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ボコ・ハラムになぜ人々は参加するのか? 元メンバーの語った手口とは

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BOKO HARAM VIDEO FROM 2014 BOKO HARAM
This Friday Oct. 31, 2014 image taken from video by Nigeria's Boko Haram terrorist network, the leader of Nigeria's Islamic extremist group Boko Haram, center, has denied agreeing to any cease-fire with the government and said Friday more than 200 kidnapped schoolgirls all have converted to Islam and been married off. (AP Photo) | ASSOCIATED PRESS
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ナイジェリアのイスラム過激派グループ「ボコ・ハラム」が犯した残虐行為は、人の心をかき乱す。数百人、いや、ひょっとすると数千人の女性や子供たちが拉致された。捕虜となった人は輪姦され、性的奴隷にならざるを得なかったという。自爆テロをさせられた少女たちもいた。男性、女性、そして子供たちに対する執拗な虐殺行為が、ボコ・ハラムを近年で世界最悪のテロリスト集団と言わしめた。

なぜ、このようなグループに参加する人がいるのか。アメリカに本部を置く人道支援NGO「メルシー・コープ」は、元メンバー47人にボコ・ハラムに参加した理由をインタビュー。4月に報告書として発表した。報告書は、多岐にわたるメンバー採用戦略について詳細に解説していた。


ボルノ州でボコ・ハラムに対抗する軍事行動を終えたナイジェリア兵士たち。(ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES)

「彼らの迫害から逃れたかった」

まず押さえておきたいのは、必ずしもすべての新メンバーが、強要されて加入したわけではないということだ。メルシー・コープがインタビューした元メンバーのほとんどが、「強要」と「自らの選択」の、どちらとも言えない部分に入っていた。

数人は脅迫を理由にあげた。友人、家族、または同僚からの、極端な圧力にさらされていたのだという。一方で、貧困で主流社会から取り残されたナイジェリア北東部においては、ボコ・ハラムを、ほんの少し悪い選択肢としてしか見ていなかった人もいた。

「彼らが無差別に人を殺し始めたころに、私は正式にこのグループに参加しました」と、ある男性は告白した。

「商売を続けるためには、彼らの迫害から逃れることが必要だったのです」。


ナイジェリア北東部ボルノ州のチボク地区にある政府系女子学校の廃墟の中に立つナイジェリア兵士。2014年、ボコ・ハラムはこの学校から200人以上の女子生徒を拉致した。(2016年3月撮影 STEFAN HEUNIS/AFP/GETTY IMAGES)

若者たちのベンチャー精神を利用

経済的メリットも参加理由にあげられている。ボコ・ハラムは宗教的イデオロギー、社会的圧力に、経済的な見返りを織り交ぜて人を呼びこんでいたのだ。

経済メリットといっても、貧困と失業状態から逃れるためという単純な理由だけではない。実際、ボコ・ハラムの新メンバーには貧困な者だけでなく、裕福な者もいた。失業者だけでなく、就業者もいることが今回の調査で判明した。

むしろ、ボコ・ハラムは貧弱な金融サービス、不平等、そして腐敗を抱えた地域のなかで成功しようともがいている、若い男性たちのベンチャー精神を利用していた。

元メンバーの数人は、ボコ・ハラムをマフィア型組織と表現した。若い起業家に商店や美容院、洋服屋といった小さなビジネス用のローンを提供する。そして、ローンの返済ができなくなったとき、グループへの参加を強要するのだという。

ある男性は、ボコ・ハラムの採用担当者が「説得のために説教用テープを私に聞かせ始め、同様に私と両親を(財政的に)支援し始めました」と振り返った。採用担当者はしばらくして、この男性がボコ・ハラムに参加する義務があることを伝えた。財政的な“贈り物”がその理由とされたが、この男性は自分の人生のために逃げたのだった。


ナイジェリアのカドゥナ州ザリア地区にある地元のイスラム系の学校で、壊れた窓から外を眺めている少年。

家族や友達同士で参加する女性たち

ボコ・ハラムには戦闘員のほか、密輸や物流といった支援的役割を果たす人も含めて数千人のメンバーがいるとされる。そのほとんどが若い男性だが、なかには女性も存在する。今回のインタビューに応じた元メンバーの約半分は女性だった。拉致されたり、自分の夫に参加を強要された女性たちもいれば、家族や友達と一緒に、自から志願した者もいた。

数人の女性たちは、ボコ・ハラムに参加することで、宗教的研究の機会や過激派グループ内での地位が得られると説明した。

「クルアーン(コーラン)と宗教について、私はもっと学びたいと思っただけなのです」と、ある女性はメルシー・コープに語った。


拉致から2年目の2016年4月14日、行方不明になっているチボク地区の女子生徒の解放を求めて、アブジャの決起集会で「私たちの少女を返して」キャンペーンの行進をするメンバーたち。(PHILIP OJISUA/GETTY IMAGES)

「強要しなければ、参加者がいなくなった」

報告書は、ボコ・ハラムメンバーのプロフィールやグループに参加した動機を紹介するとともに、メンバー増加の流れを食い止める方法も提示。金融サービス、元戦闘員の社会復帰、この地域においてボコ・ハラムに対抗できる「カウンター・ナラティヴ」(対抗方法)へのより一層の支援を推奨している。

これらは、背景や現状を十分に注意して読み解く必要がある。ボコ・ハラムは2002年に登場したときとは、ほとんど見分けがつかないくらいに変化しているためだ。

ボコ・ハラムの創設者であるモハメド・ユスフが2009年に殺害される前、このグループは急進的ではあったが、非暴力をかかげていた。この地域で横行していた腐敗に対抗し、厳格なイスラム教的統治を信奉していただけの存在だった。

しかし、ユスフが殺害されるとボコ・ハラムは地下組織になった。その後、強硬的でつかみどころのない新指導者アブバカル・シェカウのもと、ボコ・ハラムは残忍な反体制グループに変貌した。

報告書をまとめた一人、メルシー・コープのレベッカ・ウルフさんはハフポストUS版に「今回の調査によって、2009年以降のボコ・ハラムの新メンバー募集方法に、“顕著な変化”があったことがわかりました」と述べた。

「ボコ・ハラムがより暴力的になるにつれ、地域社会から受け入れられなくなりました。人々は強要されなければ、参加しなくなったのです」


非暴力的急進派としてスタートしたグループは、指導者アブバカル・シェカウのもと、残忍な反体制グループに変容してしまった。(ASSOCIATED PRESS)

創設から続く裕福なメンバーを集める「ビジネススキーム」

さらに調査メンバーは、強引なマイクロ融資スキームを通じて裕福な新メンバーを集めるボコ・ハラムのやりかたは、モハメド・ユスフがグループを創設した頃によく見られた方法だったと指摘した。

「ユスフ自身、カリスマ的な説教者であるだけでなく、裕福でした」と、『ボコ・ハラム:ナイジェリアのイスラム系反政府組織』の著者バージニア・コモリ氏はハフポストUS版に語った。「彼は、少額のお金を融資できました。お金を借りた人は、その資金を元にバイクタクシーのような小さなビジネスを始め、収益(の一部)をグループへの会費として返済していたのです。人を集めながら収益をあげる手段として、この方法は一石二鳥でした」。

ユスフが殺害されて以降、このやり方を見ることはあまりなかったとコモリ氏は言う。しかし、メルシー・コープの今回の調査で、経済的なメリットを提示する慣行が続いていたことが判明した。

報告書をまとめたひとり、リサ・インクス氏はハフポストUS版に「2009年以降に(ボコ・ハラムに)参加した元メンバーの数人と話をしましたが、ビジネス支援の申し出に、少なくともある程度は影響を受けたか、強要されたかのどちらかでした」と明かした。


ナイジェリアのマイドゥグリの壁に貼られたポスター。指名手配中のボコ・ハラムのメンバーを特集している。(JOSSY OLA/ASSOCIATED PRESS)

今回の調査は、ボコ・ハラムが世界の他の過激派グループと同様、地域の社会経済的・政治的不満につけこみ、様々な方法で人々を惹きつけ、脅迫や強要によって採用する方法を明らかにした。

「人は暴力的なイデオロギー、そして国家に対する正当な不満から、グループに惹きつけられるのです」と、コモリ氏は語った。「銃とミッションを与えられれば、ひとかどの人間のように感じるでしょう」。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。


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