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イギリスは、なぜ間違えたのか。調査報告書が審判した「根拠なきイラク戦争」

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ジョン・チルコット卿が7月6日の記者会見で、イラク戦争に言及した時間自体は短いものだった。しかし、言葉には厳しい批判が込もっていた。

イギリスがイラク戦争に参戦した経緯と、戦後処理を検証する、独立調査委員会(チルコット委員会)が発表した報告書は、トニー・ブレア元首相の判断を誤りと断罪する内容だった。

「我々は、イギリス政府が、平和的な武装解除を検討する前に、武力侵攻に参加する道を選んだとの結論に達した」「当時、武力行使は最終手段ではなかった」

最初はやや、彼の結論の衝撃を自覚するような、か細い声で、しかし徐々に語気を強めた。当時のトニー・ブレア首相は、イラクのサダム・フセイン政権が大量破壊兵器を保有していたと断定したが「確実に、その判断は正しくなかった」と述べた。

武力侵攻という結論に警告を発する複数の警告は無視され、戦後処理の計画は「全体的に不適切」なものであり、ブレア元首相は「自身の、アメリカに対する影響力を過大評価していた」と断罪した。

委員会は約2年にわたり、ロンドン中心部の「クイーン・エリザベス2世会議場」の会議室に約150人の関係者を喚問して調査した。

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記者会見で報告書の内容を説明するチルコット卿

焦点となった、アメリカのジョージ・ブッシュ前大統領との関係を示す「ブレア・メモ」について、チルコット卿は、ブレア元首相がブッシュ前大統領に対し、「何があっても」行動をともにすると書かれていたことを明らかにした。

チルコット卿と調査委員会は、アルファベットで260万字にわたる報告書で、ブレア氏を丸裸にした。綿密に書かれた正確な証拠にもとづく報告書は、ブレア政権の大量破壊兵器をめぐるリポートは根拠がなかったと断定した。

チルコット卿の声明は静かに、ブレア政権の軍事面、そして情報戦略の失敗を断罪した。そしてブレア氏自身、調査委員会に対し、占領政策を事前に策定していなかったと述べていたことが明らかにされた。

「それは結果論だという話には同意しない」。チルコット卿はここで最も辛辣になった。「イラクの国内紛争のリスク、隣国のイランが自国の利益を求める活動、地域の不安定化、そしてイラク国内におけるイスラム過激派組織『アル・カイダ』の動き、これらは武力侵攻の前に、すべて事前に把握されていた」

これは、ブレア氏が常々述べている「私を批判する人は、単に結果論で言っているに過ぎない」という批判に反論するものだ。そこで思い浮かぶのは、ブライアン・ジョーンズ氏のことだ。

国防情報参謀部の分析官だったジョーンズ氏は、2003年、国連のイラク大量破壊兵器問題の調査官だったイギリス人科学者、デービッド・ケリー氏が謎の死を遂げたことを調査する「ハットン調査団」での注目人物だった。調査期間中、ブライアン氏は実名で、自身が2002年の「大量破壊兵器報告書」に抵抗した数少ない一人だったことを明らかにした。しかし彼の証言は上層部によって無視された。ジョーンズ氏は今回の報告書が発表される前に他界したが、彼の証言はおそらく調査団も記憶していただろう。

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記者会見するチルコット卿

チルコット卿は、イラクで死亡したイギリス人約200人の遺族の「深い苦悩」に言及した。それだけではない。戦争とその後の混乱で死亡した15万人、いや、おそらくそれ以上のイラク人についても。その死は、21世紀の外交政策の悲劇として記憶されるだろうと。

報告書は、多くの最重要機密の文書を機密解除した。ブレア氏からブッシュ氏に送られた30通のメモ、覚書、そして電子メールが公になるのは初めてのことだ。トップ外交とパワーゲームを記録した一級の資料でもある。

その中には、ジャック・ストロー外相が「自分は戦争を止められた」と主張したことや、情報機関「MI6」で対テロ部門の責任者だったマーク・アレン氏が、サダム・フセイン政権について情報が乏しいことを認めたカラフルな資料も含まれる。イラクが保有しているとされた生物化学兵器の実証できなかったことも明らかにしている。

一人の情報筋が、化学兵器と神経ガスがガラス容器で保管されていたと主張したが、報告書では「情報機関」がまるでショーン・コネリー主演のハリウッド映画「岩」のように、ガラス容器に入った神経ガスを間違って認識してしまったと指摘した。

チルコット卿が会見冒頭の声明で明らかにしたように、この報告書はただの書類ではなく「なぜ間違ったのか」に対する審判であり、ブレア政権への理路整然とした批判なのだ。

チルコット卿は、官僚や情報当局者、閣僚が疑問を唱えなかったことを許さなかった。一部の側近だけで物事を決めるブレア政権の密室政治だけでなく、責任を負う構造になっていなかったことも非難した。「ブレア氏は何度も国民に約束したにも関わらず、軍事侵攻という選択を本質的に議論しなかった」。チルコット卿が述べたこの1点に尽きる。

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分厚い報告書

では、国民が明らかにして欲しかった2点については、どう判断したのか。ブレア氏は国民を間違った方向に導いたのだろうか? イラク戦争は合法的だったのか?

報告書は、ブレア氏が「ウソをついた」という内容は一切書かれていない。「情報機関が証拠を不適切に扱ったり、ブレア首相が内容を歪めて広めたという証拠はない」とした。しかし「サダム・フセイン政権が生物化学兵器の生産を続けているという情報を疑うことがなかった」。そして「合同情報委員会が実際に検証していた内容よりも、ブレア氏が信じたい内容の情報が恣意的に選別され、強調された」とした。

情報の信用性は現在にも通じる問題だ。シリア情勢は泥沼化している。キャメロン首相が何度も口にしていた「反アサド政権の7万人の地上軍が我々を待っている」という言葉を忘れてはいけない。

イラク戦争の合法性については、「イギリスの軍事侵攻が決定された当時の状況は、侵攻への法的根拠を満たしていたとは言いがたい」と結論づけた。法的に違法だったと断定してはいないが「状況」は間違っていたと述べている。

ではなぜ、合法性の最終判断が内閣や政府当局者ではなく、ブレア元首相個人に委ねられたのだろうか。司法相は報告書の中で「首相の判断だ」と指摘している。

問題となるのは、イラクが2002年12月の国連安全保障理事会決議1441に違反しており、武力侵攻は認められるとの判断だ。マシュー・ライクロフト首相補佐官からの手紙には「イラクが安保理決議に違反しているのは、首相の揺るぎない見方だった」とある。

しかしチルコット卿は静かに批判した。「ブレア氏がその見解にいたった明白な根拠が何だったのかは不明だ」。ライクロフト氏の手紙は「それはおざなりとしか言いようのないものだった」と続く。

「この助言に従い、イギリスに関する限り、イラクが安保理決議に違反していると断定したのはブレア氏だった。公式な記録は残されておらず、そう断定した根拠も不明確だ」と報告書は指摘する。ブレア氏の事務所からの手紙が示すのは、サダム・フセイン元大統領が安保理決議に違反しているかを判断したのはブレア氏自身であり、それは武力侵攻の数日前だった。重大な「司法判断」を、首相自身が裁判所、裁判官、証人の1人3役を演じてしまったのだ。

報告書は、2003年3月の時点でイラクが安保理決議に違反していた明白な証拠はないと指摘する。国際原子力機関(IAEA)もイラクに核開発計画はないと認めており、国連監視検証査察委員会も、イラクが査察に協力していると報告していた。

そして報告書は結論づける。「その決定の衝撃と重大さからして、ブレア氏は、その証拠が本当に正しいのか、政府内で十分に照会しなかったし、回答を受け取ることもなかった」

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チルコット調査団の報告書発表を受けて記者会見するブレア元首相

ブレア氏は当時の内閣の決定プロセスについて誤りを認めたが、チルコット調査団の声明には怒りをあらわにした。

武力侵攻は早計で、最終手段でなかったと認定したことについてブレア氏は「チルコット卿が報告書に書いたことは間違っている」とブレア氏は不満を述べた。「『あれはやるべきじゃなかったけど、何をやったかについては何も言うことはない』というのはフェアじゃない」

ブレア氏はまた、当時のイラク戦争参加という自分の判断は「正しい」と話した。

ブレア氏が大量破壊兵器についてウソを言っていた、外交努力を打ち切ってイラクに侵攻したブレア氏の判断は間違っていた、そして戦後処理の具体的な計画はなかった――。チルコット調査団の結論はブレア氏にとって最も納得がいかなかっただろう。

ブレア氏は3回の総選挙で勝利した。そのうち1回はイラク戦争直後だった。しかし、子供の貧困を減少させたり、国民健康保険制度を改革したりした功績は、無残な外交の失敗によってかすんでしまったことも、ブレア氏は知っている。

この記事はハフポストUK版に掲載されたものを翻訳、要約しました。

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