PL学園負ければ休部、最後の夏の大会初戦「どこの学校よりも濃い2年半過ごした」と主将

エースの藤村哲平投手は入学をあきらめた少年たちが多い中でも、過去の試合に強く憧れ、PL学園を選んだという。

甲子園で、春夏合計7回の優勝を誇るPL学園は、7月15日、全国夏の高校野球大阪大会で同校の初戦を迎える。プロ野球選手や大リーガーを多数輩出、高校野球界屈指の名門校だが、2015年春から新入部員の募集を停止し、現在は3年生のみ12人。今夏限りで休部が決まっており、今日の試合に負ければ即休部となる。対戦相手は強豪の東大阪大柏原。

大会の開会式は9日に行われた。時事通信によると、入場行進で「PL学園」と校名が呼ばれると、会場スタンド全体から大きな拍手が湧いた。

梅田翔大主将は「泣きそうになった。このユニホームを着て、帽子をかぶるだけで『PLや』という視線を感じる。今の代で一区切りつくことに責任を感じているが、自分たちにとっても最後の夏。悔いなくやり切りたい」と話しているという。

朝日新聞デジタルによると、背番号1番をつけるエースの藤村哲平投手は、入学する1年前の2013年4月に、部員同士の暴行事件で当時の監督が引責辞任した。2013年秋には野球経験のない校長が監督に就任し、入学をあきらめた少年たちが多い中でも、過去の試合に強く憧れ、PL学園を選んだという。「うちは『逆転のPL』。最後まで諦めず、泥臭いプレーを積み重ねていく」と初戦に向けての思いを語った。

■なぜ休部になったのか?

同校野球部は宗教法人「パーフェクト・リバティ(PL)教団」(本部・大阪府富田林市)を母体とするPL学園が1956年に創部した。

甲子園に春夏合わせて37回出場。桑田真澄投手、清原和博選手のKKコンビを擁した1983年夏と85年夏には全国制覇を果たした。87年には春夏連覇したほか、前田健太投手(ドジャース)、福留孝介選手(阪神)ら多くのプロ野球選手を輩出した。

しかし、吉川大幾(巨人)らが出場した2009年夏を最後に甲子園出場がなく、成績は低迷。2013年2月には寮内で2年生部員4人が1年生部員に暴力を振るったとして6カ月の対外試合禁止処分を受け、2013年4月に監督が退任。以後は、専任の監督不在が続いていた。

【関連記事】

■Twitter上での応援の声

関連記事

高校野球2015画像集

注目記事