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「キセキのタケノコ」で故郷を救え。人口80人の離島に帰った山﨑晋作さんの思い

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竹島の位置(Googleマップより)

竹島という離島がある。といっても、韓国と領有権を巡って係争中の島根県の島ではない。鹿児島港から村営フェリーで3時間ほど先にある鹿児島県三島村の「竹島」だ。島全体がリュウキュウチクという竹で覆われていることからこの名前がついた。人口は2016年10月現在で82人。50年前に比べて半減しており、過疎化が深刻だ。

島には高校がない。若者の多くは中学卒業と同時に島を出て、鹿児島県内の高校に通う。多くは、そのまま戻ってこない。そんな中、鹿児島市内のIT企業に勤めていた山﨑晋作さん(33)は2014年4月、脱サラして生まれ育った竹島に戻った。妻と1歳半の息子のため、島名産のリュウキュウチク(大名筍)を「キセキのタケノコ」としてブランド化を目指している。

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竹島産のタケノコを持つ山﨑晋作さん(右)


■「島だったら安心して子供を育てられる」

1983年生まれの33歳。竹島生まれ。中学卒業と同時に島を出て、鹿児島県内の高等専門学校に通った後に上京。コンビニ店員、バイク便、アイドルのスカウトなどさまざまな職業を体験した。その後、鹿児島市のIT企業に勤務し、スマートフォン向けアプリの開発の仕事に就いた。職場の同僚と結婚したことが、竹島に戻るきっかけになったという。

「子供ができたら島で育てたいなと思ったからです。あとやっぱり、生まれ育った場所に対して貢献したいという気持ちをずっと持っていました。以前、自分の姉の小さな子供と半年くらい一緒に住んで、面倒を見ていたことがあったんです。鹿児島市内で2〜3歳の子供だけで外で遊ばせるとかって、なかなかできなかった。でも島だったら、それくらいの歳になったら誰かしらが見ているし、みんな顔見知りなので安心して育てられる。島全体で子供を育ててくれるような印象がありました」

島に帰還から1年後の2015年4月に「NPO法人みしまですよ」を立ち上げた。島で雇用を生むのが目的だったという。

「雇用を作るっていうところなんですけれど、島の人口はどんどん減っていて、現在は80人前後です。そこから人を増やそうと思っても、仕事がないんですよね。村が仕事を発注するときにも、島内で出来る仕事も全部、外注に出されていました。島でできるものは、どんどん自分達でやろうという思いで、NPOを立ち上げました」

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「フェリーみしま」から見た竹島(2016年8月撮影)


■イタリア料理店が取引先に

2016年3月、村の名産品であるリュウキュウタケノコを「キセキのタケノコ」として出荷するために、クラウドファンディングで資金を集めることにした。地域プロデューサーの斎藤潤一さんが、竹島を訪れた際に、島内を案内。その際、リュウキュウタケノコを食べた斎藤さんから「こんなに美味しくていいものなのに、上手くやればもっと良くなるよ」と言われて、タケノコをブランディングすることになったのだという。

「村の組合が管理している竹林があって、出荷するタケノコはそこで採っています。それをブランド化して、青果に関してはNPOで販売窓口をやることになりました。組合からうちが製品として買って出荷することにしたんです。これまでは缶詰がほとんどで、缶詰工場も老朽化が進んでいたので、販路を開拓したかったからです。クラウドファンディングでは目標額を超える59万円が集まり、サンプルを送る費用などに充てました。これがきっかけとなり、鹿児島市内のすごく人気のあるイタリア料理店が取引先になってくれました。販路の広がりができたこともありがたかったです」

こうして第1回目の青果販売は成功を収めた。ただし、タケノコ販売で全く新しいやり方をしたことで、島内で摩擦が生まれることもあったという。

「もし誰も望んでいないのだとしたら、あの島を無理に変える必要もない。鹿児島市内で仕事をしたほうが、僕も楽です。そういう風に思うこともありました。しかし、周りの人に協力してもらってるから、うまく行くことができた。ここで、やめたら申し訳ない。だから頑張るつもりでいます。目的を見失いそうにはなることもあるけど、今はまだ結果が足りないんだろうなと。もっとガツンと結果が出せれば賛同してくれる人も増えるはずと気を引き締めています」

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「キセキのタケノコ」の料理