斎藤一の鮮明な写真見つかる「これが死線くぐった目だ」【新撰組幹部】

幕末に新撰組の幹部として活動した斎藤一(さいとう・はじめ)の鮮明な写真が、初めて発見された。

幕末に新撰組の幹部として活動した斎藤一(さいとう・はじめ)の鮮明な写真が、初めて発見された。2015年秋に斎藤の親族の蔵から出てきた2枚の写真を、次男の子孫である藤田家が7月15日に公表した。家族写真は明治30年(53歳当時)に撮影されたもので、単独の写真も同じ頃に撮られたものとみられる。

歴史研究家・あさくらゆうさんによると、これまで本人の写真は、次男の結婚式に出席した際の不鮮明なものしか見つかっていなかった。しかし、「斎藤一の写真」として、別人の写真がネット上に出回っており、真実の姿を世間に知らせるために藤田家が公表に踏み切ったという。

あさくらさんは、ハフポスト日本版の電話取材に対して「今回の写真を見て『なるほど』と納得した。息子の勉(つとむ)さんと比べて、キリっとした目つきで『これが死線をくぐって来た目だ』」と思った」とコメントしている。

明治30年ごろの斎藤一
明治30年ごろの斎藤一
明治30年に撮影されたと見られる家族写真。左から次男の剛、一、長男の勉、妻のトキヲ
明治30年に撮影されたと見られる家族写真。左から次男の剛、一、長男の勉、妻のトキヲ

■斎藤一とは?

知恵蔵miniなどによると、斎藤一は1844年、江戸の幕臣の家に生まれたとされる。1863年、新撰組の前身である壬生浪士組の結成に合わせて入隊。新選組では、沖田総司、永倉新八と並ぶ「最強の剣士」の一人といわれた。

勤王派浪士を襲撃した池田屋事件などに参加し、また新撰組隊士の粛清にも多く関わったという。幕末の戊辰戦争では幕府軍側として戦い、会津藩が降伏した後に投降、妻の姓をとり藤田五郎と改名した。1874年、明治政府の警視庁に採用される。1877年の西南戦争では警部補の役職で奮戦。1915年、胃潰瘍により72歳で死去した。

NHK大河ドラマ「新選組!」(2004年)では、斎藤をオダギリジョーが演じ、また人気マンガ『るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―』(集英社)では主人公のライバル役として描かれた。

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