「僕の描いている絵は悲鳴なんです」 覆面画家・281_AntiNukeが路上で反原発アートを続ける理由

「日本版バンクシー」とも呼ばれる男は、なぜ渋谷の路上で反原発のストリートアートを続けるのか。インタビューで直撃した。

日本有数の東京・渋谷のセンター街の路地裏は、無数の落書きで埋め尽くされていた。その中に一際、目を引く少女を描いたシールがあった。少女が手に持っている花は、放射線マークの形をしている。彼女がそっと口で吹いたことで、花ビラの形は崩れていく......。明らかに他の落書きとはタッチが違う。鮮烈な印象を受けた。

これを描いたのは「281_AntiNuke」と名乗る日本人男性。反原発のストリートアートで知られる日本人の覆面芸術家だ。2011年の東日本大震災以降、主に渋谷を拠点に反原発アートのシールをゲリラ的に貼るなどの活動をしてきた。

そのメッセージ性の強い作風から、同じく覆面芸術家で、ロンドンの路上を拠点に活動するバンクシーに倣って彼を「日本版バンクシー」と呼ぶ声もある。

なぜ、彼は今も路上で活動を続けるのか。素性を明かさないことを条件に7月22日、渋谷周辺の喫茶店でインタビューした。

――すごくインパクトのあるイラストですが、今まで絵の勉強をされたことはあったんですか?

ないですね。もともと趣味で描いていただけで、全くの我流です。子どものころ、イギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」のジャケットを手がけたジェイミー・リードの作品を見て衝撃を受けました。イギリスの階級社会や差別を揶揄したブラックジョークが散りばめられていたし、社会問題に対して絵という形でメッセージを出すことができるんだと気づきました。ただ、日本では描く理由がなかった。ストリートアートも、高校生のとき、たまにやったぐらい。当時は特に自分にメッセージもないし、訴えたいものもなかった。

――では本格的に始めたのは東日本大震災が起きて以降?

そうですね。福島第一原発の事故が起こって「ちょっと世の中おかしいぞ」と思うようになりました。震災後2週間ぐらいは何も感じなかったんですよ。僕は「まさかね」って方でした。「だってさ、そんなのあり得ないじゃん」という思いが強かった。まず事故が起きるわけないし、起きたとしても何か対処できるはずだと思っていました。

――どこでそれが変わったんですか?

たまたま知人が外資系の企業に勤めていたんです。彼は「2週間は部屋から一歩も出るな」と、会社に言われていました。ところが日本企業なんて、もう普通に仕事しているんです。それまでに聞いている話と全然違う。そのことがきっかけで、ネットで情報収集していくうちに、どうも僕がこれまで普通に受け取っているものと違う世界があるらしいと気づいたんです。

――「マスコミが流している情報と、原発事故の実態が違うのでは」と思った?

「何か違う」「妄想とは言い切れないんじゃないだろうか」と感じるようになりました。自分でも理由は分からないんだけど、なぜか絵を描こうと思ったんですよ。そのときの気持ちを、怒りを絵にしようと思いました。とにかく体の外にその怒りを具体化したくて、その手段として絵を選びました。1つの塊になる。すごく速いスピードで伝わるものになるかもしれないと思って。

――最初に描いたのはいつごろですか?

震災から3カ月後の2011年6月ごろに「281_AntiNuke」のTwitterアカウントを開設して、ネット上で作品を発表していきました。ストリートで活動するようになったのは、さらに半年後の12月ごろです。

――なぜネット上だけでなく路上でゲリラ的に作品を発表しようと思ったのでしょう?

ネット上で活動しても、原発問題に興味あって調べている人間にしか伝わらないんです。もっと広く訴える方法を考えたときに、これはもう乱暴なんだけど(路上にゲリラ的に描く)「グラフィティ」っていう手段が速いよねって思ったんです。暴力的に視界に飛び込んでくるからです。凝縮された1枚の絵がそこにあることが大事なんです。それを憎んでくれてもかまわないし、1秒でも2秒でもいいから、気に留めて欲しい。別に「YES」と言ってもらいたいわけじゃないんです。

もっと言えば、3.11が終わって半年もしたとき、世の中の多くの人は、震災のことをすっかり忘れたようになっていました。渋谷の街も飲み歩いてる人ばかりで、もう過去の話みたいな雰囲気だったんですよね。つい半年前に、あれだけ電気が消えて真っ暗で、あんなに「絆」と連呼していたのが遠い昔のようでした。それへの反発もあったんです。

Twitterでも、原発や震災のことを話題にしていたのは一部の人だけです。でも実際には社会全体で考えていかなきゃならない問題です。忘れて欲しくないし、考えてもらいたい。乱暴だけど、そういう手段かなって切羽詰っていました。

――建造物に無断で絵を描くことは、器物損壊罪に問われる可能性があります。それでもあえてやる理由は?

理由にならないと言われるでしょうが、効果があると感じているからです。いくつかのメディアや何人かの人が、街でボクの絵を見つけ、コンタクトを取ってきました。出会いや意見の交換がありました。もちろん、非合法は問題なので、(発表に適した)場所は探しています。

――初期の作品ですと「I HATE RAIN」のステッカーですね。どういう趣旨だったんでしょうか?

これは全部で290種類ぐらいあるんですけど、どれもパターンが違うんです。放射線で汚染された雨が降ると、そのたびに汚染されていく。僕らの子どものときって、雨ってすごく楽しいものでした。でも今の小っちゃい子に、水たまりで遊んで欲しくないし、雨の中で遊んでもらいたいなんて思わない。そんな普通の遊びすらできなくなった。それで、僕がものすごく「雨が憎い」と思ったときに作った絵です。

すごく小さい絵なんだけど、このステッカーを町中に貼ったことで、いろんな人がFlickrやInstagramなどで写真を撮って共有してくれました。多くの柄を作って渋谷中に貼ったら、誰かが「いろんなのあるな」と気づいてくれると思ったんです。

――声高に叫ぶのではなく、静かに伝わるようにした?

声高に叫ぶよりは静かに、ちょっとした「考えるきっかけ」にしたかったんです。同じことを言っても、声の出し方で伝わるかどうかは変わります。たとえば「戦争反対!」「原発反対!」と拡声器で叫ぶと、逆に届きにくい。僕が訴えたかったのは、身近な問題。近所で「小っちゃい子が遊べねえんだよ」っていうことだけです。それに対して憎いと思わないのか、そうなったことに対して危機感はないのかって、身近なところから問いかけたかった。

――パッと見ただけでは思想性が分かりにくいですが、よく見るとわかる形になっていますね。

やっぱり反原発に関わるアートは、憎悪は当然わかるんですけども、ちょっとメッセージが強すぎる物が多いと僕は思っていました。でも強烈な皮肉ってあるじゃないですか。言われている当事者も聞いちゃうみたいな。イギリスにあるような辛辣が過ぎて笑っちゃうジョークみたいなものを目指しました。やっぱりパンクの精神がそうだから。

――子どもがテーマになっていることが多いのはなぜ?

未来の象徴だからです。可哀相じゃないですか。僕らはもう数十年後には死にますけど、いい時代を生きたと思うんです。僕の絵は、今の小学生くらいの子供たちをイメージしています。彼らは何も分からないうちに、大人がめちゃくちゃにしてしまった。

身近な子供たちを見ていて、僕は絶望的な思いを感じています。僕らは死んでしまっても、今生まれた子達は、どうするんですか。こんな無責任なことになって。自分の親父やお袋は、俺にしてくれたけど、俺らは同じことを今度生まれてくる子どもらにはしてあげられない。子どもたちの未来があるのかないのか、全然わからない。少なくとも僕には見当たらないんですよね、見えてこないんです。

――3.11から5年経って感覚が麻痺している人も多い中で、気づくきっかけを与えたかったということですね

そうです。でも、大きい声はやっぱり強くて、僕は安倍首相が世の中を動かした言葉って、自分に反対する勢力に対して「左翼」という言葉を使ったことだと思っています。カテゴリを作って分断して、悪を作って全部そいつらのせいにする。それは恐ろしいほど、世間に対して機能しているなと思いました。だからこそ、いろんな意見が出ていてほしい。だからこそ僕がやっているようなくだらない絵は、街に普通に存在していいと思うんです。

――そういった意見すら出てこないような世の中になるのは避けたいと。

そうですね。そうあるべきだと思いますよね。これは、僕の悲鳴なんですよ。僕の描いている絵は、自分の悲鳴なんだなって思うときがあるんです。だからそれがどう伝わるか、伝わらないかは本来関係ないんですよ。噛み付かれれば、悲鳴をあげる。ただそれだけです。もちろん、悲鳴だから助けを呼んでいるわけで、全く伝わらなくていいとは思わないけど。

【281_AntiNuke作品集】

3rdBOMB

281_AntiNuke作品集

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