31歳で社会人デビュー→離婚 『家族無計画』の紫原明子さんが見つけた(仮)の生きかた

社会人経験ゼロ、かつ二児の母という不利なカードしか手許になかった紫原明子(しはら・あきこ)さんは、どうやって31歳で社会人デビューを果たしたのか?

高校卒業後すぐに起業家の家入一真さんと結婚。2人の子に恵まれるも、夫の浮気と豪遊、失踪に振り回され続けた20代。最終学歴は専門学校中退、社会人経験ゼロ、かつ二児の母という不利なカードしか手許になかった紫原明子(しはら・あきこ)さんは、どうやって31歳で社会人デビューを果たしたのか?

30歳を過ぎて始めたイチかバチかの求職活動と、離婚をスムーズにソフトランディングさせるまでの道のりとは? 前編に続いて、新刊『家族無計画』で提案する「(仮)の生きかた」について聞いた。

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■「マリー・アントワネット」だった時代

――第一子妊娠中に家入さんが起業、その2年後には事業の成功によって億単位の大金が20代夫婦の家庭に入ってきます。やがて第二子も誕生。IT業界の若き成功者である夫と2人の子供との贅沢な生活は、誰の目から見ても羨まれる幸福な家庭だったのでは?

私は父がサラリーマンだったので、博打を打ったりせず、とにかく堅実が一番だと思ってました。起業=失敗して借金を背負う、というイメージしかなかったから、夫も成功しないだろうと思っていました。でも、それならそれで、私もパートをしたり、実家に居候したりして生きていけるか、と案外楽観的でもありました。それが意外にも成功してしまったんです。だから結婚してからは、ずっと知らない世界が続いていた感じです。

でも家計は全部夫が握っていたので、私にはそれほど実感はなかったです。億単位のお金が入ってきたといっても、札束を目にしたわけでもなかったし。ただ、買いたいものや、どんな家に住めるかという選択の幅は広がりました。

――そのお金で欲しいものや、やりたいことはなかった?

そのときは授乳中でお酒も飲めないし、有名どころの高級ブランドにも興味がなかったから、大金を使いまくる機会がそもそもなくて。インテリアは好きだったので、ちょっといい家具を買ったり、外国に旅行に行ったり、そういう感じでお金を使うことはありました。特別節約している気持ちもないけど、特別贅沢しているとも思わない……私は、環境の変化をものすごくスムーズに受け入てしまうたちでして、すぐにそんな暮らしにも慣れました。

ただ、ろくに仕事をしたこともないのに不自由のない暮らしだけを享受していたので、あとになって、当時を知る友達から「あの頃はマリーアントワネットみたいだった、とても働けないだろうと思ってた」と、しみじみと言われたりしました(笑)。

――対照的に、IT企業社長となった家入さん自身は別人のように変わってしまう。繰り返される浮気、乱費、失踪……。職歴ゼロで幼い子2人を抱える専業主婦という立場では、離婚という決断も難しかったのでは。

そのとき私たち一家は、結構家賃の高い地域に住んでいたので、離婚して、収入源が私の稼ぎだけになったら、住む場所を含めて、大きく生活の環境を変えなければいけませんでした。でも、子供たちの生活のことを考えると、全く縁もゆかりもない場所に引っ越すのはためらわれて。東京で知らない場所に引っ越すくらいなら、地元の福岡に帰ろうと思いました。

ただ、それまでに、自分で稼ぐ足がかり程度はみつけよう、東京でできる限りのことはやろうと思って……それで、頻繁にホームパーティーを催すことにしたんです。最後の賭けみたいなものだったんです(笑)。

■就職先を見つけたいから、ホームパーティーを開こう

――『家族無計画』でも、就職先を見つけるための取っ掛かりとして、「頻繁にホームパーティーを催した」という奇策が明かされていますね。

結婚生活の終盤は、浮気やお金の問題が皆に知られている破天荒な旦那さんと、それでも離婚しないって立派だね、と、妻としての自分を人に評価されることが多かったんです。でも、だんだん私自身が、そんな自分に価値を見出だせなくなってきて。

離婚しようかしまいか迷っていたときに、たまたま友人が家にやってきて、ご飯を作って振舞うと、「料理が上手だね」「本当は明子さんと友達になりたいと思ってたよ」って言ってくれて。そんな風に、誰かの奥さんじゃなく、私個人に価値を見出してくれる人の存在が本当に嬉しくって。自分の看板を背負って生きていくことは、責任はあるけれど楽しいことかもしれないと思うようになりました。

当時の私にとって、ママ友以外の社会との接点といえば、夫を介して知り合った決して多くない東京の友人、知人だけ。じゃあそこから縁やネットワークを広げていくしかないと思って、積極的に人を招いてホームパーティーをするようにしたという経緯です。人の繋がりの中で、お仕事や自立につながるような縁が見つかるんじゃないかと思って。

――小学校の頃に学級委員長だった紫原さんらしからぬ奇抜な発想ですね。

藁にもすがる思いで取った策でした。中二病をこじらせていた高校生のときに、ネットで夫に出会って、夫の周りにいたおかしな友人たちとも知り合いになって、さらに結婚したら夫のビジネスがどんどん展開していって……という風に、ひとつの出会いがいろんなところに繋がることを経験していたから、閉塞感を打破するには、新しい出会いしかない、と思い込んでいたところもありました。それが奇跡的にうまくいって、就職までの糸口がつかめたんです。

■31歳での社会人デビュー、強みとハンディ

――非営利団体の運営ボランティア、小さな出版社での雑用係を経て、やがて広報や営業を任せられるように。トントン拍子に見えますが、31歳での遅い社会人デビューは大変でしたか。

最初にお世話になった非営利団体で、私、初めて大人同士のミーティングに参加したんです。そのとき私より10歳くらい年下の女の子が同席してたんですけど、私がぼーっと座っている横で、彼女は「それはどうでしょう?」みたいな、しっかりとした口調で意見を述べていて。それには大きな衝撃を受けました。

ママ友の社会って大体、協調が大切社会なので「そうだよね」「そうだね」という感じでみんなが同調しながら、雪玉を転がすように話を展開していくんです。でも、ビジネスの世界ではそうじゃないんだ、と初めて知りました。

半年くらいそこでお手伝いをしていたら、顔見知りの会社の社長さんから「うちの会社を手伝ってくれる?」と声をかけてもらって。最初は週2回ほど掃除や受付をしていたのが、気付けば毎日になり、「人が足りないから広報もやって」という感じでどんどん新しい仕事を任されるようになって。そこで何でもやらせてもらった経験が、今のフリーランスの仕事に繋がっています。

――遅い社会人デビューを不利だと感じたこともありましたか?

ハンディはもういろんなところですごく感じましたね。私よりずっと年下で、私をお姉さんのように慕ってくれる女の子たちには「私を先輩のように扱わないで~」って、内心ずっと思っていました。何しろ社会人経験としては、彼女たちの方が私より長かったりもするんです。

でも逆に強みもあって。ママ友コミュニティで培った同調する能力や、子育てで身につけたサポート力、それから、厳しい場面でも図々しく斬り込んでいくおばちゃん的なコミュ力、そういうのが求められる場面が、社会では結構あるんだなとも感じました。

■離婚という現実を子供に受け入れてもらうために

――2014年、家入一真さんが都知事選出馬を表明した日に、紫原さんが区役所に離婚届を取りに行き、その翌々日に離婚が成立したんですね。離婚の事実を2年近く公にしなかったのはなぜでしょう。

子供が小さかったことに対するとまどいです。元夫とは離婚したことを当分は言わないでおこう、と約束していました。やっぱり子供たちにとっては、心の整理に時間が必要だろうなと思っていたので。親がどんなに破天荒な生き方をしていて、それを本に書いたりしても、子供には子供の学校生活や友達との社会がある。だから、できればあまり子供が動揺しないように、理解してくれるのを待ちたかった。時間がかかってもより抵抗が少ない状態で、ソフトランディングしたかったんです。

そんな中、離婚から1、2年が過ぎてようやく、「うちの親、離婚しているよ」って子供が友達に言えるようになってきました。本人たちには大変なことだったと思うけれど、「まあ、お父さんもお母さんも変な人だから」って彼らなりに、強みに変えられるようになった。それもあって、そろそろ公表してもいいかな、と。

――現在も、子供とお父さんの交流はありますか?

子供たちは、お父さんのことは変わらずすごく好きですね。先日も私の仕事と学校の引き取り訓練のお迎えの時間が重なっちゃったので、「代わりに行って」と頼んだら元夫が行ってくれました。子供のことが大事な気持ちは彼にも変わらずあるので、そこはよかったなあと思っています。

紫原さんが発案し、ウーマンエキサイトが企画した「WEラブ赤ちゃん」プロジェクトのステッカー

■(仮)でゆるく繋がるほうが、幸せになれるかもしれない

――結婚、就職、家族のありかた、住む場所。そういった世の決め事は、とりあえずすべて(仮)にして、柔軟に変えながらゆるく世界と繋がっていく。そのほうがみんな生きやすくなるのでは、と『家族無計画』で提言していましたね。

はい。ただ、ある面で(仮)は女性にとってはリスクでもあります。というのも、妊娠は現状女性にしかできないので、お腹に赤ちゃんがいる状態で、恋人(仮)だったはずの男性に、カジュアルにどこかに行かれちゃったら困ってしまいますよね。でも、法的な拘束力で相手を縛り付けたところで、結局幸せにはなれない。ギスギスしたまま関係を維持しても、自分が後々苦しくなるだけです。だからこそ、女性側が(仮)でも生きられる土台が、社会にも、自分にも、必要なのだろうと思っています。

――土台というのは?

具体的には、やっぱりお金や仕事、それから子供を持っていても働きやすい社会環境です。もちろん、出産後の女性が仕事をやめて、子育てに専念するという生きかたも、それが十分にできる環境であれば決して悪いことではないと思います。ただ、女性も働き続けて収入を絶やさないほうが、いざというとき路頭に迷うリスクは下がるし、イヤなことをイヤだと言えるようになる。

パートナーと(仮)という関係を安定して築くためには、経済的な安定性、もしくはいざ路頭に迷っても助けてくれるような強力なネットワーク。このどちらかを持っていたほうがいいと思います。

――なるほど。

でも、つい先日、幼稚園の子がいる専業主婦のママさんに「『いつから働くの?』って聞くのもハラスメントだと思う」と打ち明けられて、ハッとしたんです。働く予定はないのに「いつから働くの?」と聞かれるのはすごくストレスだと彼女は言っていて。

確かに育児って一大プロジェクトだし、専業主婦もすごく大変なのに、何気なくそういう話をふってしまうこともあります。だけど、必ずしもその前提を人に押し付けてはいけないな、とも最近は考えるようになりました。

■家族は、計画的じゃないといけないの?

――個々人や各家庭でそれぞれの「ものさし」は違う。他人の幸不幸を自分のものさしで測るべきではない、と。

「明るい家族計画」という言葉が昔ありましたけど、じゃあ家族は計画的じゃないといけないの? という話ですよね。「あるべき基準を満たさなければならない」という考え方だと、結婚も子育てもすごくハードルが高くなってしまう。基準を満たせなかったり、未来予測が外れてしまったら全て自己責任として背負わなければいけなくなるからです。

家族って、新しい命を迎え入れる組織でもあって、だから新しいありかたに向けてのチャレンジが成立しにくい面があります。もちろん、親は子供を幸せにする責任があるし、虐待はあってはならないことです。でも「ひとり親だから子供がかわいそう」「共働きで親の帰りが遅いからかわいそう」といった「規定の枠組みに入っていないからかわいそう」という盲目的な判断や不寛容さは、結果として、家族のハードルを高くしている、家族を難しくしていると私は思います。

私たち家族は結果として無計画な歩みを辿って、滅茶苦茶な日々も過ごしたけど、でもまあそんなに不幸にはなっていないし、子供も私も、笑いを絶やさない程度には毎日を楽しく生きられている。これはこれで、正解でも不正解でもない、一つの家族のありかただと思うんです。

紫原明子(しはら・あきこ)

エッセイスト。1982年、福岡県生まれ。高校卒業後、音楽学校在学中に起業家の家入一真氏と結婚。後に離婚し、現在は14歳と10歳の子を持つシングルマザー。『cakes』『SOLO』『WEB DRESS』など連載多数。フリーランスで企業とユーザーのコミュニケーション支援、ウェブメディアのコンサルティング業務等にも従事。『家族無計画』(朝日出版社)が初の著作となる。

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(取材・文 阿部花恵

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