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韓国・セウォル号沈没事故から2年 遺族たちは現場を離れない(動画)

2016年04月17日 16時06分 JST | 更新 2016年04月17日 16時10分 JST

304人が死亡・行方不明となった韓国の大型旅客船「セウォル号」沈没事故から、4月16日でまる2年となった。船体の引き揚げ作業が続く中、ハフポスト韓国版は4月8~9日、引き揚げを監視している遺族の団体「416家族会」を取材した。

漁船に乗り、荒波を越えて約1時間。さらに狭い山道を登ってやっとたどり着く。ここに2015年9月から、1日も休まずに詰めている人たちがいる。その名前は「416家族会」だ。

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416家族会は2015年9月、セウォル号の引き揚げ準備作業の開始後、沈没地点から約1.6km離れた東居次島(トンゴチャド)で引き揚げを監視している。遺族らは班を組んで1週間交代で見張っている。班分けは通常、修学旅行中に多数が犠牲になった檀園(タンウォン)高校のクラスごとになされている。

「他のクラスの父兄はインスタントラーメンなんかで済ませるらしいですけど、うちのクラスはしっかり食べます。そうしないと持ちこたえられませんから」

食事を準備しながら、犠牲になった高校生の一人、イェスルの父親が話した。

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1週間分の食糧を持って山に登るのも一苦労だが、計画的に食べることも大事だ。

前の日に何回かに分けて運び込んだ荷物は相当な量になるが、1週間持ちこたえるには節約しなければならず、手洗いや歯磨きが精いっぱいで、シャワーなど想像もできない。

父親たちは食事を終えるやいなや、山の麓に向かった。

「東居次島は今、ワカメ漁が最盛期なんですよ。人手が足りないから手伝いに行くんです」

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「地元の方は皆さん、有り難い方ばかりです。必要なものを貸してくれることもありますし、いつも私たちをかわいがってくれて…」

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「イェスル、あれちょっと取ってくれ」

「ソヨンの兄さん、さあ食べましょう。イェジンのパパもこっちに来て」

父親たちに名前はなかった。いや、父親たちには新しい名前がついていた。

「みんな、事故後に知り合って、それ以前は見知らぬ間柄でした。その後は自然に『誰々の父さん』という感じで呼び合う仲になったんです」

「イェジンのパパ」が淡々と振り返った。

「僕らが子供の名前で呼び合うのは、子供たちを忘れないという意味もあるんです。子供の名前を呼び合うのもいいし、誰かがイェジンの名前を呼んでくれればもっといいし」

「イェスルのパパ」は、4月16日に48歳の誕生日を迎えた。

「これからあと30年生きれば、イェスルが私と同い年になるわけです。娘は18歳までしか生きられませんでしたから」

「残りの人生、自分自身の人生としてより、イェスルの人生として生きたい。だから僕は、自分の名前は重要じゃないと思うんです。イェスルのパパ、イェスルとして生きて行きたい」

事故から2年。東居次島で出会った父親たちの時計は、2014年4月16日で止まったままだ。

この記事はハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳しました。

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