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「あるとき夢できれいな草原を見た」写真家・川内倫子が、縁のない熊本に5年間通った理由

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シリーズ「Search for the sun」より (c)Rinko Kawauchi

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シリーズ「川が私を受け入れてくれた」より (c)Rinko Kawauchi

柔らかな光、透明感あふれる色彩、タイムレスでボーダレスな懐かしい景色。何度も目にしているはずの風景が、初めて見る一瞬のようにも見えてくる。

写真家・川内倫子の撮る写真を見て、そんな不思議な感覚に襲われる人は多いだろう。

川内さんは2002年、写真集『うたたね』『花火』で木村伊兵衛写真賞を受賞して以来、第一線で活躍。海外でも写真展を多数開催するなど、日本を代表する写真家のひとりだ。オーストリアの美術館は、川内さんを「現代写真におけるもっとも革新的な作家の一人」と称する。

現在は写真展「The rain of blessing」(祝福の雨)をGallery916(東京・港区)で開催している(2016年9月25日まで)。写真家としてのインスピレーションの源は? 4月に大地震に襲われた熊本の地との接点から、海外での活動、最新作についても聞いた。

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■時間の流れ、記憶、人間との関わりを写真で表現した

――東京で開催される大きな展覧会としては、2012年「照度 あめつち 影を見る」(東京都写真美術館)以来、4年ぶりですね。

そうですね、昨年もGUCCIで展示はしたのですが、映像メインのインスタレーションだったのでプリントをたくさん展示するのは4年ぶりですね。「照度 あめつち 影を見る」のときは自分の中ですごく展示に満足できたんですね。あのとき自分ができることは全部できたな、と思って。だから次に東京でやるときも中途半端にはしたくないという思いがあったことと、東京以外でもいろいろと展示の予定がありましたので、そっちにも力を入れているうちに気づけば時間が経ってしまいました。

――初期作『the eyes,the ears』(2005)から国内未発表作まで4つのシリーズで構成された100点超の写真作品のほか、新作の映像作品も上映されています。身近な日常風景からアルプスの氷河まで題材も多岐に渡っています。

『the eyes,the ears』の発表からわりと時間が経っていたので、今、新たにもう一度見てみたいという気持ちから新作と混ぜてみたらちょうどいい感じになりましたね。


シリーズ「The rain of blessing」より (c)Rinko Kawauchi


シリーズ「The rain of blessing」より (c)Rinko Kawauchi

――「Search for the sun」は、オーストリアで発表された作品ですね。

「Search for the sun」(太陽を探して)は、2015年にオーストリアの美術館「クンスト・ハウス・ウィーン」で開催された展覧会のために撮った作品です。美術館から「題材は何でもいい」と言われてたんですけど、その時点ではオーストリアのことを何も知らなかったので、いろいろ調べてみたら、ずっと気になっていたモチーフのひとつである氷河が残っていることを知って。

それと洞窟や金も有名だと聞いたので、洞窟、氷河、それから金貨を作る造幣局を撮影しに行きました。現地の人に聞いたら「別に有名でもないよ」って言われたんですけど(笑)、「それでもいいよ、私は興味があるから撮るわ」って撮らせてもらって。

そんな風に偶然もあって決めたモチーフだったんですけど、氷河と洞窟という暗闇に閉ざされた場所を撮ってから最後に金を撮ったとき、「私の頭と体はこれを探していた気がする」という思いがすごく湧いてきたんですね。

――頭と体が「金」を求めていた、とは?

調べてわかったことなんですが、「金」って占星術では「太陽」のメタファーなんですよ。写真の命題って、そもそも光がないと撮影できない。光=太陽であり、やっぱり私たちは太陽に生かされているんだなということをすごく実感した。

ずっと無意識に求めていた答えが1つ見つかったな、って。「太陽を探して」というタイトルはそこから浮かんできました。

――一見、空にも海中にも見える氷河の写真も印象的です。接写しているようにも、遠くの風景を写したようにも見えてきます。

氷河はたくさんの層があるから、奥の方の泡にピントを合わせると、手前の泡にはピントが合わなくなる不思議な距離感があるんですよね。あの空気のつぶつぶには何年も前の空気が真空パックされているんだと考えると、長い時間の流れを感じますよね。


シリーズ「Search for the sun」より (c)Rinko Kawauchi

時間の流れ、記憶、人間との関わり。そういったものを常に作品で顕在化していくことが自分のテーマであり、それは一貫して変わらないんだな、というのを今回の展覧会では実感しましたね。初めての個展から20年近くが経つので、ここでまとめて一回振り返ることができたのはよかったな、と思っています。

■縁もゆかりもない熊本に5年間通い続けた理由

――今回のメインとなる出品作「川が私を受け入れてくれた」は、熊本を撮影したシリーズです。熊本にはかねてから通い続けて、「野焼き」の撮影を元にした「あめつち」を発表されていますよね。ご出身は滋賀県ですが、なぜ熊本との縁ができたのでしょう? 

あるとき夢の中ですごくきれいな草原の景色を見たんですよ。「ああ、すごくきれいだなぁ。どこなんだろう。ほんとにある場所なのかな?」と思って目が覚めたんですけど、わからないまま半年ぐらいが経った日曜日の朝、コーヒーを飲みながらテレビを見ていたらその景色が出てきたんです。それがもうびっくりするくらいに夢で見たそのままの景色で。それが阿蘇の風景でした。

ひょっとしたらどこかで以前見ていたのかもしれないですけれど、全然記憶になかったし、面白いなあと思ってネットで調べたら、阿蘇で野焼きをやっていることがわかったんです。野焼きはもともと撮影したかったモチーフだったので、2つのキーワードが重なったので行ってみようと、思って行ったんですね。そこから「あめつち」の撮影が始まりました。

—―不思議な体験ですね。

そしたら野焼きの景色が圧倒的だった。被写体としても魅力的だし、とにかくもう一回見たいと思って、いったん撮影が終わった後も通って、そのうち阿蘇全体の景色も見たいなと冬も行くようになって、じゃあ四季を通してどういう風に変化していくのか、ってところにも興味が出てきて。結局、足かけ5年にわたっていろんな季節に通いました。

5年も通った理由のひとつには、故郷以外の土地につながりを持ってみたかった、という思いもありました。しつこく通ってみる、という行為をして、そこから自分の中で何が芽生えていくのか知りたかった。全然関係のない土地につながりを持つことの意味を考えたかったんです。結果としては友達も増えたし、土地について深く考えることができたので良い試みでしたね。

――「野焼き」のどんなところに惹かれましたか。

火がわーっと燃え上がる景色って、単純に人の五感をすごくくすぐってくる。焚き火とかもずっと見ていられるじゃないですか。やっぱりあれも人間の無意識に働きかける要素のひとつだと思いますし、燃え尽くすというのは死の象徴でもある。私の写真はよく生と死の象徴だみたいなことを言われたりもするんですけど、火はそういう意味でもすごくわかりやすい、強いモチーフだったので興味はありました。

――そういった夢が現実になる体験はその以前にもありましたか?

いえ、初めてでした。ただ、最初の写真集の『うたたね』というタイトルにある通り、「うたたね」が自分のアイデアソースであり、モチベーションになっている部分はずっとありますね。

うたたねしているときって、半覚醒状態というか、半分眠っていて半分起きている世界ですよね。そこで見える景色っていうものがあって、それらを顕在化していくというのが興味の対象であることは初期作からずっと変わっていません。

■記憶の連鎖――熊本の写真で試したかったこと

――「川が私を受け入れてくれた」シリーズでは、熊本の風景を撮影したものですね。展示している写真のまわりに詩篇のような言葉が散りばめられています。

あのシリーズは、熊本市現代美術館のキュレーターの冨澤治子さんから「何か熊本に縁のある作品を作ってもらえますか」と言われて、じゃあ「わたしの熊本の思い出」というテーマで場所と文章を公募して、そこに行って撮るのはどうですか、という風に私から提案したんです。

そうしたら寄せられた文章がすごくよかったんですね。それぞれ読んでいてうっと泣きそうになるくらいに皆さん素晴らしくて。これは生かした方がいいかなと思ったので、それぞれの文章から私がちょっとずつ抜き出して文を組み合わせて、ひとつの詩のように文章をコラージュしました。こういう形のコラボレーションは初めてです。

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――熊本の「記録写真」ではなく、誰が見ても普遍的な懐かしさを感じさせる作品が多く見られます。

私の写真を見た人からは「自分が見た景色のように感じる」「なぜか懐かしく感じる」と言う意見をよくいただくんですね。それはやっぱりみんなが持っている潜在意識の中でどこかつながっていると思うんですが、写真化することで集合的無意識を顕在化していく試み、連鎖によって何が見えていくかということにはすごく興味があったんです。

単純に場所を記録していくというよりは、私がその場所に行ったら何を感じるのか、ということがコラボレーションになると思っていて。それぞれの人の思い出が、私の新しい思い出になり、私の写真を見た人にとってもまたひとつの思い出になっていく……という記憶の連鎖みたいなことがどんな風にできるのかなという実験的な試みでした。

――熊本の人たちの記憶と川内さんの感性が融合した作品になった。

「川が私を受け入れてくれた」は今年1~3月に熊本市現代美術館で同名の展覧会を開いたんですが、「あの場所だ」ってすぐにわかる人もいて、地元の方たちの熊本への愛を感じることができてよかったですね。

ただ、その展覧会が終わった2週間にあの大地震が起きてしまって。熊本城の石垣も崩れてしまったし、撮影した場所の中にも地震の被害でなくなってしまった場所もある。

私にもできることをという思いから、個展会期中はギャラリーで熊本で撮影した作品をチャリティプリントとして販売しています。微力ながらも復興のお手伝いになればと。

■ノートの感想「自分のなかのあいまいなものを肯定してもらえた」

――展覧会の会場にある感想ノートには、川内さんの写真を見ると「自分のなかのあいまいなものを肯定してもらえた気がします」という感想が寄せられていました。

そうなんですか。嬉しいですね。それは私自身の中にもある感覚だし、人には誰しも世界に肯定されたい、受け入れられたいという欲求がありますよね。今回の展覧会のタイトルにした「祝福の雨」という言葉もそういった気持ちから選んだ部分があるので、そんな風に感じてもらえたなら写真家になってよかったなと思えますね。

――川内さんの作品は海外、とく欧米圏で高い評価を受けていますが、あいまいさを肯定する感性や表現方法が、欧米の人たちには新鮮に写るのでしょうか。

それはあるかもしれません。たとえばドイツの写真ってアカデミックでコンセプチュアルな作品が多いんですよ。でもドイツ人の若い写真家の女性から、私の写真を見てすごく変わった、自由になったという風に言ってもらえました。

写真自体はすごく具象的なものだけれど、それを表現として昇華させるときには抽象性を増していきたいと思いながら作品をつくっています。そのバランスは毎回すごく難しいし、面白い。それが作品をつくる醍醐味だと思っています。

(後編は8月31日公開予定です)

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