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大川小学校の遺族、損害賠償訴訟の判決に向け胸中を明かす「本当は裁判まで起こしたくなかった」

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東日本大震災で、学校管理下の児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の23人の児童の遺族19家族が、市と県を相手に総額23億円の損害賠償を求めた裁判が6月29日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で結審を迎えた。

遺族らは、児童が津波の犠牲になったのは、学校が事前の安全対策を怠ったうえ、大津波警報発表下でも、徒歩1分でたどり着く裏山があるにもかかわらず、児童を校庭に長時間待機させ、すみやかに安全な高台に避難しなかったためだとしている。

市と県は、地域に過去に津波が来た記録がなかったことや、当時の津波浸水予測図では「大川小までは到達しないものと予測されていた」ことから、教職員が学校まで津波襲来を予見することは不可能だったと主張。地震発生直後には、教職員が様々な形で情報収集を行い、想定通りに避難行動したために、情報収集義務違反や結果回避義務違反はなかったとしている。

震災発生当時、大川小学校では子どもたちを校庭で待機させ続け、川沿いの堤防に向かって移動を始めたのは、地震が起きてから50分近くも経ってからだった。

その間、ラジオや子どもを引き取りに来た保護者が大津波警報を伝え、防災無線のサイレンが鳴り、広報車が高台への避難を呼びかけている。しかし、学校側は、すぐ近くの裏山に登ったり、スクールバスを使ったりすることもなく、子どもたちを1メートルも上に避難させることができないまま、津波に巻き込まれた。

2014年3月の提訴から2年3カ月。遺族自身が関係者や住民へのヒアリングに奔走し、当時の状況を知っている人たちの証言を掘り起こし続けてきた。

今回の訴訟には、当時の校長が初めて被災校舎に来たのが震災から6日も経ってからだったことや、市教委が震災直後の聴き取りメモを廃棄し、津波が来る前「山に逃げよう」と訴えた子どもの証言がなかったことにされたことなど、遺族たちの受けた震災後の不誠実な事後対応による精神的苦痛についても、遺族の強い意向により加味された。

また、真相の解明を期待されたはずの第三者委員会の検証も、新たな事実は明らかにされず、遺族たちを大きく失望させ、訴訟の引き金になった。

震災から今日に至るまでの間、遺族たちは、どのような思いで結審を迎えたのか。原告団長で、当時小学6年生の大輔君を亡くした今野浩行さんは、こう説明する。

「震災後から、なぜ多くの子どもたちの命が犠牲になったのか。市教委と話し合いを続けてきました。しかし、市教委は、虚偽の報告や証拠の隠滅など、事実を隠して自分たちの組織を守ろうとしてきました。検証で事実を明らかにするからと言われて立ち上がった“第三者委員会”も、実際には“第三者”ではなく身内による行政擁護の調査で、事実は不明確なまま終わった。裁判の場なら事実がわかるのではと思った。我々が望んでいたのは、我が子が51分間、どういう気持ちでどういう指示を受けていたのか、最後の様子を親としては知らなければならないという事実の解明だった。しかし、津波の予見性に終始して、唯一の生存教諭の証人尋問も叶わなかった」

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「裁判なら事実がわかるかと思ったが、津波の予見性に終始し唯一の生存教諭の証人尋問も叶わなかった」と原告団長の今野浩行さん

佐藤和隆さんは、こう力を込めた。

「高宮裁判長には、我々遺族が理解できる判決はもとより、世の中の人が読んできちんと理解できて、亡くなった子どもたちにきちんと伝えられるような内容をお願いしたい。また、今後の学校防災の礎になるような判決でなければ絶対にいけないと思う」

佐藤美広さんは、一言一言かみしめるように話す。

「私がどうしても納得できないのは、学校で亡くなった子どもたちに対して、子どもたちの安全を守らなければいけない行政や教育者が、理由を付けてまで私たちと闘うことでした。亡くなった子どもたちが何か悪いことをしたのか、争わなければならないことでもしたのか。本当は裁判まで起こしたくなかった。裁判長には、誰が見ても納得できる判決を望んでます」

紫桃隆洋さんは、こう決意を語る。

「たくさんの人たちに応援して頂き、ここまで来れた。子どもが朝、“行ってきます”と言ったきり、学校から帰らないまま時間だけが経った。家族から遺族に変わって、まだ実感がない。結審しても、私たちの検証は続いていくと思います」

当時小学3年の未捺ちゃんを亡くし、生き残った4人の児童うち一人の父親でもある只野英昭さんは、こう訴えた。

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結審にあたり、原告側は356ページの最終準備書面を提出した

「あの日の大川小学校の校庭の状態がずっと続いている。これではダメだと思っている先生方は現場にたくさんいても、責任を負いたくないからと手をこまねいているうちに、津波は来る。あの日の51分間が、判決の日までの長い間、ずっとさまよい続けている感じがします。これまで被災校舎のガイドを依頼されてきました。全国各地から、被災地熊本からも、教育・学校関係者が来られて、みんな“なんで目の前に山があるのに…”と同じことを言います。でも、宮城県と石巻市だけは、いまだに来ません。あの震災で、何を学んだのか。判決によって、県や市の先生方が動けるようにしてほしいと思います」

この日、原告側は、356ページにわたる最終準備書面を提出した。

一方、石巻市の亀山市長は、次のようなコメントを発表した。

「市といたしましても、本件事故の原因に迫るために、できる限りの主張・立証に努めてまいりました。本件事故が発生したことを重く受け止め、学校防災の充実・強化に努めてまいります」

また、宮城県の村井知事も、こうコメントした。

「これまでの訴訟手続の中で、本県としての考えを真摯に述べてきたところであり、裁判所の判断を注視してまいります」

判決は、10月26日15時から仙台地裁で言い渡される。

加藤順子

ライター、フォトグラファー、気象予報士。テレビやラジオ等の気象解説者を経て、取材者に転向。東日本大震災の被災地で取材を続けている。著書は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社、共著)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社、共著)など。Yahoo! 個人 http://bylines.news.yahoo.co.jp/katoyoriko/

池上正樹

大学卒業後、通信社などの勤務を経てフリーのジャーナリストに。主に心や街を追いかける。震災直後から被災地で取材。著書は『ひきこもる女性たち』(ベスト新書)、『大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち』(講談社現代新書)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)など多数。厚労省の全国KHJ家族会事業委員、東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会委員なども務める。ヤフー個人http://bylines.news.yahoo.co.jp/masakiikegami/

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写真家・ジャーナリスト加藤順子氏が追った大川小学校
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