酒に溺れて、薬に逃げて、現行犯逮捕...。 LGBTが抱える壮絶な生きづらさ、命について考える

「誰もがありのままの自分で生きて行ける社会」とは

LGBTなどのセクシュアル・マイノリティにはメンタルに問題を抱える人も多く、またパートナーとの死別の際に社会的な困難が伴うなど、様々な形で生きづらさを感じる局面も多い。その結果、自死という悲劇も後を絶たない。

「LGBT・いぞくの会」を運営する任意団体「ドント・ウォーリー」は5月6日、東京レインボープライド2016のイベントとして「LGBTといのちを考える」と題したシンポジウムを東京・千駄ケ谷で開催した。当日の様子をレポートする。

■生きづらさを乗り越えて、心の成長につなげるには

はじめに、NPO法人「共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク」代表理事の原ミナ汰さんは、LGBTがカミングアウトできないために地域や学校に溶け込めず、またカミングアウトしたとしても社会的に孤立してしまう現状を指摘した。

NPO法人「共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク」代表理事の原ミナ汰さん

一般社団法人「社会的包摂サポートセンター」によって、国の補助金で運営されているピア目線での電話相談「よりそいホットライン」に寄せられた相談からLGBTのメンタルヘルスの実態を紹介。自己を知ることの困難さ、ロールモデルの不在、自尊感情の育成不足から自殺リスクが高まる傾向が浮き彫りになった。

LGBTが長期間に渡り、日常的な存在否定や生きづらさをくり返し体験することで、心的外傷後ストレス障害の一種である「複雑性PTSD(C-PTSD)」に陥りがちであることも問題だという。しかし、例えば震災後に他者を思いやる気持ちが生まれて助け合うようになったり、貧しい育ちで苦労したがゆえに社会事業を起こした、というエピソードに見られるように、同じ悩みを抱える者として仲間を支える「ピアサポート」の姿勢があれば「心的外傷後成長」と呼ばれるポジティブな心の成長を遂げることも可能という希望も示された。

■生きづらさの要因は、法的制度にも。専門家の声

1990年の府中青年の家事件(※1)や2000年の新木場公園事件(※2)に関わってきた中川重徳弁護士は、原ミナ汰さんの話を受けて、生きづらさの一因が法的制度にあるのではないかと問題提起した。

中川重徳弁護士

(※1)府中青年の家

1990年、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)が東京都の府中青年の家を利用した際、同宿していた団体から差別的な扱いを受けたため、青年の家側に善処を求めるものの却下される。その後、OCCURが再び利用しようとしたところ青年の家は「青少年の健全育成に悪影響を与える」等として拒否。1991年、OCCURが人権侵害にあたるとして提訴。1997年にOCCURの勝訴が確定した。

(※2)新木場公園事件

2000年2月、都立夢の島緑道公園を歩いていた30代の男性が、14歳、15歳の少年と25歳の男に襲われ死亡した事件。加害者は男性の顔面と腹部に複数回、蹴りを加えて気絶させたのち現金を奪い、なおも丸太で殴打するなど執拗な暴行を加えていた。同性愛者を狙った犯行で同様の事件が多数起きていたが、そのことは裁判で触れられなかった。

1990年代に起きた「ゲイブーム」で、現在と同じようにLGBTに注目が集まった中で、府中青年の家裁判が行われ、原告のOCCURが勝訴。「裁判だけでなく、ブームの中で、若い人たちを中心に、ありのままの自分を肯定して生きて行こうとする模索が始まった」と語った。

また中川弁護士は当時、パレードや映画祭、HIV/AIDSの活動や新しい学問など、さまざまな動きが始まったことを評価しながらも、法律や制度を変えられなかったことに悔しさを滲ませた。2000年に発生した新木場公園事件では、裁判でも、同性愛者を狙った事件の本質は明かされず、社会全体のヘイトを解消していく動きとならなかったと振り返った。

現在は、「LGBTの厳しい現実への社会的な理解・共感は出来つつある。あとは差別禁止を明記した法律ができるかが一つの焦点」と指摘し、LGBTとともに「誰もがありのままの自分で生きて行ける社会」をめざしてゆくことにやりがいを感じる専門家は多いはず」として、今後への手応えを語った。

■アルコール、薬物依存......。ゲイに対する社会の理解に勇気付けられた

シンポジウムに先立ち、「ドント・ウォーリー」のTさんが、自らのアディクト(依存)体験と、自助グループにつながることで回復へと至った経験を語った。

「物心ついた頃から自分がゲイだと気づいていたので、男らしさを求められる田舎でセクシュアリティがバレたら大変だと、いつも恐怖心を抱いていました。ビクビクしていた高校時代、酒と出会って酔ったときの『ふっと楽になる感覚』にとらわれて酒に溺れはじめ、机の引き出しにはジンの小瓶が入っていました。99年には、当時住んでいた大阪で、覚せい剤を買ったところを現行犯逮捕され、30代前半では過度の飲酒による重症急性膵炎になってしまいました」などと振り返った。

「逮捕された当時は、3日も会社に泊まり込むような過酷な労働環境で働いていました。同棲していたパートナーは、私と同じく人間関係が上手く築けないタイプで、感情が昂るとお互いに暴力を振るうこともしばしばでした。街中で血まみれになりながら殴り合いになり、見かねた通行人に止められたこともあります。そんな生活の中でクスリを使ったら楽になると思い、手を出してしまった。酒やクスリの『酔い』で辛さを忘れるという、自分も周囲も大切にしない、誤った解決法を使い続けました」

またTさんは、依存症という病気への自らの否認を話した。「病院へ行っても医師へ反発して治療が進まなかったが、自分と同じ依存症の仲間が支え合う自助グループで初めて心を開き本音を話すことができ、回復がはじまった」と語り、アルコール、薬物を超えてサバイブした壮絶な体験談に会場は息を飲んだ。

Tさんは当時、府中青年の家裁判の影響で、社会のゲイに対する理解が向上していることを確認する経験で勇気付けられたという。実際に裁判を傍聴していたそうだ。

自助グループの中で自身を見つめなおしながら、深刻な依存症からの回復を続けるTさんは、現在の平穏な気持ちは「人生の中で初めて」だとして、「今、悩んでいる人もきっとこのような気持ちに至ることができると信じている、それを支え合う活動をしていきたい」と決意を表明した。

出身地・熊本の地震にも心を痛めており、被災したLGBTに支援を行うプロジェクト「Pray for RAINBOW」プロジェクトの立ち上げも発表した。

■11年間連れ添ったパートナーの死。家族の無理解が呼んだ悲劇

次に、「ドント・ウォーリー」のけんたろう代表が、団体設立のきっかけとなるパートナーを亡くした経験を語った。けんたろうさんは、約11年間連れ添ったパートナーの死に際して、相手側の両親の無理解から、最期に立ち会うことができなかったという。

「パートナーの父親は、他の親族が来るまでという条件で僕の病室での付き添いを認めてくれました。朝方、その場を去らなければいけなかった。パートナーとは夫婦として暮らしてきたのに看取ることが出来なかった。これはあってはいけないことだと思います」

「なぜ、こんな目にあうのか? ずっとゲイであることを隠してきた、逃げてきたことがいけないのではないか。自分たちが幸せなら、周りの理解を得られなくてもいいと考えていたのがいけなかったのか。そんなふうに考えることもありました。でも、それにしては釣り合いがとれないくらいひどい話です。大事な人と一緒にいられないような世の中ではいけない」と当時の体験を語った。

「死から1年経っても心の傷が癒えない。人の命は1人に1つではない。1人が死ぬと周囲の人の魂も死んでしまうから」と涙ながらに語るけんたろうさんの姿に、会場からもすすり泣きの声が。「社会には様々な問題があるが、本当は誰もが笑って生きていたい。命という本質的な部分から考えれば、問題も解決できるはず」などと思いを語った。

■自分自身の経験を語り合うことの大切さ

2人の話を受けて原さんは、「1人ひとりの顔を見ながら、それぞれの"自分語り"にじっくり耳を傾けることの重要性を再認識した」と語った。

自殺したい人から相談を受けた際には、まずその決断を受けとめるべきと具体的なアドバイスも。「死ぬことへの批判や、"生きていればなんとかなる"などの言葉はもう聞き飽きている。なんとかならないから、楽になりたいのだという気持ちを受けとめて、でも話をしている時間だけは自分にください、という気持ちで話をしてみよう」などとコメントした。

また、助言をすると相手が自分を否定されたと感じてしまうことが多いので、助言するのではなく、まずはしっかりと傾聴し、信頼関係が生まれるまで十分にコミュニケーションを取ることを心がけている、と相談に乗る際のポイントを語った。

■二重のマイノリティについての問題提起も

最後に行われた質疑応答では、職場の同僚や、PTAの関係者にカミングアウトして受け入れられた教師の体験談や、セクシュアル・マイノリティであり、なおかつメンタルヘルスに問題を抱えた場合に、コミュニティから排除されるダブル・マイノリティという問題も提起された。

(取材・文 宇田川しい

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「東京レインボープライド2016」パレード