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祖父は原爆投下機に乗っていた。アリ・ビーザーさんが、広島から被爆者の声を届ける意味

2016年05月27日 15時45分 JST | 更新 2016年05月27日 16時55分 JST

オバマ大統領の広島訪問。この出来事を、広島市で特別な感慨を持って見つめるアメリカ人がいる。

アリ・ビーザーさん、28歳。彼は今、被爆者たちの声を世界に届けるための動画を制作している。それには理由があった。ビーザーさんの父方の祖父は、原爆を投下した爆撃機に搭乗していたのだ。

なぜ彼は被爆者たちに会おうとしたのか。そして、世界に発信したいメッセージは何か。その思いを聞いた。

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私の家族は「原爆」というキーワードで繋がっていた

——アリさんの祖父ジェイコブ・ビーザーさんは、エノラ・ゲイ(広島に原爆を投下した爆撃機)に乗っていたそうですね。

はい、彼はエノラ・ゲイと、長崎に原爆を落とした「ボックス・カー」の2機ともに乗っていた唯一の人でした。なので、私が住んでいたボルティモアでも、私がジェイコブの孫だという話は、公式情報のように誰もが知っていました。

母方の祖父の友人に、広島で被爆した女性がいました。これは本当に偶然です。戦争が終わると、彼女はボルティモアに引っ越し、祖父と同じ仕立屋として働いていました。私の父と母が出会う前から、彼らは「原爆」というキーワードで繋がっていたのです。

私の両親が結婚した時、その広島の女性は結婚式に来ませんでした。祖父が地元でも知られた存在だったので結婚式の様子は地元紙「ボルティモア・サン」にも掲載されましたが、彼女は私の父に会おうとはしませんでした。

私が8歳の頃、アメリカにいた彼女に会ったことがあります。家族同士の集まりといった感じで、かしこまった形ではありません。

——あなたの祖父が原爆を投下した戦闘機に乗っていたことを知ったのはいつですか?

覚えている限りでは、6歳、小学校1年生の時です。その前から、ずっと知っていたかもしれませんが、記憶にあるのは、アメリカで毎年行われている復員軍人の日(11月11日)に第二次世界大戦のことを学んで、そこで先生が、祖父がしたことをみんなの前で話したことです。

——その時、どう思いましたか?

(少し沈黙)私たちはその長期間に及んだ残酷な戦争について、そして日本軍が犯した恐ろしい行為のすべてを(原爆によって)終わらせたと学んでいましたから、先生はそのように教えなければいけないと言っていました。例えば、日本が真珠湾攻撃を仕掛けて戦争を始めたとか、ひどいことをたくさんしてきたとか。

そして、学年が上がるにつれて、このような残虐な出来事をより詳しく教わるようになりました。そして、アメリカ人は戦争を終わらせるために、原爆を落としたんだと教えられたのですから、疑うことなく「それは正しかった」と思うようになりました。そのように教育されてきたのですから。

しかし、私の心の中では、原爆投下を善悪に分けることはできません。戦争に善はありませんし、人を殺すことに正義はありません。被爆者の人たちは今も苦しんでいます。重要なのは、加害者は誰で、犠牲者は誰なのかを決めることはできないということです。第二次世界大戦では、誰も純粋な犠牲者とはいえないのです。

被爆者と交わした、「彼らの体験を伝える」という約束

——その後、2011年8月に来日されました。日本に来ようと思ったきっかけは?

祖父と、もう一人の祖父の友人である被爆者の女性に関する本を書くためです。大学に入る前から、ずっと祖父たちの本を書きたいと思っていました。彼女は既に他界していたので、私は彼女の家族に、本を執筆するにあたり連絡しました。しかし、彼らは協力したくないと言いました。「私たちはあなたの友人だが、このことについては話したくありません、私はこの被爆した女性の姪ですが、他人に自分の人生を干渉されたくないのです」。彼女は私を自分の子供のように思ってくれましたが、断られました。

——日本を訪れてあなたの考えは変わりましたか?

もちろんです。広島に来て、そして被爆者と話して、変わりました。

ただ、彼女は「(原爆の)被爆者に会いなさい。彼らに残された時間は限られているので、できるだけ多くの被爆者に会わなければいけません」と言いました。それを私は実行してきたのです。

当初は、本は簡単に書けると思っていました。祖父の友人の家族にあって、彼らのことを書き、もう一人の祖父のことを書き、そして友人の家族たちと時間を過ごせばいいと思っていたのです。しかし、彼らから取材を断られ、生存者に会うべきだと言われたことから、私の取材はできるだけ多くの生存者に会うという長い道のりをたどることになりました。

まず、広島平和記念資料館に連絡し、2〜3人の英語を話せる被爆者を紹介してもらいました。そのうちの1人、小倉桂子さんは広島でも顔が広く、また、私の行ったインタビューの全てを通訳してくれました。

そして、私はついに千羽鶴を折った少女、佐々木禎子さんの甥の佐々木祐滋さんの家族に出会いました。また、トルーマン元大統領の孫が2012年夏に広島を訪ねた時、佐々木さんたちに誘われて私も彼と面会しました。そのお孫さんはトルーマン家で初めて日本に来た方でした。その時、私たち2人は様々な被爆者の方々とお会いし、彼らの体験を話してもらいました。

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——あなたが自分の生い立ちを話した時の彼らの反応は?

トルーマン元大統領の孫が来ていたので、彼らはその方により関心があったみたいです。ただ、私にとってそこは学びの場でした。自分の祖父がしてきたことで、その場にいることができたからです。

私は結局、自分の祖父と自分たちの体験を伝えて欲しいという被爆者の話を「The Nuclear Family」という本にまとめました。

被爆者との対話を本にまとめたのは、面会した被爆者との約束でした。彼らは自分たちの体験を伝えてほしいと言い、私は約束しました。そして本を書いたのです。

私にとって、若い世代に被爆者たちの体験を伝えることがもっとも重要です。私は昨年から日本で、雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」とフルブライト奨学金制度から助成を得て、原爆投下70年目と福島県原発事故5年目の取材を続けています。核が社会的にどのような影響を及ぼすかについて取材し、当事者の声を届けています。原発事故で自分の家に帰ることのできない「原発事故難民」がまだ大勢います。そして、高齢化した被爆者は毎日のようにこの世を去っています。私たちは本当に彼らが伝えようとしていることに耳を傾けなければならないのです。それが今現在、私がやっていることです。

将来私がしたいことは、この撮りためてきた被爆者へのインタビューを「ブログドキュメンタリー」として完成させることです。これは誰もが学べるように無料でネットに掲載しようと思っています。ドキュメンタリーではなく、「ブログドキュメンタリー」と名づけているのは、これを売り物にしたくないからです。このプロジェクトにはスポンサーが付いて制作しました。完成したら、誰でも見られます。その動画は常に自分の一部となり、常に自分を重ね合わせたストーリーとなるでしょう。私はまだ28歳なので、このプロジェクトを進めることで身についた技術を最大限にするよう努力し続け、今までとは違うストーリーやトピックで撮りたいと思います。

国の問題ではなく「同じ人間の問題」として考えるということ

——このテーマ以外で、これまでどのような撮影をしてきましたか

私はこの本を完成させる前に、1年間アフリカのルワンダに行きました。

ルワンダでは、現地の人に動画編集を教えていました。かけがえのない経験でしたね。誰もが戦争の悲劇を繰り返さないために「核兵器なき世界」について話しますが、ルワンダではたった100日間で核兵器を使わずに約100万人の人が殺されました。なので、私は核兵器のある世界を変える必要があるのではなくて、私たちの考え方を変える必要があると思います。

そして、今回のオバマ大統領訪問が、核兵器のない世界の実現だけではなく、「文化的ギャップ」の上にかかる架け橋作りの後押しになればいいと思っています。

——文化的ギャップとはなんですか。

原爆に対するアメリカ人と日本人の視点の違いです。またアジア各国の日本に対する一般的な視点です。

アメリカ大統領が日本に来ること、そして広島に来て、亡くなった方々の命を認識し、犠牲者を尊び、祈りを捧げ、核兵器廃絶のメッセージを約束すること。そうすれば、他の国の首脳たちも、自分たちの国がかつて戦争や衝突を起こした悲惨な地域に行けるようになります。そこで謝罪するのではなく、戦争の犠牲者に敬意を示し、核兵器であふれている世界をより良いものしようとできるのです。

核兵器保有国がこの世に存在する理由は、核兵器を持っている国同士の関係が悪いからです。アメリカ、そしてオバマ大統領は世界に、核なき世界を2009年にプラハで提唱しました。しかし、ロシアはクリミアに侵攻し、核兵器削減に何ら貢献しませんでした。貢献しないどころか、プーチン大統領は、必要に応じてクリミアに対し核兵器を使うとまで言ったのです。このような国家間の関係が好転しない限り、核なき世界は訪れません。なので、変化は内側からゆっくりと進んでいくと思います。

アジア各国間の険悪な関係も、内側から解決しなければいけません。私がアジアの人たちに向かって、「いがみ合うのはやめて、お互いを好きにならなければいけません」と言っても、意味がありません。私はアメリカ人だからです。

——あなたはすべてがつながっていると気付いたのですね。

まさにそうです。特にアジア諸国の関係を今よりもずっと良好にするため、つまり内側から関係性を良くするために変わろうと努力すれば、多くの人の中で、敵対的な感情は鎮まるでしょう。そして核兵器の必要性も少なくなるでしょう。関係が強く保たれているから、脅かそうとしている国を相手にしないでしょう。

現在、アジアには信頼は失われ、多くの負の感情があると感じました。私は日本、韓国、中国3カ国の人々が互いに持っている感情を、日本に来るまで知りませんでした。私が見る限りでは、アジアは世界にとって非常に重要な地域ですから、3カ国が良好な関係を築くことはアジアの安全保障だけでなく世界の安全保障において重要な意味を持ちます。核兵器をなくそうという代わりに、核兵器がいらなくなるくらい国同士の関係を良くしなければいけません。それはとても困難なことですが。

——だからあなたは国の壁を超えて、被爆者の話を伝えているわけですね。

そうです。だから、アメリカ人がこんなことをしたとか、日本人がこんなことをしたという視点で見ないようにしています。その代わりに、人間がその行為をする理由は何なのかと考えています。私は、原爆が投下されて起きてしまった現実を直視したくありませんが、なぜ人間がこんなことをしてしまうのかを知りたいのです。私はアメリカ人であなたは日本人。71年前にはお互いが敵国だったので、こんなに落ち着いて、仲良くしゃべることなんてできませんでした。本当に不思議なことです。

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インタビューはSkypeを通して行われた。

——あなたはいつも政治的なテーマを取り扱っていますが、国の問題ではなく、人間の問題としてとらえているのですね。

そうしなければいけないからです。私たちは人間として、どんどん近い関係にならないといけません。法の下では、国境線を引くことは重要かもしれません、ただ、私たち人間の中では国境線はあまり意味をもちません。私たちはひとつしかないこの地球を破壊しようとしています。それを私たちは止めなければいけませんが、その行為は止まりません。私はみなさんに訴えたい。私たちがお互いに違う人間だと認識することを、やめなければいけない。

私たちは、それぞれ自分たちの文化があり、私たちの地域があり、特別でユニークな存在です。そしてそれを排除することはできません。もちろん、日本の文化は美しいし、アメリカの文化はすばらしい。もちろん他の国の文化も固有のものですが、私たちはそれでも同じ人間です。文化的なアイデンティティを排除してはいけませんが、お互いを別の人間として見ることをやめなければいけないのです。

それぞれの場所にそれぞれの文化が存在する限り、それぞれのイデオロギーがあるのは仕方がないことです。ただ、この問題を政治的なものとして考えるのではなく、同じ人間であるという視点を持つことにより、より問題が少なくなるでしょう。アメリカ人と日本人の間では簡単かもしれませんが、アジアの国同士では多くの苦しみと怒りを抱え、政治的な駆け引きが繰り広げら