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プミポン国王死去、後継濃厚な皇太子はどんな人か 浅見靖仁教授にタイ情勢を聞く

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bhumibol bangkok
プミポン国王死去を悼む人々=10月14日

タイのプミポン国王が10月13日に88歳で死去してから、1週間以上が過ぎた。いまだ新国王が即位しておらず、民政復帰の時期をめぐっても不透明感が漂う。

社会的混乱の発生を強く警戒する軍事政権は、ワチラロンコン皇太子(64)が月内に即位する見通しを打ち出した。しかし在位70年以上に及び長きにわたって国民から親しまれたプミポン国王の死去の後、新国王がすぐに大きな求心力を発揮できるのか不安視もされている。首都バンコクには日本人駐在員も多く、また日本人にとってタイは人気の観光地なだけに状況が気になる。

ハフポスト日本版は、国王死去の直後にバンコクを訪れた法政大学の浅見靖仁教授(東南アジア政治)に現地の様子や今後の見通しなどを聞いた。浅見教授は「国民は国王が亡くなったことに対する悲しみと同時に、次の国王の治世に対する不安感も強く感じている」と語った。

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タイ情勢について解説する法政大の浅見靖仁教授(中野渉撮影)

――プミポン国王が亡くなった直後の週末、バンコクを訪れたとのことですが、どんな様子でしたか。

プミポン国王はタイの人たちにとってとても大きな存在で、国民の多くが国王の死を悼んでいるのは間違いありません。しかしバンコクの街全体が悲しみに包まれているという雰囲気では必ずしもありません。

私は、国王が亡くなった2日後の昼ごろ王宮に記帳に行きました。王宮内に入るための順番待ちの列は500メートルくらいで、30分ほどで王宮内に入ることができました。私の周りで列に並んでいた人たちは誰も泣いていませんでした。笑顔でセルフィーを撮っている姿もたくさん見ました。列に並んでいる人たちに、宝くじ売りのおじさんが普段のように売りにきて、冗談を飛ばしたりもしていました。

タイ外務省は17日、「王宮前に数千人が集まった」と記事に書いた外国報道機関に対し、「数十万の人々が集まったのに、数千人しか集まらなかったという不正確な報道することはタイの人々の感情を害するので、今後は正確な報道に努めるように」という抗議声明を発表しました。しかし少なくとも私が王宮のまわりの様子を見に行った15日と16日は、数千人というのは正確な報道だったと思います。

弔問に来た人の数の報道についてまで公式に抗議声明を発表するという対応にも見られるように、タイ政府は、国民全体が国王の死を嘆いているという雰囲気を作り出すために全力を尽くしています。これは現在のプラユット政権が2014年のクーデターによって誕生した政権であり、選挙によって選ばれた政権ではないこととも関係しているでしょう。プラユット首相は、その弱みを王室への忠誠心を誇示したり、王室から支持されていることを示唆したりすることによって補おうとしてきました。

しかし実際には国王が亡くなったからといって、タイ中の人たちが一日中嘆き悲しんで暮らしているわけではありません。ショッピングモールにはいつも通り多くの人がいました。バンコクでは、確かに、弔意を示す黒い服を着ている人が多いですが、喪服を来ている人はごく少数で、黒地の服なら何でもいいという感じです。ゲームセンターをのぞいたら、黒いTシャツやポロシャツを着た若いタイ人たちが大勢遊んでいました。ゴーゴーバーも、ダンサーの女性たちのビキニは黒ばかりになっていましたが、営業していました。

テレビも政府の統制が厳しい地上波のチャンネルは、国王の追悼番組一色になりましたが、ケーブルテレビでは国王が亡くなった翌日からは通常番組が再開されました。ただし、批判を恐れてか、カラー放送ではなく白黒にして放送している局が多かったです。ドラゴンボールのような日本のアニメやテレビショッピングなどの番組も、15日には白黒で放映されていました。


浅見靖仁教授が捉えたバンコクの様子。▼画像集が開きます▼

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プミポン国王死去直後のバンコク
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――プミポン国王は、多くの国民から尊敬・信頼されているという印象が強いです。

程度の差はあれ、多くの国民が国王を尊敬しています。勤勉な性格で、貧しい農村部の開発にも尽力してきたというイメージがバンコクなどの都市部では定着しています。タイでは、国王が1970年代や80年代に辺鄙な農村を訪問した時の映像が毎日のように繰り返し放送されるので、農村部の実態をあまり知らないバンコクの住民の間ではそうしたイメージが定着しました。しかし、農村の実態をよく知っている農民たちの間では、そうしたイメージはバンコクほどには定着していません。プミポン国王が、農村部よりも都市部での人気が高いのにはそうした事情もあります。

プミポン国王が即位したのは1946年で、70年間も国王であり続けました。現在のタイ人の多くはプミポン国王以外の治世を経験したことがありません。この70年間にタイは、経済的にも社会的にも、政治的にも大きく変化しました。そうした激変の時代に、王位にあり続けたプミポン国王は、年配のタイ人にとっては、この70年間のタイの歩みを象徴するような存在であり、また若い世代にとっては、様々なものが変わりゆくなかで数少ない変わらないものの象徴のような存在となってきたといえるでしょう。

国王の死が発表されてから、タイのテレビでは、様々な人たちがプミポン国王を讃える言葉を語っています。その中には、「タイの歴史上最も偉大な国王」とか「こんな立派な国王は世界中どこを見渡してもいない」といった発言をする人が少なくありません。日本で昭和天皇が亡くなった時に、そのような発言をする日本人はあまり見かけませんでした。それはタイの王制と日本の天皇制の性格の違いにも起因していると思います。

特に戦前の日本では、一般国民が天皇をランク付けして、どの天皇がどの天皇よりも優れていたかなどと判断することは不敬にあたると思われてしまったのではないでしょうか。少し固い表現をすれば、日本では個々の天皇ではなく、天皇制という制度そのものに権威が与えられているのに対し、タイでは王制という制度そのものというよりも、プミポン国王個人が権威を有しているともいえるでしょう。

タイの現王朝ができたのは1782年で、今から230年ほど前でしかありません。しかも1932年に、王族の支配に反発した平民出身の軍人や官僚の手によって、絶対王政から立憲王政に移行し、王政のあり方も大きく変化しました。立憲王政に移行後、国王として2年以上国内にいたのは、プミポン国王以外いないということもあり、現在のタイでは、プミポン国王個人の権威が、制度としての王制の権威を凌駕するような状況にあります。

制度としての王制ではなく、プミポン前国王個人の資質を国民が褒め称えることは、次の国王がプミポン前国王と比較すると、劣った国王だと判断される可能性があるということです。実際、現在タイの人たちの多くは、プミポン国王が亡くなったことに対する悲しみと同時に、次の国王の治世に対する不安感も強く感じています。

――プミポン国王が死去して、すぐに後継者が決まりませんでした。

戴冠式は前国王の死後からしばらく経ってから行うことはタイでは一般的なことですが、前国王の死後何日にもわたって次の国王が即位しないという状態は19世紀以降では前例がありません。現在タイは、王位に誰も就いていないという異常な状態にあります。

プミポン国王が亡くなった数時間後に、プラユット首相は国民向けにテレビ演説をし、国王の崩御を発表するとともに、王位はワチラロンコン皇太子が継ぐと述べました。ところが翌日になって、皇太子の新国王への即位はしばらく見合わせることになったという発表がなされました。プミポン国王の死を悼むための時間がほしいので、即位は少し後にしたいという意向を皇太子が示したためという説明を政府はしています。

新国王が即位するまでは、枢密院議長のプレム元首相(首相在任は1980年3月 - 88年8月)が暫定摂政を務めることになりました。ただし、プレム氏は皇太子と仲が悪く、緊張が走っているとも言われています。現在の情勢を見る限りは、ワチラロンコン皇太子が、王位に就く可能性が高いですが、その場合でも、プミポン国王が有していた権限や資産を新国王がすべて引き継ぐのではなく、シリントン王女など他の王族にもある程度分散させるための交渉が水面下で行われており、その交渉の目処がつくまでは、皇太子は王位に就くことができないのではないかという見方をする人が、王室内の動きに詳しいタイ人の間には多いです。

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シリントン王女(左)とワチラロンコン皇太子=2013年4月

――ワチラロンコン皇太子は、どういった人なのでしょうか。

ワチラロンコン皇太子については、以前からその行状をめぐって様々な悪い噂が流れており、皇太子ではなく、シリントン王女に王位を継いでもらいたいと考えているタイ人は少なくありません。そうした状況の中で皇太子の即位が異例なかたちで延期されたため、タイ人の間では、王位継承をめぐって様々な噂が乱れ飛んでいます。

皇太子はこれまで3度結婚し、いずれの女性とも離婚しています。現在は3番目の妻と離婚する前から付き合っていた女性と一緒にいることが多く、皇太子が王位に就けば、この女性が王妃となると見られています。タイでは王族の名誉を傷つけるようなことを言ったり書いたりすると不敬罪で厳しく罰せられるため、タイの新聞や雑誌には掲載されていませんが、皇太子や元王妃のスキャンダラスな写真や映像が、SNSを通じて、多くのタイ人の間に出回っています。また女性問題だけでなく、暴力や金銭的なスキャンダルもいろいろ流布しています。

流出している写真や映像の中には、王室関係者がリークしたと思われるものもあります。タイのエリート層の少なくとも一部が意図的に皇太子のイメージを悪くしようとしているようにも見えます。

ウィキリークスによって、タイにあるアメリカ大使館から本国の国務省宛に送られた秘密文書のいくつかが公開されています。その中には、今回暫定摂政に就任したプレム元首相や、今でも国民的な人気のあるアナン元首相(首相在任は1992年6 - 92年9月)、枢密院議員でもあったシティ元外相らが、アメリカ大使に対して、ワチラロンコン皇太子が王位を継ぐことを強く懸念していると語ったという報告もあります。

一時は、皇太子は重病にかかっているという噂が流れたこともありましたが、現在の健康状態は非常によさそうです。2年ほど前に公式行事に参加する皇太子を間近に見る機会がありましたが、背筋をぴんと伸ばして、颯爽と歩いていました。ただ周りの人たちと目を合わそうとしなかったことも印象に残りました。

シリントン王女は、訪問先などでその場に居合わせた人たちに気さくに話しかけたりしますが、それとは対照的に、ワチラロンコン皇太子は、訪問先の人たちと言葉を交わすことがあまりありません。そのことも彼の人気を低迷させている原因の一つのように思います。

訪問先の人々と言葉はおろか、視線もなかなか合わせようとはしない皇太子とは対照的に、彼の3番目の妻だったシーラット妃は、自ら積極的に訪問先の人々に気さくに話しかけていたので、直接接したことのある人たちの間では結構人気がありました。

しかし皇太子はシーラット妃と2年前に離婚しました。その離婚の仕方には多くのタイ人が驚きました。まずシーラット妃の叔父で警察の幹部だったポンパット警察中将が違法賭博や密輸に関与していた上に、王室に上納すると偽って、多くの人々から寄付を集めて、それを着服していたとして逮捕され、続いて、シーラット妃の兄弟、さらには両親も同様な容疑で逮捕、投獄されました。シーラット妃自身は投獄されませんでしたが、王族の地位を剥奪された上で離婚され、皇太子との間にできた子供の養育権も取り上げられました。シーラット妃一族をめぐる一連の事件には不透明な部分が多く、皇太子のイメージをさらに悪化させることになりました。

こうした中でプミポン国王が亡くなり、しかも皇太子がすぐには王位につかないという状況が生じたため、国民の間に様々な憶測を呼ぶことになったわけです。

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プラユット首相=10月14日

――2014年のクーデター以降、軍政が敷かれています。民政復帰への影響はありますか。

クーデターを起こした軍人たちは、それまでの憲法を破棄しました。彼らは、クーデター後に暫定憲法を発布しましたが、それはあくまで暫定的なものでしかありません。陸軍司令官としてクーデターを指揮したプラユット氏はクーデターの後に首相となり、翌年末までには新憲法を制定して国会議員選挙を行って民政に復帰するというロードマップを発表しましたが、その後民政復帰のロードマップは何度も書き換えられ、いまだに民政には復帰していません。

それでも今年8月に新憲法案が国民投票にかけられ、2017年12月には、総選挙をおこなって民政復帰することになっていました。新憲法の制定のためには国王の署名が必要ですが、あとは国王が署名をすれば新憲法が制定されるという状態になったところでプミポン国王が崩御してしまいました。プラユット氏は、新憲法には新国王に署名してもらうと言っていますので、ワチラロンコン皇太子の即位に時間がかかれば、その分新憲法の制定も遅くなります。

プラユット氏は、今のところ民政移管のロードマップには変更はなく、予定通り17年12月に総選挙を行って、民政移管すると言っています。しかし、ロードマップはこれまでにも何度も書き換えられてきたことを考えると、総選挙がさらに先延ばしにされる可能性は小さくないと思います。

14年のクーデターによって破棄された前憲法では、首相は国会議員でなければならないとされていましたが、軍の強い影響下で作成された新憲法は、国会議員でない人も首相になることを認めています。プラユット氏は国会議員選挙には立候補しないものの、国会での首相指名選挙で選ばれることによって首相を続ける意向だと言われています。

しかし、皇太子の即位が不安視されて、企業の新規投資が落ち込みタイ経済が悪化すると、現在のプラユット政権に対する国民の不満が今以上に高まる可能性があります。そうなれば、プラユット氏は、経済が回復基調になるまで選挙を先延ばしするかもしれません。

タイの経済が大混乱に陥る可能性は少ないと思いますが、ワチラロンコン皇太子が即位しても、数年は経たないと国民の不安感はなかなか解消せず、消費マインドも、企業の投資意欲も低調な状態が続く可能性が高いでしょう。タイの政治や経済が安定するには少なくても3〜5年はかかると思います。

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2016年1月、シンガポールでロイターのインタビューに応じるタクシン元首相(Reuters)

――タクシン元首相の動向が気になります。2006年のクーデターで追放されて亡命生活を送っています。妹のインラック首相の政権も14年のクーデターで倒されました。

タクシン元首相(首相在任は2001年2月 - 06年9月)はここのところ静かにしていますが、彼がワチラロンコン皇太子と手を結ぶことで、タクシン派が再び勢力を盛り返すのではと、既得権益層を中心とする反タクシン派は危惧しています。これまでこの2人は近づいたり、仲違いしたり、よりを戻したりといったことを繰り返しています。14年のクーデターが発生する直前には関係がかなり近づいたと見られていました。しかしクーデター後は、皇太子はタクシン氏とは再び距離をとるようになり、プラユット氏との関係を強化させているともいわれています。

しかしタクシン氏が、皇太子に再び接近する可能性もあります。歴史的に、タイでは新国王が即位する際には、罪人に恩赦を与えることが行われてきました。1〜2年先に行われることが予想される戴冠式に際して、新国王が、汚職で有罪判決を受けたタクシン氏にも恩赦を与えると言えば、周りの人たちは面と向かってノーとは言いにくいでしょう。タクシン氏は首相に返り咲こうとは考えていないでしょうが、タイに帰りたいとは強く思っているようです。今回の機会を逃すと生きているうちに帰国することが難しくなるとタクシン氏が判断すれば、様々な方法を使って皇太子との関係を改善しようとするでしょう。

皇太子からすれば、これまであまり関係の良くなかった陸軍の主流派や枢密院に対して優位に立つために「タクシン・カード」を温存しておくのも悪い選択ではないでしょう。プラユット氏ら陸軍の主流派やプレム氏を中心とする枢密院が、皇太子をないがしろにするような行動をとれば、タクシン氏と組むかもしれないと思わせることができれば、彼の立場は強くなります。反タクシン派は当然そのようになることを強く警戒しています。

タイの政治は、これまでのタクシン派と反タクシン派の争いに、ワチラロンコン皇太子を支持するグループと彼の力を抑えようとするグループの争いが複雑にからんで、しばらくは見通しのつきにくい状態が続くでしょう。