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北朝鮮に拉致された韓国の映画監督と女優。1978年の事件が描く「映画マニア・金正日」

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1978年2月、韓国の新聞は一斉に、ある女優の失踪事件を報道した。彼女の名前は崔銀姫(チェ・ウニ)。『離れの客とお母さん』『聾唖の三竜』『成春香』『地獄花』などに出演し、1960年代の韓国映画をリードした代表的な女優の1人であり、映画監督・申相玉(シン・サンオク)とともに一時代を率いた人物だ。彼女は香港に滞在中、姿を消した。拉致、誘拐、殺人などが取り沙汰されたが、彼女の行方を知る者はなかった。事件当時、離婚した元夫だった申相玉監督は、彼女を探すため香港に旅立った。香港警察による取り調べの後、彼は現地に赴いた韓国の報道陣にこう語った。「崔銀姫は間違いなく北朝鮮によって拉致された」。そして同年、申相玉もまた、姿を消した。

2人は北朝鮮に拉致されていた。そして、彼らの拉致を指示した人物は、金正日だった。

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※この記事は、ドキュメンタリー映画『将軍様、あなたのために映画を撮ります』の内容について、詳細に記述しています。

■映画を愛した男2人と女

韓国映画史上に名を遺す映画人はあまたあるが、申相玉と崔銀姫ほど強烈に名を残した人物も他にないだろう。2人は洪性麒(ホン・ソンギ)監督と女優・金芝美(キム・ジミ)の『春香傳』vs 申相玉監督と女優・崔銀姫の『成春香』という対決の勝者であり、1960年代の韓国で唯一、メジャー・スタジオによる映画制作システムを実現した立役者でもあった。また、金正日によって北朝鮮に拉致された後は、北朝鮮でも自分たちの代表作を制作した。特に2人の拉致と脱出、亡命に至るまでの事件は、彼らが制作した数多くの映画をも上回るドラマとなった。

イギリスのドキュメンタリー監督ロス・アダムとロバート・カンナンは、崔銀姫と彼女の家族、そして2人の北朝鮮脱出を手助けした多くの人物と会い、『将軍様、あなたのために映画を撮ります』(原題:The Lovers and the Despot)というタイトルのドキュメンタリー映画を完成させた。映画に生涯をささげたカップルと、映画マニアとしても知られる独裁者との出会いを描いたこのストーリーは、時代を超えても興味をそそられる。

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まず、当時発生していた他の拉致事件の悲劇とは、異なる性格の事件だったことを話しておかねばらない。香港で韓国企業駐在員の夫に夫婦げんかの末に殺害されたのち、全斗煥政権の反共工作で「夫を北朝鮮に拉致しようとした女スパイ」に仕立て上げられたスージー・キム殺害事件とも違う。申相玉と崔銀姫は幸いにも脱出に成功して家族との再会も叶い、以降も意欲的に映画制作活動を続けている。『将軍様、あなたのために映画を撮ります』が、2人の拉致事件に再びスポットを当てることができた理由も、ここにある。

インタビューに応じた崔銀姫は、申相玉監督との日々を懐かしいまなざしで振り返る一方、当時の悪夢はもはや消え去ったかのような明るい表情で、拉致された時のことを語っている。『将軍様、あなたのために映画を撮ります』では、2人のストーリーは恐ろしい記憶だが、悲劇ではない。切っても切れないロマンス、緊張感あふれるスパイ戦、命を懸けた決死の脱出、そして全世界に類のない映画制作システムによって映画を作ることになったエピソードが織り込まれた、さながら一つの伝説のようなノンフィクションだ。

拉致事件の内幕は当時の報道を通じて詳しく知られている。申相玉と崔銀姫は北朝鮮を脱出後、『祖国はあの空の彼方に』というタイトルの手記を出版している。また、崔銀姫は自身の手によるエッセイ『崔銀姫の告白』でも当時の話を詳しく伝えている。(申相玉監督も『私は映画だった』という回顧録を執筆しているが、すでに手記で全て明らかにしたため、この本では自身が北朝鮮で制作した映画の話だけを書いている)。

崔銀姫は、自身が運営していた芸術学校への投資話をするため香港に向かった。そこには崔銀姫のショッピングガイドを務める女性がいた。その女性の案内で、人に会うために出かけた先で、1隻のボートと4人の若者が手を振っていた。そしてボートに乗り込んで、大きな船へと乗り換えたところ、船内には、金日成と金正日父子の写真が掲げられていた。8日間にわたる航海ののち、北朝鮮の南浦港に到着すると、金正日の出迎えを受けた、というのが事件のあらましだ。

北朝鮮がどれほど綿密な拉致計画を立てていたのかは『将軍様、あなたのために映画を撮ります』の一節からも知ることができる。崔銀姫を探しに香港に向かった申相玉は、現地で、以前に申フィルムの経理部長を務め、その後、申フィルムの香港支社長となっていた友人と会う。ところが実際には、この友人がすでに北朝鮮の指示を受けて動いていた人物であり、申相玉は自身の旧友によって北朝鮮に拉致されたというわけだ。

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■そして、映画を愛した独裁者

すでに知られたストーリーの中で『将軍様、あなたのために映画を撮ります』が強調するのは、申相玉と崔銀姫を拉致した過程を告白する金正日の肉声が使われていることだ。この録音テープは、申相玉と崔銀姫が北朝鮮滞在中に「レコーダーをかばんの中に隠し」て、直接録音した。後に北朝鮮を脱出した時に、自分たちが拉致されたことを立証する証拠として用いるためだったという。(2人の拉致をめぐって、事件当時の韓国では、自発的に北へ渡ったと噂されていた。そのため彼らの子女も「アカ」の子供と呼ばれたという)。

実は、この録音内容も1995年に『月刊朝鮮』が報道したことがある。にもかかわらず、『将軍様、あなたのために映画を撮ります』で、金正日自身が当時の北朝鮮映画の現実を嘆き、申相玉と崔銀姫を懐柔しようとする肉声を耳にするのは、かなり面白い体験だ。(この録音テープの公開以前には、アメリカの情報員も金正日の肉声を聞いたことはなかったという)。

2011年にこの世を去った金正日について、よく知られているのは、彼が「映画マニア」だったということだ。この事実を世界に知らしめたのも、申相玉と崔銀姫だった。申相玉監督は『私は映画だった』で、金正日の個人コレクションに等しい『映画文献庫』の実態について説明している。

「そこには1万5000編あまりの世界各国の映画フィルムが保管されていた。このうち半分ほどが、吹き替えされていた。吹き替え済みとは、すでに金正日が鑑賞したという意味だ。つまり、世界各国の映画を7000~8000編も見たことになる。(中略)この文献庫の南朝鮮室、つまり韓国室には300編あまりが保管されていたが、制作年度、出演俳優、監督、製作陣の名前まで詳しく記録した目録が備え付けてあった」

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申相玉監督は「私が制作した映画のうち、韓国ではすでに手に入らない『空爆作戦命令 赤いマフラー』の前半部分、『平壌爆撃隊』『烈女門』など10編あまりの作品のマスターテープも保存されていた」と振り返っている。さらに今も韓国の映画人が必死で探している李晩煕監督の『晩秋』のプリントまで保管されていたという。それほど多くの作品を執拗に集め、鑑賞してきた金正日にとって、当時の北朝鮮映画が満足できるものであるはずはなかった。『将軍様、あなたのために映画を撮ります』で披露された録音によれば、金正日は申相玉と崔銀姫に当時の北朝鮮映画の現実についてこう語っている。

「なぜか我々(北朝鮮)の映画は、いつも焼き直しばかりで、新しいストーリーの映画作りを全く目指そうとしないということです。一体なぜ、場面ごとに、葬式を出す家のように泣く場面ばかりを撮るのか。我々の映画では泣かなければいけないのか。葬式を出した家でもあるまいし、なぜこんな作り方をするのか」。

北朝鮮では、映画とは金日成と金正日の偶像化教育に用いる宣伝道具だった。だが金正日は、より良い宣伝道具ではなく、より良い映画のために、申相玉と崔銀姫を拉致した。7000~8000編あまりの映画を見た映画マニアを満足させる北朝鮮映画、そして全世界にその内容を知らしめる北朝鮮映画。『将軍様、あなたのために映画を撮ります』が映し出す出会いの中で、最も興味深い部分でもある。このドキュメンタリーを見た者がさらに首をかしげるのもこの辺りだ。北朝鮮という国家で、金正日と申相玉監督、崔銀姫はどのようにして映画を制作したのだろうか?

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■映画を愛しすぎた「歪んだオタク」

金正日は2人に「どんな政治的なイデオロギーも強要しないから、作りたい映画を思いっきり作れ」と言った。おかげで申相玉と崔銀姫は、北朝鮮でのタブーを無視して映画を制作できた。申相玉は韓国で失った「申フィルム」の名を、私有財産を認めない国家で再建することができ、金日成の教示でロマンスが禁止されていた北朝鮮で「春香伝」をモチーフに『愛よ、愛、私の愛』という映画を制作した。金正日の支援は惜しみなく、スピーディーで、巨額だった。1年におよそ300万ドルの制作費が使えたうえ、東ヨーロッパ国家との合作も可能であり、2万坪を上回る東洋最大規模のスタジオを作ってくれた。(だが申相玉と崔銀姫はこのスタジオを使うことなく、北朝鮮を脱出したという)。

申相玉の回顧録によると、彼が北朝鮮で撮影した作品のうち、代表作として名高い『脱出記』撮影当時のエピソードも興味深い。「この作品を撮影中、痛快だったのは、ラストシーンを撮影していた時のことだった。無理を承知で「映画の効果を高めるため、本物の列車を爆破したい」と言ったところ、すぐに許可が下りた。北朝鮮でこそ可能なことで、私も人生で初めて経験した、本当にスペクタクルな撮影だった」。崔銀姫も北朝鮮での生活が常に暗黒だったわけではなかった。彼女は『塩』で、モスクワ映画祭主演女優賞を受賞した。劇場でスタンディングオベーションを受けたことは、生涯最高の瞬間の1つだったと彼女は話している。

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映画マニアの独裁者と彼のバックアップを通じて、芸術魂を思い切り燃え上がらせた映画人。2人の関係は、韓国映画界の現実を垣間見たとき、さらなる皮肉となる。当時の韓国の軍事政権による検閲制度と映画政策は、芸術振興ではなく、社会統制のためのものだった。当時、検閲制度に反発する映画人の代表的な1人だった申相玉監督は、『バラと野良犬』の予告編で、未検閲のシーンが3秒間あったという理由だけで、映画会社の許可まで取り消されてしまった。(彼は『常緑樹』と『米』を制作し、一時は朴正煕大統領と一緒に青瓦台で映画を見るほど親密な間柄だった)。当時の韓国の映画会社は政権の顔色をうかがいながら反共映画や文芸映画を制作せねばならず、こうした1970年代の検閲制度が、60年代に大きく成長を遂げた韓国の映画産業を一挙に崩壊させていた。

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『将軍様、あなたのために映画を撮ります』で、金正日が当時の韓国映画を取り巻く環境について話すくだりは、だからこそいっそう興味深い。

「南朝鮮には民主主義がないでしょう? 自由がなくて…民主主義もない。創作への干渉があまりに多い。あっちも反共映画、こっちも反共映画(を作って)…つまりは自由がない」

金正日のこの発言はかなり誘惑を含んだものだ。韓国でもどうせ、自分の作りたい映画を思う存分作れるわけではない。さらに、韓国では自分で金を稼ぐか工面しなければ映画を作れないが、北朝鮮にいた申相玉と崔銀姫には、莫大な制作費用と映画制作の全権が与えられていた。こうした皮肉は『将軍様、あなたのために映画を撮ります』が描き出すストーリーの核心部分だ。

多くの韓国人監督の中で、金正日が申相玉を必要とした理由は何だったのか? 北朝鮮映画の体質変化と世界展開を夢見ていた金正日にとって、1人の芸術家であると同時に優れたテクニシャンであり、世界の映画界で認められていると同時に、ソウルがハリウッドと肩を並べる日を夢見て、メジャー映画システムを実現させた申相玉監督をおいて、ふさわしい人物はなかった。また、韓国の映画制作環境から見捨てられていた申相玉監督を拉致し、創作の自由を保証してやれば、自身の思いを成就できると考えたのだろう。金正日は独裁者の息子であり、北朝鮮のナンバー2であると同時に「歪んだオタク」だった。絶対権力と資本を両手に握りしめた者が芸術に狂ったとき、何が起きるのか。

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すでによく知られたストーリーを整理した『将軍様、あなたのために映画を撮ります』の持つ映画としての意味は、あまり知られていない金正日像を描き出した点だ。そればかりでなく、どういう状況下でも映画を作り出し、そこに自身の芸術世界を投影させる、執念の芸術家のストーリーでもある。申相玉監督と崔銀姫は、ひとまず生き残るために北朝鮮映画を制作したものの、映画にかける野心を隠さなかった。実際、申相玉監督は2001年に映画雑誌『シネ21』とのインタビューで「(北朝鮮ではなく)東ヨーロッパであれば脱出しなかった」と語ったことがある。

「偶像崇拝さえなければ。社会主義は当時の我々の理想でもあったから。ところがあそこは根本的に間違った社会だ。自分は1年に300万ドル使い、よい暮らしをしてはいたのだが」。また彼は回顧録で、北朝鮮で制作した映画について「南北間の初の合作映画と考えている」と明かしたこともある。

申相玉と崔銀姫は金正日をどのような人物と記憶したのか。自身の幸福を奪った独裁者という記憶だけではないはずだ。さらに金正日にとって、2人と共にした8年という時間はどういう記憶となったのか。金正日にとっても、自分を裏切った人間という記憶だけではないはずだ。芸術に国境はなく、永遠の敵も、永遠の味方もない。その奇異さゆえ、このストーリーは40年たった今でも魅惑的だ。

■『将軍様、あなたのために映画を撮ります』の監督ロス・アダム氏とロバート・カンナン氏への書面インタビュー

――『将軍様、あなたのために映画を撮ります』を制作することになったきっかけは何か。

金正日は知っていた。北朝鮮という国家については、恐ろしく思う反面、魅了されている部分もあった。だが、申相玉と崔銀姫についてはこの話を聞くまで、全く知らなかった。映画制作の世界の出来事で、これほどロマンチックなストーリーは、我々が映画を好きになって以来、初めてといえるほどだった。

――このストーリーで一番興味深いところはどの部分か。

申相玉と崔銀姫を、奇怪な状況に巻き込まれた平凡な人物と言うことには無理がある。2人は平凡な人間ではない。我々はこれほど危険な状況でも、本当に映画だけを愛した人たちの姿に魅力を感じていた。これは全く非凡な話だ。

――2人の話は世界的にもよく知られた事件であるにもかかわらず、このストーリーを「ドキュメンタリー」映画にしようとした理由とは何か。

この話が韓国と日本ではよく知られていることは知っていた。だが申相玉と崔銀姫が北朝鮮を脱出し、アメリカに渡って以降、ヨーロッパでこの話は多くの人に忘れ去られてしまった。ヨーロッパでこの話をするとかなり驚かれる。また、ヨーロッパでは今でも金正日の肉声を聞いたことがある人はほとんどいない。我々の映画が、韓国と日本の観客にも知らなかったことをお見せできる作品となることを願っている。

――崔銀姫にこのドキュメンタリー制作のためのインタビューを申し込んだ時、彼女の反応はどうだったのか?

崔銀姫はとてもオープンな態度で我々を親切に迎えてくれた。彼女はこのインタビューが、自身最後のロングインタビューとなると分かっていた。インタビューの間ずっと、彼女は自らの話を振り返りながら、多くのエネルギーを傾けてくれた。

――『将軍様、あなたのために映画を撮ります』には申相玉・崔銀姫カップルの様々な作品のシーンが登場するが、それらの作品はすべて鑑賞したのか?その中で最も興味深い作品を挙げるとすると?

申相玉監督と崔銀姫が手がけた、本当に多くの映画を鑑賞した。面白い作品が多く、1本だけ選ぶことは難しいが、しいて挙げるとすれば『地獄花』だ。ノワール・スタイルのこの映画は、戦後韓国の姿を映し出す魅惑的な窓だと考えている。我々はさらに、この映画を見た後で、我々の新しい映画会社の名前を「地獄花フィルム」(Hellflower Film)と名付けた。

――ドキュメンタリーには当時の拉致状況と脱出状況を再現したシーンが登場する。これは他の作品の映像を引用したのか?自ら再現撮影を行ったのか?

多くの人々がこのような反応を見せたことに、本当に驚きつつも喜んでいる。あなたを含む多くの人が、古い映画から映像素材を持ってきたのかと質問されたが、そのシーンは我々が実際に制作したものだ。我々がこの映画で使用した実際の記録映像と古い映画の違いを出すために、スーパー8mmカメラで撮影している。

――『将軍様、あなたのために映画を撮ります』で一番興味深かったのは金正日という人物だった。歪んだアーティストといった感じだろうか。このドキュメンタリーの制作中に、あなた方が金正日に抱いていた感情とはどういったものか?

もちろん我々は、金正日が北朝鮮という国家とその国民に悪行を犯していることを知っている。だが我々は、金正日を過去のヨーロッパ映画が描いてきたような、単純な悪人の姿にしたくはなかった。我々は金正日がどうやって、あれほど非凡な性格の持ち主となっていったのかを少しずつ理解するにつれ、いっそう強い興味を覚えた。崔銀姫も、金正日がとても知的なことに驚いたと言っていた。彼女に対しては、ほとんどアーティストと変わらない態度で接したという。我々はこういういくつかの細部に魅了された。金正日は、単純に効果的なプロパガンダ映画を作ろうとしていただけではない。彼は心から北朝鮮映画がもっと芸術的になることを願い、世界的に興行で成功を収める映画となることを望んでいた。これは本当に不思議な点だ。芸術を復興させようと努力する権力者には見られない姿だからだ。

――申相玉監督は2006年4月にこの世を去った。もしこのドキュメンタリーを制作中に彼にインタビューできたなら、一番してみたい質問は何か?

本当にたくさん質問がある。金正日について申相玉が抱いていた実際のイメージと、この話のミステリアスな部分についてさらに多くのことを尋ねたい。

――金正日も2011年12月に亡くなった。もし彼に会えたとしたら?

やはり多くの質問があるが、申相玉と崔銀姫を拉致したことについて、少しでも後悔しているかどうか尋ねるだろう。

――もし北朝鮮に拉致され、申相玉監督と同じ条件の待遇を受け、映画を撮ることになればどうだろうと想像してみたのではないか。

その通りだ。我々も想像してみた。映画制作費を調達することがどれほど困難か分かってもいる。だから独裁者が差し出す白紙の小切手の誘惑も理解できる。だが北朝鮮のような独裁国家を支持する者はいないだろう。北朝鮮は選択の自由がない場所だ。申相玉監督も、北朝鮮の収容所から本当にかろうじて出てくることができた。申相玉は生前、自分が収容所を出られる道は、ひたすら映画を作る以外にないと言った。だから金正日の信頼を得ようとし、彼の信頼をもとに外国に出かけられる特権を得た。もちろん申相玉監督も、たとえ独裁者のためであれ、満足な環境で映画を作れることに誘惑を覚えたはずだ。これは申相玉監督の生前の記録などからも理解できる部分だ。

ハフポスト韓国版に掲載されたものを翻訳しました。
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