうとしてきました。しかし、それが受け入れられ、現在のようにLGBTの動きが活発化するまでにはずいぶん時間がかかりました。

リブはアメリカから出てきたものだから日本の実情には合っていないと言う人も少なくありませんでした。たしかに日本の、ある種、独特な差別のありようが存在します。

ゲイを排外するという方向性じゃなくて、「ゲイであることは恥ずかしい」とかそういう感覚。差別する側も、意識して差別してるわけじゃない。いけないことだと思ってるんじゃない。だけど、どこにでも生ぬるい差別が蔓延しているような。

そういう感覚の中で、アメリカ的な方法論がそのまま通用しないという事情はありました。だから情報は入ってるんだけど、実際に動き出してみるとなかなかうまくいかない。日本ならではの展開をしなければ、というところでちょっとグズグズしていたところはあるんじゃないかと思います。

−−なかなか可視化されなかった差別が、1990年に起きた「府中青年の家事件」(※)で可視化された。

(※)府中青年の家事件

1990年、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)が東京都の府中青年の家を利用した際、同宿していた団体から差別的な扱いを受けたため、青年の家側に善処を求めるものの却下される。その後、OCCURが再び利用しようとしたところ青年の家は「青少年の育成に悪影響を与える」として拒否。1991年、OCCURが人権侵害にあたるとして提訴。1997年にOCCURの勝訴が確定した。

きっかけにはなりましたね。ただ、それでいっきに進んだかというとそうでもない。ああいう事件があったときに、性的マイノリティへの差別をなくすための法的な動きが起きたわけではなくて「あ、この人たちはうるさいから触らないでおこう」みたいな、逆の働きをしちゃった面もあるのかなと思います。根本的な変化はないのに問題が起こらないために差別がないような見え方をしてしまうようになった。

−−今、同性パートナーシップ条例や同性婚に反対している保守的な人たちも、日本にはそんなにひどい差別なんかないじゃないかと言いますよね。

だから「差別とはなんぞや」というところから明確にしていかなければならない。そのためにはとにかく前に出て行くしかないと思います。

パートナーシップ条例とか、そういう形で一歩踏み出す。前に出て行くと必ずそれに対するリアクションも出てくる。政治家がTwitterで差別的な発言をしたり。実はみんな思ってるけど言わないようにしていることが、こっちが出て行くことによってあきらかになる−−。府中青年の家の時も、自分たちがゲイのグループであることを青年の家側に言ったから、同宿していた団体の差別的な言動が出て問題が明確になりました。

カミングアウトしたから出てくる何か、というところがすごく大きいと思うんですよね。今、だんだんカミングアウトする人たちが増えているから、これから、いよいよそのリアクションが出てくるかもしれません。

−−ネガティブな意見も可視化されていく。

今のところは、欧米の追い風もあるのでLGBTに対してそんなにひどいバッシングはできない。先ほど言った、性的マイノリティに対する政治家の差別的なツイートのニュースがあったときに、テレビのコメンテーターが「そんな酷いこと言ってはいけない」と言うんじゃなくて、「時代の流れを読めてませんね」と言ったんですね。良い悪いじゃないんですよ。そこが日本的だなあと思いました。

なんとなく、みんなが仕方ないのかなあと思ったら許してあげようみたいな。主義主張よりも、みんなが思ってるのかどうかのほうが大事なんです。

■一歩踏み出すことで問題が明らかになり、解決につながる

−−一方で「もっと他にやるべきことがあるだろう」みたいな言い方で、LGBTの取り組みを否定する人もいますね。優先順位があるはずだ、というような。

まさに、そういう意見に直面したことがあります。僕は2015年に新宿区の男女参画フォーラムの実行委員になったんです。新宿区が年に1回、四谷にある区民ホールを使って講演会を開くんですけど、公募で選ばれた実行委員が、その講演会の講演者を選んでそのお手伝いをするんですね。

実行委員会でカミングアウトして「自分はゲイだから、出来ればゲイの人を呼びたい。今までゲイの講師はいないのでそれが出来たらいいと思って参加しました」と言ったんです。そうしたら実行委員の一人の人に、「そういうことは男女のDVのようにもっと深刻な問題が解決してからでいいんじゃないですか」って言われたんです。DVの問題が解決してからって言うけど、それまでに何年かかるのかっていう……。ゲイであることで世をはかなんで自殺をする人だっているっていうような深刻さが、まだ伝わってないんだなと思いました。

−−男女のDVもLGBTの問題も、どちらも解決されなければいけないことですね。

もう一つ、僕がそこで感じたことがあります。カミングアウトした時には「あなたがゲイなのはいいです」と許容される。ところが、もう一歩進んでなにかを要求したときにはネガティブな押さえつけをしようとする本音の動きが出てくる。

だからこそ、まずはカミングアウトすることがすごく大事なんだと思うんですよね。カミングアウトをするのは、とってもたいへんなんだけど、出来る人からジワジワとでも社会に顔を見えるようにしていくことが大切なんじゃないかな。

カミングアウトすると問題も出てくるけど、きちんと主張することで結局は問題を解決出来るようになってくる。そうしないと、なんかいるのかいないのかわかんない状態のままです。ここのところそういう可視化の動きは進んできたと思いますけどね。

「あ、日本にもゲイがいるんだ」っていう、まあ当たり前のことだけど、そういう認識はストレートの人たちの間にも広がってるんじゃないかな。

−−今は追い風があって、理解が進んでいますけど、なにかあった時の反作用も大きいと思います。そういう時に後退しないための歯止めも必要かと思いますが。

だから一人ひとりが前に出ていく。別にみんなが完全にオープンにする必要はないけど、何人かの人たちにでも伝えておくことで、誰かの差別的な言動があったりしたときに、この人が困ったり傷ついたりするんだなということを分かってもらえるようになる。そういう人、「アライ」(支援者)を増やすことが大事だと思います。

■ゲイが抱える「同性婚万歳」と浮かれることもできない事情

−−同性婚についての議論がさかんになされています。

同性婚については個人的にもいろいろ考えることがあるんです。僕はリブの出身というか、リブに救ってもらった気持ちがあるので、リブというものの論理的帰結点である同性婚に両手を上げて賛成したい。

ただ、男同士で関係を作っていくときに結婚が一番いいのかというと、ちょっと結論を出すのは先送りしたいという気持ちです。また、その向こう側に「1対1の関係だけが守られるということがそんなに大事なことなのか?」という疑問がある。

それに個人としては同性婚万歳と浮かれることもできない事情があるんです。というのは、僕はパートナーと養子縁組をしている。

−−養子縁組をすると結婚と全く同じではなくとも、相続などの面で必要な権利が手に入ります。そこで、本来の制度の趣旨ではないけれど養子縁組を結婚の代わりに利用しているゲイは多いですね。

そういうバイパス的な法律の使い方というのは、僕はわりと好きなほうなんです。ただ、仮に同性婚が実現したとして、僕たちは親子になってしまっているので養子縁組を解消してもおそらく結婚できない。

日本の民法では、一度、養子縁組をした男女はそれを解消しても、もう結婚はできないんです。アメリカの同性婚の制度でもそうです。だから同性婚導入以前に養子縁組した人たちが裁判を起こしている。そういうことがあるので、自分たちはもう同性婚はできないんだなあという想いで眺めてるということはあります。

その一方で面白いと思ったのは、ブラジルでは女性3人でシビルユニオンに登録した人がいて、さっき言った1対1の関係のみを守るのではない方向も出てきているんですよね。

■同性婚でLGBTが輝いたのではない。LGBTが結婚に最後の輝きを与えた

−−ストレートの場合でも晩婚化や非婚化が進むなど、結婚という制度そのものが揺らいでいて、そのせいで同性婚も許容されるようになった側面もあるのでしょうか。

それはあるでしょうね。2015年6月、アメリカでの同性婚禁止を違憲とした連邦最高裁の判決文がとても感動的だというので話題になりました。あれを読んで思ったのは、LGBTが入ることで結婚という制度が最後の輝きを得たんじゃないかということです。

結婚という制度に入ることでLGBTに光が当たると考える人は多いでしょうが、それは違うんじゃないか。あの、まるで結婚賛歌のような判決文を読んで、LGBTは結婚を輝かせる最後の光だったんだと気づいたんです。

ケネディ連邦最高裁裁判官による判決文(一部抜粋)

No union is more profound than marriage, for it embodies the highest ideals of love, fidelity, devotion, sacrifice, and family. In forming a marital union, two people become something greater than once they were. As some of the petitioners in these cases demonstrate, marriage embodies a love that may endure even past death.

It would misunderstand these men and women to say they disrespect the idea of marriage. Their plea is that they do respect it, respect it so deeply that they seek to find its fulfillment for themselves. Their hope is not to be condemned to live in loneliness, excluded from one of civilization’s oldest institutions. They ask for equal dignity in the eyes of the law. The Constitution grants them that right. The judgment of the Court of Appeals for the Sixth Circuit is reversed. It is so ordere.

(日本語訳)

結婚ほど深遠な結びつきはない。なぜなら、結婚は愛、忠誠、献身、犠牲、そして家族の最も崇高な理想型だからである。結婚は二人の存在をより高みにもたらす。この民事訴訟の原告のように、結婚は過去の死すら乗り越える愛を意味するのである。

本件訴訟の同性愛者が、婚姻という概念に対し敬意を払っていないとするのは過りである。彼らは婚姻に敬意を払い、そしてその敬意が深いものであるからこそ、自分達にも結婚制度が与えられることを願っている。

彼らの願いは、孤独な人生を宣告されないことであり、文明におけるもっとも古い制度から排除されないことである。彼らは法の下での平等がなされることを求めている。合衆国憲法は、その権利を彼らに与えている。よって第6巡回区控訴裁判所の判断を破棄する。(拙訳・宇田川しい)

−−そうするとLGBTが加わったところから、結婚という制度が今度は解体に向かうとお考えでしょうか。だとすると同性婚の必要もあまりないということになってしまうと思うのですが。また、ゲイの中にも同性婚なんて必要ないと考える人たちもいます。ゲイでパートナーと長く付き合う人なんていないじゃないかと。もっともストレートも、離婚する人はいますし、一生添い遂げるなんていう人は多くないのかもしれませんが。

たとえ1年、2年といった短い間でも誰かと一緒に生活するときに、結婚という制度で守ってもらえる人と守ってもらえない人がいるというのはおかしな話です。

二流の人権しか持てない人がいるという問題は解消されるべきですから、同性婚の意義というのは大きいと思います。でも、それとは別に、結婚という形態を本当に人々が必要としているのかということはきちんと検証されるべきでしょう。

ただ、理念というのは大事だと思うんです。さっき言った判決文なんか読むと、むしろ結婚しない人はダメ人間なんじゃないかと思わされるほどです。「じゃあ結婚してない自分の人生ってなんなんだ?」って、むしろ反感を持った人もいるんじゃないでしょうか(笑)。

理念とか理想とかなしに、ゲイの関係なんかどうせ長続きしないんだからと言っていたら、それまでです。これはLGBTに限らず、人間は皆平等だっていう理念も持たなくていいんだって言われたら権利もなにもそれでおしまいなんですから。でもこうあってほしいなあという理念を持つことで状況は変えられるかもしれない。

理念を持って生きて行くことが大事なんじゃないでしょうか。

(聞き手・文:宇田川しい

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