「学費・就職・年金...選挙はどう変えたいのか主張する手段」 吉良佳子・参院議員に若者が聞いてみた #YoungVoice

共産党の吉良佳子・参院議員へのインタビュー。自身の就活について「就職氷河期、60社にエントリーして内定が取れたのは1社だけ」などと若者たちにエールを送った。

7月の参院選では、18歳以上が初めて投票できるようになる。新しい世代が参加することで「政治が変わる」ことに期待が高まっているが、そもそも若者たちの政治・選挙への関心はどこに向いているのだろうか。ハフポスト日本版は、18歳から23歳の若者と一緒に国会議員や自治体の首長らを訪ね、率直で様々な質問をぶつけてみた。

前回2013年の参院選で30歳の最年少で当選した日本共産党の吉良佳子・参院議員(33)。インタビューにはクリーム色のスーツ姿で現れ、遠藤真美さん(22)、田嶋嶺子さん(20) 、松岡宗嗣さん(21)ら年齢の近い若者らに、「学費や就職、また将来、年金をもらえるのかといった問題をどう変えたいのか主張する手段の一つが選挙」などと笑顔でハキハキと答えた。一方、自身の就職活動では「60社にエントリーして内定が取れたのは1社だけ」などと学生時代を振り返った。

(左から)吉良佳子・参院議員、田嶋嶺子さん(20)、遠藤真美さん(22)、松岡宗嗣さん(21)

■初当選の「吉良ブーム」から3年、「雇用やブラック企業問題にこだわって追及をしてきました」

――まず、初当選から3年が経ちました。当選時は「吉良ブーム」とも呼ばれました。

この3年間、雇用やブラック企業問題にこだわって追及をしてきました。ブラック企業の企業名公表を求めたり、「固定残業代制度」を使ったブラック求人の問題も取り上げました。たとえば、月30万円で募集していても実は基本給が15万円など最低賃金ギリギリ、残りはあらかじめ決められた100時間とか長時間の残業をこなさないと満額払われないという悪質な求人です。募集要項にそう書かないのはフェアではないじゃないと追及し、改善させてきました。また、反原発やTPP(環太平洋連携協定)、安保法などについて市民の声を国会に届けようと、当事者の声を聞きながらやってきました。

――18歳選挙権ですが、賛成、それとも反対? その理由は何でしょうか。

もちろん賛成です。日本共産党は以前から18歳選挙権の必要性を言い続けてきました。18歳なら主権者として判断、主張ができます。また、政治も若い声をどんどん取り入れていった方がいいと思います。18歳に限らず、幅広い年代の民意が議会に反映されることは、議会制民主主義の発展につながると思います。

政治を変えたいと思っている若者って多いのではないでしょうか。学費や就職、また将来、年金をもらえるのかといった不安を抱えているという声を聞きました。それらの問題をどう変えたいのか主張する手段の一つが選挙です。そして投票だけでなく、投票後も、自分たちの求める政治を実現させるため、政党や政治家に働きかける、声をあげて、政治にかかわり続けることも重要です。

――選挙権という権利だけではではなく、義務も課せられるという考えはないのでしょうか。

歴史や各国をみると、徴兵の入隊条件と一緒に選挙権の年齢も下げられている状況があります。日本でも安倍首相は在任中の改憲を唱えており、その改憲のための国民投票法を改正する議論の中で18歳選挙権の話が出てきたという経過もあります。とはいえ、義務というより権利拡大というのは間違いありません。若者が政治に積極的に参加することについては政府も否定はできないんです。

■「就職氷河期、60社にエントリーして内定が取れたのは1社だけ」

――吉良さんの就職活動はどうでしたか。

私は2005年に大学を卒業しましたが、就職氷河期のまっただ中。60社にエントリーして内定が取れたのは1社だけという大変な思いをしました。7次、8次まで面接のある会社で、最終段階で落とされたこともあるし、「女性を採るのはリスクだ」と言われて悔しい思いをしたこともあります。こういう大変な就活を学生に強いる社会に疑問を持ったことも、政治家を志すきっかけにもなりました。

――それから、どうして立候補することになったんですか。

一番のきっかけは雇用問題です。就職した後、2008年にリーマンショックが社会問題になった時に非正規で雇用された同世代の人たちが切り捨てられるのを目の当たりにしました。

一方、自分が会社でやっていたのが、各企業の社会的責任についてのレポート作りに携わる仕事でした。それは、それぞれの企業が「うちはこんな社会的責任を果たしている」とアピールする報告書なんですが、リーマンショックのときの派遣切りには触れていませんでした。派遣は自社の社員じゃないからです。その企業姿勢に疑問を持ちました。ちょうどそのとき政治家にならないかとの話があったんです。

企業の中で理想の社会を目指す道もありましたが、政治家になってルールを変え、派遣や就職活動、ブラック企業がはびこっている問題を変えたいと思いました。

――ご自身が18歳のころはどんな生活をしていましたか。

インドア派の高校生です。寡黙で小説が好き。宮部みゆきさんや荻原規子さんの作品が好きで、毎週、市立図書館で10冊くらい借りていました。まさか将来、外に出て声を出したり、人前に立ったりする仕事をするとは思っていませんでした。

――政治に関心はありましたか。

まったくゼロではないですが、主体的に声を上げようと思ったかというと、そこまでではありませんでした。ただし、1997年に国営諫早湾干拓事業で「ギロチン」と呼ばれた潮受け堤防の閉め切りがありました。ムツゴロウのいる干潟です。映像を見て、相当なショックを受け、「干潟を潰していいのか」と感じました。市民団体が現地でムツゴロウを救う活動をしている様子も見ましたが、当時、私は高校生で、授業を休んで参加するわけにもいかず、何とかしたいのにできない悔しさがありました。

――お父様も政治家ですね。影響はあったのでしょうか。

私が18歳のときは高知市議で、いまは高知県議です。市民の声を届けるために頑張っています。でも、その前は小学校教師だったのでどうして4年ごとに失業するかもしれない仕事をするのかと思っていましたし、当時、父の後を継ごうとは思いませんでした。

――18歳の時の自分と、いまの18歳を比べると何が違うと思いますか。

政治の状況が変わってきていますね。学費や将来、年金がもらえるのかといった問題だけでなく、そういう国民の権利を保障するよりどころの憲法を変えようという動きが強まっています。憲法違反の安保関連法が通されたという不安もあると思います。そういう改憲を阻止すること、そしてどういう日本をつくるのか、一緒に考えて行動して変えていきたいです。

■息子の保育園の送り迎えは「夫とお互いに予定を調整しながらしています」

――ところで、昨年秋に生まれた息子さんを認可保育園に入れることができなかったと、3月にTwitterに投稿しました。その後、どうなりましたか。

認可外の保育園に入れました。通園はバスで20分かかり、その前後に10分歩き、合計40分かかります。バスは1時間に3本だけで大変です。まずは自治体や政府主導で、通園しやすく質の高い保育園を増やすことを優先しないといけないと思います。

――ご自身で保育園の送り迎えをしているのですか。

夫(目黒区議)とお互いに予定を調整しながらしています。送り届けて、その足で本会議に出ることもあります。保育園には助けられています。保育園の先生が、息子について「お花を見て、ニコッと笑っていたんだよ」って教えてくれたりします。子育てについて語り合える人が外にもいる、相談できる人がいるという心強さがあります。1人だと行き詰まってしまいます。

――夫婦別姓についてはどう考えますか。

結婚により名字を変えることに違和感を持っています。私は結婚当初、入籍しません(事実婚)でしたが、住民票には「妻(未届)」と記載できるんです。でも事実婚の場合、子供は非嫡出子となり、夫が認知する形になるのが現行制度です。結局、子供が生まれる時に話し合い、「吉良」の籍に夫が入ることにしました。

夫は普段、元の姓を名乗っていますが、銀行など公的なところでは戸籍名を使う必要があり、通称との使い分けが面倒です。そういうことはおかしい。選択的に別姓も認められてしかるべきだし、姓を一緒にしたい人はそうすればいいと思います。いろんな生き方があるわけで、多様性が認められる社会を作っていかないといけません。選択肢を増やして行くのがいいですね。

吉良佳子・参院議員(33)

1982年、高知市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に4年間、東京都内の印刷会社に勤務。2009年、東京都議会議員選に立候補するが落選。2013年に参院選の東京選挙区で共産党として12年ぶりに議席を獲得した。大学時代は合唱サークルに所属。趣味は合唱、読書、映画鑑賞など。

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