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「アンネの日記」最後の言葉から72年、そこに記された少女の願いとは

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ナチス・ドイツによるホロコーストの悲劇を象徴する「アンネの日記」で、ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクが記した"最後の日記"から8月1日で72年を迎えた。

アンネの日記」は、ナチスによる「ホロコースト」の悲劇や第二次世界大戦を象徴する本として世界約70カ国の言語に翻訳され、3100万部を売り上げるベストセラーとなり、「世界で最も読まれた10冊の本」の1つにも数えられている。

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写真で振り返る第二次世界大戦
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■悲劇の少女、アンネ・フランクとは

アンネ・フランクは1929年6月12日、銀行家の父オットーと母エーディトの間に、2人姉妹の妹としてドイツで生まれた。4歳までフランクフルトで育ったが、折しもドイツではヒトラー率いるナチスが政権を獲得。ユダヤ人への迫害が激化していった。

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アドルフ・ヒトラー

身の危険を感じた一家は国を逃れ、オランダのアムステルダムに移住したが、1939年9月にナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まると、中立を宣言していたオランダにもドイツ軍が侵攻。オランダは占領され、ユダヤ人は激しく迫害された。

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アムステルダムに入ったドイツ軍。1940年5月

1942年6月、アンネは13歳の誕生日に、父からサイン帳をプレゼントされた。アンネはこのサイン帳に日記を書くことにした。日記の体裁は、心の支えとなる架空の人物「キティー」に送る手紙という形をとった。

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ベルリンのアンネ・フランク・ツェントラムに展示される、アンネが日記に用いたサイン帳。

1942年7月からは、一家はユダヤ人狩りから逃れるべく、知人らと一緒に「隠れ家」で生活を始める。以後、アンネは約2年間にわたって学校の先生や友人との出来事、激しさを増すユダヤ人への差別や隠れ家での生活に関する話、戦争と平和に対しての思いを書き綴った。その間、隠れ家には泥棒が入り、食糧事情も劣悪化するなど、アンネを取り巻く環境は悪化する一方だったが、そんな過酷な環境下でもアンネはひたむきに日記を綴った。

じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。(中略)いまでも信じているからです。———たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。
(1944年7月15日)

名著36 『アンネの日記』:100分 de 名著より)

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アムステルダムにあった、父オットーの会社の建物。この建物の裏につながって存在する「後ろ家」の3階と4階部分に隠れ家があった。現在はアンネ・フランク財団によって管理されている。

1944年6月、アメリカなど連合軍によるノルマンディー上陸作戦が始まると、アンネ一家にも希望の光が差し込んだと思われた。しかしその2か月後、ナチス・ドイツのゲシュタポ(秘密国家警察)によってアンネ一家は捕らえられ、強制収容所へと送られた。

連行される直前、アンネは日記に「理想の自分になりたい」という願いを記している。これがアンネ最後の日記となった。

なおも模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです。
(1944年8月1日 最後の日記)

名著36 『アンネの日記』:100分 de 名著より)

だが願いむなしく、アンネは強制収容所でチフスに罹り、わずか15歳でこの世を去った。日記は戦後、生き残った父オットーによって出版され、2009年には世界記憶遺産となった。

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1947年にコンタクト社から発売された「アンネの日記」

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