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「落ちこぼれを作らない」は本当? 障害児の母が見つめた、フィンランド教育の現実

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2000年初頭より、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)で常に上位の成績を打ち出し、世界に注目されてきたフィンランドの教育。その特色は、「無料の義務教育で、貧富の差、性別や地域差が無い平等性」「修士課程を修了したレベルの高い先生」「宿題やテストが少ない、競争を廃する指導」「学校や先生の裁量が大きい」「補修や留年にも柔軟に対応し、落ちこぼれを作らない指導」などが挙げられる。

とりわけ「競争が無い」「落ちこぼれを作らない」といった効率主義に反するポリシーは、高福祉のフィンランドらしく、教育の新しい価値観とされた。

実際に、2010年に就学した長男が受けているフィンランドの教育には、上記の長所が多く見られる。一方、2015年に就学した重度言語障害児の次男は、危うく落ちこぼれのまま放置されるところだった。フィンランドでは2001年から2010年までの間に、学校で特殊支援を受ける児童の数が60%も増加しているという。しかし、そのサポート体制は児童の年齢や地域によって大きな差があるといわれている。

言語障害のある子供を持つ母がフィンランド人の夫と体験した、公教育で経験した戸惑いの軌跡を記したい。


ラステンリンナ小児科病院の掲示板。ADHD、自閉症スペクトラムなどの障害を紹介する小冊子

■「重度言語障害」の次男の特殊支援

次男には、脳神経系統の言語障害があり、年相応の会話はできない。視力には問題が無いのに字が読めない識字障害と同様、次男には音声は聞こえているものの、内容を正しく聞き取り理解することが難しいのだ。しかし知的障害は無いので、先生からの一斉の指示や質問も、近くに来てわかりやすく繰り返してもらえば、理解し行動に移すことができる。

3歳の時にヘルシンキ大学中央病院で「重度言語障害」と診断された次男は、KELA(社会福祉省庁)からの補助で、週1~2回の言語療法(リハビリ)を無料で受け、保育園、プリスクール(就学前教育)では専属のアシスタントが付いた。通常6歳児が通うプリスクールも5歳から予習参加することができる「延長義務教育」が受けられることになった。そこには、義務教育期間中に特殊支援を受ける権利も含まれている。


次男の言語療法(リハビリ)用に無償で提供された絵カードフォルダー。プリスクールを卒業する頃には、これが必要なくなるほど言語能力が伸びた

次男の就学先には、長男も通う首都ヘルシンキ郊外のトゥースラ自治体の公立A小学校と、「小さいクラス(特別支援級)」がある公立B小学校の2つの選択肢があった。夫婦で悩んだ結果、プリスクールでの経過が予想以上に良かったので、A校を選んだ。

就学前に、病院の検診では主治医から「普通学級では随時アシスタントをつけるように」という診断書が出たので学校に提出。夫が学校にかけあい、次男にアシスタントをつけてもらえるようお願いした結果、教頭先生から「1週間に15時間のサポートをつける」というメールが来た。わずか数行のその返事は、まるで合格通知のように嬉しかった。


次男が7歳になるまで、検査や経過観察のために通った、ヘルシンキ大学中央病院(HUS)付属のラステンリンナ小児科病院

■実際は、アシスタントなしの学校生活

ところが、8月から学校に通い始めた次男からは、1カ月経ってもアシスタントらしき人物の名前や存在を聞くことは無かった。給食の時間に食堂に移動する際、校内で迷子になったこともあるらしい。にわかに信じがたかったが、次男はアシスタント無しで学校生活を送っているようなのだ。

9月末のある朝、始業時間まで校庭で遊んでいた次男は、遊具の前で順番待ちをしていた。日本のような集団登校はないので、私が付き添って登校する。学校に校門はない。始業前の校庭の安全管理は、各校の判断にゆだねられている。


登校時に使ってるリュックサックと、国語と算数の教科書。言語障害が無ければ、他の子と同じように携帯電話を持たせて登下校させるのだが、今のところ夫婦で送迎している

遊具は、先に使っていた児童たちに占領され、なかなか順番が巡ってこなかった。しびれを切らした次男が「長いよ」と言っても代わってもらえず、交代することを拒んだ児童に突き飛ばされてしまった。遊具のすぐそばでその様子を見て「やっぱりな」と私はうなだれた。ちょっとおかしな話し方をする次男は、近所の公園でも子供たちに無視されることが多いのだ。

始業のベルと共に、次男と教室に向かうと廊下に担任の先生がいたので、事情を話した。次男に尋ねてもうまく説明できないからだ。先生は「後でクラスで話し合ってみます」と、落ち着いた笑顔で返事した。

しかし、同じ日の午後に学校に次男を迎えに行った夫は、担任から、次男が休み時間に、級友に故意に手をドアで挟まれ、保健室で手当を受けたと報告を受けた。

しかも、夫が先生と話している間に帰り支度をしていた次男の靴も見当たらない。近くにいた一人の生徒が「同じ児童の仕業だ」と夫に告げた。幸い靴は数メートル離れたところで見つかったが、当初予定していたアシスタントのいない学校生活に不安を募らせていた夫は「あなた方の指導体制は一体どうなっているのか!」と先生に叫んでしまった。

■学校ではモンスターペアレンツ扱いに

帰宅した夫は、校長、教頭と担任の先生宛にメールをしたためた。「これほどの事が一日で起きるのに、学校の安全管理は十分なのか、本当に次男にはアシスタントはいるのか」と。

翌日届いた教頭先生からのメールには「本件について協議したいので、学校に来てください」と書かれていた。意図がわからず「メールでお返事いただきたい」と夫が返事を書くと、今度は電話が鳴った。

教頭は夫に「校内での偵察行為だけでも迷惑なのに、担任が脅威を感じる行為は慎んでいただきたい」というようなことを告げたらしい。

フィンランドでは、いじめの疑いがあるなど、必要があれば保護者が学校の様子を見る権利がある。夫が「校内に入るのは私の権利です」と正すと、教頭も「それはそうですが」と認めたが、経緯の確認もせず、頭ごなしに警告されたことには私も驚いた。

夫は、教頭とのコミュニケーションはあきらめ、今度は校長と自治体の教育委員長にメールを送り、改めてアシスタントの所在をたずねた。

■先生と学校の裁量「アシスタントは必要ない」

翌日、校長からのメールには「担任の所見では、ご子息にはアシスタントの必要が無かったので、よりサポートが必要な児童につけています」と書かれていた。追って、自治体の教育委員長からは「先生の判断に基づき学校が下した決定なので、問題はない」という旨の返事が来た。

次男が就学して約1カ月、担任の先生からは何の説明も受けていなかった。「先生と学校に任された大きな裁量」とは、こういう形で保護者の頭の上を素通りするものなのか。「落ちこぼれを作らない」はどうなるのか――。私と夫は落胆した。

義務教育法によれば、延長義務教育が保障されている児童は、普通学級には1人だけで、クラスの人数は最大20名と決められている。つまり、次男のクラスにもう一人支援が必要な児童がいるというのはおかしいのだ。しかし、教室まで迎えに行く夫によると、クラスには、絶えず奇声をあげ、落ち着かず、先生から注意されている児童がいるらしい。

翌週、私は担任の先生にお願いして、授業の様子を見せてもらった。その日から、職業訓練校のアシスタント養成コースに通う学生が研修に来ており、彼女は、例の落ち着きの無い児童の隣に座って、つきっきりで指導をはじめた。

一方次男は、目の前のスクリーンに課題や文章が映し出されている間は、なんとか目で授業を追っているようだが、話し言葉だけのやりとりが長引くと、机にうつ伏してしまっていた。

間もなく教室に、アシスタントらしき女性が入ってきたが、特に次男だけを見ているわけではなく、他の児童の世話もしている。もちろん、慣れない学校の授業に戸惑う新一年生は次男だけではない。しかし、次男の見えない障害は、その喧騒の中でかき消されているようだった。


学校の教室。課題や質問をゆっくり繰り返してくれるアシスタントを希望するのは親の身勝手なのか……

■素晴らしい協力体制も「学校は学校」という壁

学校での男の様子を知った夫は、特殊担当の先生に、次男に関する情報が、プリスクールから学校側にどのように伝達されているかを確認した。すると、私が就学前にプリスクールの先生と学校の特殊担当の先生と3人で持ったミーティングは、議事録は残っておらず担任の先生には共有されていないようだったことが判明した。

ふり返ればそのミーティングは、15分ほどの形式的なもので担任は参加していなかった。私は次男の障害についてできるだけ細かく説明し、家庭とプリスクールとの連絡ノートを見せ、これまで受けてきたサポートの内容を説明した。しかし、先生の口からは「でも学校は学校ですから」という一言が返ってきた。

児童の障害や健康状態に関する情報は、保護者が許可すれば、医療機関とプリスクールと学校で共有することができる。私たちは署名して同意していたので、情報がシェアされるように願っていた――が、どれだけそれらの資料が現場で参考にされていたのかは知る由もない。

■法務局に苦情を申し入れ、地元紙に報じられる

学校に通い始めて9カ月、次男はかろうじて読み方は身に付けたが、読解問題や算数の文章題の宿題が出ると、難しいといって身をこわばらせるようになった。それでも担任の先生からは補修の提案や、家庭学習で苦手な箇所を補強する指導はない。

このままの状態で次男を学校に行かせてもいいのだろうか――夫が教育オンブズマンに相談すると、オンブズマンは地方法務局に正式なクレームを申し立てるようアドバイスした。

そうして夫が地方法務局に正式に苦情を申し入れると、それがきっかけとなって2016年3月22日付の地方紙『ケスキウーシマー』に「トゥースラの学校は、障害児に特殊支援をしないのか?」という記事が掲載された。次男のケースが取り上げられ、特殊支援が置き去りにされ、医療機関からの勧告を無視する公教育の現状が報じられた。

この新聞の記事が掲載された3月末に、事態は急変した。入学後8カ月目にして、ようやく次男にアシスタントが付くようになったのだ。

8月の入学から3月末までの間に、関係者間で交わしたメールは70通以上。学校側からは、非を認め謝罪する言葉は無かった。夫は新聞社からの取材に「これほどの骨折りをするぐらいであれば、99%の保護者は子供に転校させるだろう」と答えた。私には転校の二文字が何度も頭をかすめる日があったが、夫は「これに屈して転校すれば、この学校で同じようなケースが後を絶たなくなる」と言い、真っ向から対抗する姿勢を崩さなかった。

新聞社によると、次男の記事には大きな反響があり、2組の同じ境遇に悩む家庭から連絡があったそうだ。

■「落ちこぼれ救済」と「学校の裁量」の行方

現在トゥースラでは、全体の7%にあたる346人の生徒が授業時間中に特殊支援を受けている。次男が卒業したプリスクールでは、16人ほどの児童に、幼稚園教諭と保育士、アシスタントと言語聴覚士という5人の大人がついている。今その手厚いサポートを受けている児童やその保護者達も、小学校に入学すれば、次男と同じ問題に突き当たるだろう。

多くのフィンランド人は、国や自治体の予算の11〜12%をかけて世界中で高い評価を受けている学校教育を疑問視することは無い。多くは自分の子供が就学するようになって、さらに深刻ないじめなどの何らかの具体的な問題に直面してから、初めてその実態を知る。6年生の長男の同級生には、「落ちこぼれ救済」措置により、手厚い補修を受けている児童もいる。次男はアシスタントがつくようになってから、以前よりも取り残されることなく、授業を受けているようだ。

たまたま長男の担任が良い先生で、正しく裁量を発揮しているだけなのか。あるいは、粘り強く交渉しなければ、次男のような障害児はフィンランド教育の限界を超えてしまうものなのか――。困惑の日々を過ごしながら、学年末を迎えようとしている。

靴家さちこ