ゴードン・パークス〜黒人の公民権運動で、「写真」が持つ重要性を示した男がいた。

カメラそれ自体は政治的なものではない。しかし、写真や映像は、多くの人たちの認識を改めたり、改革、革命の芽を広げたりする可能性を持っている。

無視することのできない画像がある。例えば、ドライブレコーダーで撮られたサンドラ・ブランド逮捕の交通違反での瞬間の映像。彼女が刑務所で死亡した状態で発見される3日前のものだ。シートで覆われたマイケル・ブラウン君の遺体が映った静かな画像。丸腰の18歳の青年が警察官に銃で撃たれ致命傷を負ったすぐ後に撮られたものだ。シンプルなメッセージを掲げた大群衆が抗議をする写真。群集が掲げるメッセージは馬鹿馬鹿しいくらいシンプルなものだ:「Black Lives Matter(黒人の命だって大切)」

カメラそれ自体は政治的なものではない。しかし、写真や映像は、多くの人たちの認識を改めたり、改革、革命の芽を広げたりする可能性を持っている。現代の抗議運動はSNSによって促進され、アメリカ国内で黒人であることによって受ける組織的な不正や暴力の実態を鮮明に映し出している。

写真家のゴードン・パークスは、1912年にカンザス州のフォートスコットで生まれた。その頃、写真家が黒人の生活や、我慢を強いられ苦労する様子などを撮ることは考えられなかった。黒人に向けられる視線そのものが、戦いだった。その戦いにパークスは一生を捧げたのだ。

貧困の中で育った彼は、15人兄弟姉妹の末っ子だった。高校を卒業してからは、セミプロのバスケットボール選手やウェイター、皿洗い、売春宿のピアノ弾きなど、いくつかの仕事を経験する。時が経つにつれ、パークスは農業安定局のプロジェクトのために撮られた写真に夢中になった。このプロジェクトは、1929年から始まったアメリカの大恐慌とその後の干ばつで困窮を極めた農村地域の惨状を記録した写真史上最大規模のものだった。

「カメラは貧困や人種差別、あらゆる社会的不正に対抗する武器になるんだと知りました」と、彼は亡くなる7年前の1999年に、インタビューに答えている。「その時点で、カメラを持たなければいけない、と思いました」。パークスはやがて質屋を訪れ、自分用のカメラを購入した。

1948年から1972年まで、パークスはライフ誌のカメラマンを務め、出版業界の歴史上、初めてのアフリカ系アメリカ人の写真家となった。ライフ誌で働く間にパークスが撮った画像は、公民権運動の歴史の中で不朽の名声を与えられ、彼の撮影がなかったら決して語られることはなかったかもしれない歴史をつなぎあわせている。

「Gordon Parks: Higher Ground(さらなる高みへ)」と題された写真展では、アメリカ南北戦争終結150周年を記念し、パークスによる著名なライフ誌の写真エッセイ8冊が展示された。画像は同時に革命に火をつけ、その過程を詳細に記録し、変化を起こさせる力強い武器としての写真の計り知れない力を表現している。神学博士のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは1961年にこう述べた。「マスメディアが証拠となる情報を提供するまで、世界は歴史の恐ろしい物語をほとんど信じようとしない」

パークスのエッセイは「一人の人間が見えなくなる」で始まる。これはラルフ・エリソンが1952年に全米図書賞を受賞した小説”見えない人間”に基いている。エリソンの小説は、無名の黒人の主人公の視点から、アメリカで黒人として存在しているという、孤立させられた経験を探っている。パークスの写真のひとつに、”見えない人間の隠れ家”という題がつけられ、無名の被写体が一人腰をおろし、1369個の白熱電球が照り輝く中で、ルイ・アームストロングのレコードを聴いている。

その後間もなく、1956年にパークスは”人種差別の物語”という題のシリーズものに乗りだし、1950年代のアラバマ州で、ジム・クロウ法による人種差別下で生きる、アフリカ系アメリカ人家族、ソーントン一家の生活のドキュメンタリー写真を撮った。パークスは、人種について正義を求める戦いの中で、画期的事件となるような瞬間に焦点を合わせるのではなく、偏見を静かに示す行為にレンズを向けた。アイスクリーム・ショップの黒人と白人を分ける線や、地方の百貨店の裏口など、たいてい写真に残したりしないようなものに。

彼の写真は、人種差別の核にある最も凶悪な"神話"を暴こうとした。それは、肌の色が違う人々には本質的に違う性質がある、というものだった。パークスは、カウチに座ったり、外で遊ぶ姿といったソーントン一家の最もありふれた瞬間を記録しながら、白人のそれと何ら変わらない、アフリカ系アメリカ人の"平凡な"生活の素晴らしさをとらえたのだ。

彼の写真は、人種差別の実態を、初めて多くのアメリカ人の前にさらけ出した。それによっていやおうなしに連続して起こった出来事は、今日良く知られている公民権運動を引き起こした。パークスの1963年の作品群「ワシントン大行進」は、黒人の歴史のなかの一場面を記録しており、その中には、ワシントン記念塔の周りにあらゆる背景を持つ大勢の人々が、必死に変化を求めて集まる、忘れることのできない写真も含まれている。

パークスは、人種的正義のために戦うもうひとつの分派で、アメリカの白人と黒人の分離に賛成する「ネーション・オブ・イスラム」も記録した。マルコムXとイライジャ・ムハンマドによって導かれたこの運動は、白人ジャーナリストを拒絶したが、パークスは前例ない規模で、学校や商店、礼拝所、自衛訓練などといった同運動の独特な文化への取材を許された。

パークスと同じように、マルコムXは視覚に訴える表現の力強さをよく認識していた。モーリス・バーガーはマルコムXを、その時代で最もメディアに精通した黒人指導者の一人だと言った。マルコムXは、マスコミ向けに、カリスマ的で威厳のある顔をカメラで印象づけようとしたほか、自分でもよくカメラを持ち歩き、彼の周りで活気にあふれる孤立した社会の進行状況を写真に収めた。パークスはこれを、"collecting evidence(証拠集め)"と呼んだ。

写真展を飾るその他の写真エッセイは、デューク・エリントンやモハメッド・アリ、ブラック・パンサーなどを中心にしている。それらは、公民権運動の歴史と黒人の写真のどちらにも光を当てていて、二つを切り離すことはできない。今日、キャリー・メイ・ウィームズ、ラトーヤ・ルビー・フレイジャー、ローナ・シンプソンなどの写真家は、写真を通して真実を語ることや、積極的行動主義をとるというパークスの遺産を継続させようという人々のうちのほんの数名にすぎない。

「写真によってとても力づけられます。なぜなら、真正面からしっかりと一つの重大事件を捉えることができれば、失われたものや困難、苦痛に対処するときに役に立ちますから」と、2015年にマッカーサー・フェローの認可を受けたフレイジャーはナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)に説明した。「そして、それは人間生活の記録、公文書、不公平や不正、労働者階級に対してなされたことの証拠をつくりだすことにも役立つのです」

今日、アメリカの黒人たちの生活に関する、時に落胆するような、時に刺激的な画像が、それぞれ生命力を持ちながら世の中に溢れている。それが、ビヨンセのビデオ「フォーメーション」のスチール写真であれ、ハリウッドのアカデミー賞が驚くほど白人だらけだということであれ、黒人の多いミシガン州フリントで、水質汚染に困っている住人たちが、それを飲むことを強要されている写真であろうと。

今は亡き人となったパークスは、単にアメリカの歴史上の最も重要な瞬間のいくつかを記録に収めただけではなかった。彼はカメラを従え、一群のイメージ・メーカーやドキュメンタリー作家、活動家、アーティストのために道を切り開いた。「見ないふり」をすることができない人々のために。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

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Gordon Parks
Cortesia e copyright The Gordon Parks Foundation \n
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Sem título, Alabama, 1956 Archival Pigment Print
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“Sr. e Sra. Albert Thornton”, Mobile, Alabama, 1956
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Sem título, Alabama, 1956 Archival Pigment Print
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Salon 94 Cortesia e copyright The Gordon Parks Foundation \n\n
“Barbearia em casa”, Shady Grove, Alabama, 1956 Archival Pigment Print
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“Crianças brincando”, Mobile, Alabama, 1956 Archival Pigment Print
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“Ondria Tanner e sua avó olhando vitrines”, Mobile, Alabama, 1956 Archival Pigment Print
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