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50歳で「才能あるクリエーター賞」を受賞。パリで活躍するニットデザイナー原田江津子さんの生きかた

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フランス・パリで手編みニットのアクセサリー・デザイナーとして活躍する原田江津子さん。ブランド「タンブール・パリ」を立ち上げ、パリ11区でショップ兼アトリエを運営。作品は、パリの有名セレクトショップのメルシーや、日本では百貨店やセレクトショップ「アッシュ・ペー・フランス」などで販売されている。


パリ11区のショップ兼アトリエ「タンブール・パリ」

ジュエリーと時計の国際見本市「ビジョルカ・パリ」の2016年ファンタジー・ジュエリー部門で“才能あるクリエーター”賞を受賞。パリの女性市長アンヌ・イダルゴからも激励の手紙が送られたという。

2016年、50歳を迎えた原田さんは、クリエーターであると同時に、高校生の息子と中学生の娘の母としての顔も持つ。19歳でパリ留学を決意した原田さんに好きなことを続ける生きかたや、仕事と子育ての話を聞いた。

■編み物教室の講師をしていた、憧れの母からの影響

――原田さんは、物心ついた頃から、かぎ針を握っていたそうですね。

私の母は、編み物教室の講師で、3カ月の産休が終わると、すぐ教室を再開し、赤ん坊だった私を傍らに置きながら、教え始めました。私はそこで、1歳の時にかぎ針を持って鎖編みを始めたんです。人に言ってもあまり信じてもらえませんが、その頃の記憶も残っていて、鎖をあまりにも長く編んだので、隣の部屋まで届いていたのを覚えています。

5歳の頃、母に(60年代に活躍した)イギリス人モデルのツイッギーが付けていたようなチョーカーを編んでプレゼントしました。小学生になってからは、マフラーやミトン、編みぐるみなどを作ったり、家に友達を読んで、一緒に母から編み物を教わったりしました。

――今の仕事をされているのは、お母様の影響が大きいのですね。

小さい頃から、おしゃれな母の姿は輝いて見えました。主婦と生活編み物研究会の技術指導開発部にいたころ、生徒たちの卒業制作の指導をしていて、その作品を発表するファッションショーなども、小学生の頃から見ていましたから。

――当時からファッションの仕事をしようと思っていたのですか?

ただ、中学・高校の時はバスケットボールに夢中になっていたし、その頃は、将来は障がい者介護の仕事に就こうと考えていたんです。

母は、13歳年上の姉から編み物を教わったのですが、彼女は、生まれつき障害があり、早くに亡くなってしまいました。母はその後、自分の姉への感謝の気持ちを表すために重度心身障害児施設への寄付を目的としたチャリティ・バザーを始めました。また、家から遠くないところにハンセン病療養所があったこともあり、自然と介護の仕事に興味が湧きましたね。

でも、進路指導の時期になって「やっぱりアパレルを学びたい。介護の仕事はその後でもできる」と思い直し、武蔵野美術短期大学に入ったんです。さらに卒業後、パリに本校がある、歴史のある服飾専門学校エスモードに通いました。

■母とは違う道を目指し、パリに留学。アパレルの世界へ

――パリで学びたい、と思ったきっかけは何でしょうか?

私が9歳の時、母が毛糸メーカー主催のコンクールで最優秀賞を取ったんですが、その副賞がパリ旅行でした。母から旅行先の話を聞き、写真を見せてもらい、いつかパリに行きたいと思っていました。

また子どもの頃から、母が人に教えるのではなく自分の作品を作ることに専念していたら、パリの一流メゾンで活躍したに違いない、とずっと感じていたのです。母は主婦としても、掃除や洗濯は毎日するし、料理も手抜きせず、食卓にはいくつものおかずが並びました。

「母とは違う道を歩みたい、ファッションに専念してみたい、そのためには日本を出なければいけない」と、19歳の時に思いましたね。

ただ、パリに行くことに父は猛反対。私に家族のそばで暮らして欲しかったんです。留学費用は出さない、と言われ、それなら自分で貯めなきゃ、と時給のいいバイトを探し、銀座のクラブで働くことにしました。

――銀座のクラブですか。

あるお店の面接に行く途中に別のクラブのママさんにスカウトされ、そこで週3回3時間働きました。娘が二人いたママさんはとても親切で、オートクチュールのドレスを貸してくれたり。お店でお客さんにパリ留学の話をすると、皆さん応援してくれたり。父もクラブで働くことは、社会勉強になる、と認めてくれました。

当時は睡眠4時間で、フランス語の勉強と学校の課題をこなし、父には成績表を見せて、バイトを始めてからも成績が落ちていないことを証明して。最後には、父も「1年だけだぞ!」と条件付きで、仕送りしてくれることになりました。

――念願かなって、フランスに渡ったのが、1988年。パリでは、どのような活動をされましたか?

専門学校を卒業後、フリーランス向けの労働ビザを取得しました。ベビー・ディオールのカタログにイラストを描くバイトをしたり、コレクションのためのデザイン画を描いたり、パタンナーとして働いたりしたことも。免税店でプレタポルテを担当し、クリスチャン・ディオールやイブ・サンローランなどの服を販売、ディスプレイやバイイングの手伝いもしました。

日本でインポート・ブランドがブームだった90年代は、買い付けの手伝い、フランスでの生産から出荷までを管理したり、日本のアパレルメーカーがパリにブティックを立ち上げる時のコンサルティングをしたこともあります。また、個人的に注文を受けて服も作っていました。

そして、96年に、パリに来た頃に知り合ったフランス人男性と結婚したんです。

■子育てをしながら、手編みを再開し、ブランドを立ち上げる

――結婚して3年目に男の子を出産されたそうですね。その後、子育てと仕事の両立はどのようにされましたか?

実は卒業後、憧れの有名メゾンで仕事をした時に、私のいる場所ではないと感じました。年を重ねるごとにファッションのあり方にも疑問を感じて。同時に一本の糸からできる無限の可能性を秘めたニットに強く引き寄せられていき、絶えることなく作品を作るようになっていました。良い機会だと実感して、それで、仕事はすっぱり辞め、子育てに100%集中しました。


当時の長男と原田さん

娘も生まれ、子育てをしながら、子ども用カーディガンやクッション、母のチャリティに出品するマフラーなどを編んでいたところ、マスコミ関係の仕事をしている友人が、作品カタログを作ってみたらと提案してくれて。それで、アクセサリーやマフラーの注文が入ったり、また、ショップを経営している友人が作品を置いてくれたり。

――家族のため、そしてチャリティで、手編みを続けていたんですね。

あるときに、フィンランド人アーティストの友達から、パリのプロ向け展示会に出るようにお奨めされ、「タンブール・パリ」のブランド名で出展してみたんです。そこで、セレクトショップ「アッシュ・ペー・フランス」や日本の百貨店のバイヤーが買い付けてくれました。また、女優で歌手のルー・ドワイヨンが私の作品を気に入ってくれて、よく買ってくれる上に、友達にも宣伝してくれて、それが自信につながりました。


「タンブール・パリ」手編みニットのアクセサリー

――仕事に復帰するという意識もないまま、いつの間にかプロのクリエーターとしてデビューした、という感じでしょうか。「タンブール・パリ」の名前の由来を教えていただけますか?

タンブールはフランス語で太鼓のこと。私は話をするのが得意ではなく、作品を通して大切でシンプルなメッセージを打ち出しています。太鼓も素朴な音とリズムだけで自己表現をするものなので、これは私にぴったりだな、と。

■パリでショップをオープン。仕事をする上で欠かせないこと

――2012年4月にはタンブール・パリの名前でショップ兼アトリエをパリ11区にオープンされました。そこで、研修生を指導するなど忙しい日々を送られています。仕事と家事・子育てを両立させるコツはありますか?

フランスでは女性が出産後も働くのが当たり前、という風潮がありますが、子育てと仕事の両立はたいへん。まず、ショップは家から歩いて2分のところに作り、店をオープンしてからは、サロン出展を止めました。

また、自分たちが暮らしている地域なので、近所の人たちに愛される店を目指しました。通りがかりで入って来たお客様が、「素敵なお店ね、また、来ます」、「目を楽しませてくれて、ありがとう」などと言ってくれると、とてもうれしい。


「タンブール・パリ」展内に並ぶ手編みニットのアクセサリー

実は、店の改装を4カ月かけて、手掛けてくれたのは、私の夫なんです。仕事をする上では夫の協力や理解が欠かせませんが、家事や子育ての手伝い以上に、私のやりたいことを理解して、自由にやらせてくれる点が精神的にもとても助かっています。

今は、子どもたちも手がかかる時期は過ぎて、2015年の日本でのチャリティバザーには、私の代わりに13歳の娘が、日本に作品を持って行き、母を手伝ってくれました。


「タンブール・パリ」の店内

■50歳で、大きく飛躍。今後も……

――50歳になられた今年、国際見本市ビジョルカ・パリの2016年ファンタジー・ジュエリー部門で「才能あるクリエーター賞」を受賞されました。その会場で、有名ブランドからコラボの提案があった、と伺っています。原田さんにとって、大きな飛躍の年になるでしょうか?


国際見本市ビジョルカ・パリに出展した原田さん

私はその時々の世界情勢や、自分を取り巻く生活環境から感じたこと、自分の気持ちをメッセージとして作品にこめて来ましたが、今回、賞をいただいたのは、メッセージが時代にマッチした、という感じです。他にもたくさんの素晴らしいクリエーターがいますが、こういうものは時代性や主催者が打ち出したいものに左右されますから。

今年の春夏コレクションのテーマは『私の庭へ』です。「皆様を自分の庭に招待したい」そんなイメージの花をテーマにしたコレクションで、花、葉、芽、種、木、などを加工した作品が中心です。パリでテロ事件が続き、恐怖、怒り、疲れを感じた後に、春の陽を受けながら、素朴な花に囲まれ、香りを楽しみ、草の上でお茶をいただき、平和なひとときを過ごしに来てください、という招待状です。

――パリの女性市長アンヌ・イダルゴから、激励の手紙を受け取られたそうですね。

イダルゴ市長からの手紙には、自分が、フランスで、やっと認められたんだ! という実感から、涙が止まらず、そのまま倒れそうになったほどです。

それから今まで、タンブール・パリは個人事業として登録していましたが、今年の2月に株式会社に変更。ここまで自分を支えてくれた、友人や両親が株主になってくれました。

――やりたいことをずっと続けて来て、それが今、大きく発展していこうとしている時なのですね。最後に今後の抱負を教えてください。

私自身は、これからも、今までどおり、自然界に思いを寄せ、自分に正直な心を持って、『我が道を行く』という姿勢で生きて行きます。

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(パリ在住ライター 江草由香)