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ヒムラーの日誌発見 ホロコーストを命令した男は「子煩悩な父親」だった

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ナチスドイツの親衛隊全国指導者であり、ホロコーストの実行者の一人、ハインリヒ・ヒムラー(撮影日不明)

ディナーパーティー、愛娘との電話、マッサージの施術、そして大量虐殺の命令。

ドイツの大衆紙「ビルト」は8月1日、ナチス親衛隊(SS)の全国指導者だったハインリヒ・ヒムラーの業務日誌が、ロシア・ポドリスクの軍事資料館から発見されたと報じた。

新たに発見された日誌のページには、ヒムラーがホロコースト(ユダヤ人の大虐殺)を企てた様子を詳細に記録している。一方で、自分の家族と過ごす穏やかな様子も記録されている。

イギリスのユダヤ系新聞「ジューイッシュ・クロニクル」によると、ヒムラーの日誌の多くは以前から存在が確認されていたが、今回は戦後行方不明になっていた1938、43、44年分の約 1000 ページが発見された。「日誌」とのみ記載されていたという。

大衆紙「サン」によると、4万1500 人が殺害されたダッハウ強制収容所の「友好的な」昼食の様子や、5万6000人が殺害されたブーヘンヴァルト強制収容所でヒムラーが親衛隊のカジノのカフェで、軽食を取っていた光景が記されている。

また、ヒムラーは日頃起床してすぐ2時間のマッサージの施術を受けており、妻マルガレーテと、「お人形さん」と呼んでいた娘のグドルーン・ブルヴィッツと話すために、ほぼ毎日のように自宅へ電話していたという。

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1944年、ハインリヒ・ヒムラー(左から3番目)が、ナチスの指導者アドルフ・ヒトラーを迎える。

日誌の発見に関わったビルト紙のダミアン・イモエル氏は「最も興味深いのは、子煩悩過ぎる父親と冷血な殺人鬼が共存していることです」と、タイムズ・オブ・ロンドンに語った。

「彼は自分の秘書との不倫を重ねるだけでなく、妻や娘にも決して気配りを怠りません。同僚や友人の面倒見もいいですね」と、イモエル氏は語る。「その上で、恐怖の男なのです。ある日、彼は起床すると、朝食を取り、主治医からマッサージを受け、それからドイツ南部に住む妻と娘に電話を掛けます。その後、彼はユダヤ人10人の殺害を決定するか、あるいは強制収容所を訪れるのです」

この日誌では、第二次世界大戦の最大の残虐行為ホロコーストに関してほんの少ししか触れられていなかった。

サン紙によると、ヒムラーは、「SS特殊部隊の旅」と名付けた日誌の中で、「絶滅収容所」のひとつ、ソビボル強制収容所で囚人をガスで殺害するために使われるディーゼルエンジンを探していると記している。殺害するユダヤ系の囚人がいなかったので、400人の女性と少女がルブリンの近隣都市から連行されたという。

大量虐殺の後、ヒムラーは親衛隊の将校たちと「宴会」を開いている。

この戦争の最も悪名の高い瞬間の一つは、「親衛隊将校たちへ17:30に行った演説」としてのみ記載されていた。これは、ヒムラーが1943年10月4日、ポーランドのポズナンで行なった演説に触れている。この中で、ヒムラーは「ユダヤ人の絶滅」を「小さな問題」と言及していた

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ヒムラー(左)が、ソビエト連邦兵士の捕虜収容所を視察する

アメリカやイギリスの連合国と講和交渉に入ろうとしたヒムラーは解任され、ホルシュタインからエルベ川を超えて逃亡したが、バルンシュテットでイギリス軍に拘束された。ヒムラーは1945年5月23日、身体検査中に隠し持っていたシアン化カリウムで自殺した。

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

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