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「愛された経験は、彼らの生きる力になる」私が3人の子どもの里親になって学んだこと

養育里親になって17年になる女性に、乳児院、児童養護施設から迎え入れた3人の子どもたちの子育てついて話を聞いた。
The Huffington Post

保護者がいない、家庭での養育が困難といった理由で社会的養護を必要とする子どもは、全国に約4万6000人いる。彼らの多くは、乳児院や児童養護施設などで生活しているが、ここ十数年で里親等への児童委託数が3倍近くに増えている(※)。一般家庭で子どもを養育する里親制度とは、どのようなものなのか。

今回、養育里親になって17年になる星野優子さんに、乳児院、児童養護施設から迎え入れた3人の子どもたちの子育てついて話を聞いた。

里親制度とは?

様々な事情によって家庭で暮らせなくなった子どもたちを家庭に一定期間迎え入れ、愛情と理解を持って養育する制度。特別な資格は不要で、近年は共働き世帯でも里親になることが可能。

「顔がわかったほうがイメージしやすいと思って!」と、20歳になる長男、14歳の次男、4歳の三男と3人のお子さんの写真をたくさん持ってきてくれた星野さん。「この子たちを迎え入れたときに履いていた靴をどうしても捨てられず、ずっと大事にとっているんです」とひとつずつ愛おしそうに並べながら、ゆっくりと語り始めた。

静まりかえった家に訪れた“家族の時間”

——— まず、里親になろうと思ったきっかけから教えてください。

24歳のときに結婚し、共働きをしていました。数年間は2人でのんびり過ごしてきたのですが、30歳になる頃に周りで出産が相次ぐと、子どもができない状況に「あれ?」と思うようになりました。でも不妊治療はせず、そのうち赤ちゃんを授かったら嬉しいけど、できなければ仕方ないと割り切っていたんです。

その後、34歳のときに家を建てたんですが、せっかくの週末にもガランと人気がなくて、このままでいいの?と、なんとなく空虚な気持ちになったことを覚えています。

ちょうどその頃、電車で「フレンドホーム」(児童養護施設の子どもを休日などに数日預かる自治体の制度)の広告が目に留まりました。施設の子どもと週末を一緒に過ごせたら楽しいかもしれないと思って、話を聞いてみることに。そこからは、とんとん拍子で話が進んでいきましたね。

——— 最初のお子さんは、どのような流れで迎え入れることに?

長男は、児童養護施設で初めて会ったとき4歳。目がくりくりして、笑顔のかわいい子でした。さっそく交流をしようと、最初は施設の近くで数時間だけ一緒に遊ぶところから始め、慣れてきたら週末に家でお泊まりするようになりました。

何回目かのお泊まりが終わったある朝、施設に送り届けようとしたら、彼が勝手にさっと車に戻って、運転席にいたおじいちゃんの膝に飛び込んだんです。それを見たスタッフさんが、「こんなになついているなら、今日も連れて帰っていいですよ」と。この出来事をきっかけとして、正式に迎え入れることを決意しました。交流期間は半年ぐらいだったと思います。

叱り方を学ぶことから始まった子育て

——— 一緒に暮らし始めてからのお子さんの様子はいかがでしたか。

すぐに「パパ! ママ!」と呼んでくれたのは、とにかくすごく嬉しかったですね。大変だったのは、アトピーがひどかったこと。顔も腕も足もひっかき傷だらけでした。さらに、卵や小麦粉などの食物アレルギーもあり、食事や薬には気を使いました。でも、成長とともに食べられるものは増えましたね。

それと上の子は「試し行動」があって、わざといたずらした時期もありました。そのときはうるさく言わずに見守るようにしましたけど、お互い慣れてきたら、ダメなものはダメと言うようにしました。

主人は叱り方がわからなくて「キミはね、キミはね……」と何か言おうとするんですが、なかなか言葉が出てこない。そしたら、「パパ、キミ(黄身)は卵の中に入ってるんだよ!」って返されちゃって、「子どもって面白いなぁ」と思いましたね。

子どもたちを迎え入れたときに履いていた靴を、大切に保管している。

叱り方もそうですが、私たちは子育ての経験がないので、わからないことや困ったことがあるときは、児童相談所のワーカーさんに何でも電話で相談していました。里親会にもよく参加していたので、いろいろ相談したり情報共有したりできて、心強かったです。

「本当の親じゃないくせに」本音をぶつけ合った思春期

——— 施設から迎え入れられたことは、本人にどんなタイミングでどのようにお話を?

児童相談所の方には、小学校にあがるまでに話をしたほうがいいと言われました。でも、自分の家のことを「ママの家」と呼ぶなど、まだ気持ちが安定していない感じがしていました。「ここは○○ちゃんの家だよ」と繰り返し言い聞かせながら、子どもが本当に安心できる関係を育むほうが先だと思ったんですね。

それに本人は児童養護施設にいた記憶が少しあるので、なんとなく感づいていたんでしょうね。私が意を決して「実は話があるんだけど……」と切り出そうとすると「いいよ、いいよ。わかってるから!」といつも逃げられ、先延ばしにしていました。

結局、ちゃんと話ができたのは、彼が10歳になる頃、7つ違いの下の子を迎え入れたときでした。2人目を育てたいと思ったのは、私たち夫婦が死んだあと上の子が独りになるのがかわいそうと思ったのと、彼も「弟がほしいなぁ」って言っていたからです。

それなのに、実際に一緒に暮らし始めた弟をいじめるようになってしまったんです。「お前なんかうちの子じゃないから出て行け!」と言ったときは、さすがに私も怒りが湧いてきて、「あなたもわかっているよね?」と言うと「うーん……。僕は拾われたの?」って言うんです。

そこで「パパとママは子どもが欲しくてもできなかったから、キミと出会ってうちの子になってもらいました」と話したら、ずっと黙って聞いていました。その後は態度も落ち着いてきて、彼の中で少し変化が起きたみたいです。結果的には、腹を割って話してよかったと思います。

——— 思春期になると反抗期もあったのでは。

「なんかイライラする」って壁を叩いて穴が開いたこともありました。「本当の親じゃないくせに」って言われたときは「だからなんなの?」って。実の親だから愛情深く育てられるとは限りませんから。でも「生んだ親に捨てられた俺の気持ちがわかるか」って言われたときは、「それは申し訳ないけどわかりません」としか言えませんでしたね。どんなに望んでも、全てをわかってあげられるわけじゃないんです。

大変なぶん、喜びがある。絆を育んでいく幸せ

実の親の居場所を聞かれたこともあります。「児童相談所の人に聞きなさい」と電話番号を渡しましたけど、その後「ごめんなさい」って謝ってきました。反抗期の頃は、時々そういう話をガーッと言ってきては、後で静かに謝ってくることの繰り返しでしたね。

2番目の子はお兄ちゃんから言われていたので、親が告知する必要もなく、割とあっけらかんとしていました。この子は面白くて、赤ちゃん時代の写真を学校に持ってくるように言われたとき、玄関に帰ってくるなり「ママ、ヤバイよ! 僕がちっちゃい頃の写真持ってきてって言われたけどないでしょ?」って。あわてて乳児院に問い合わせたら、写真をちゃんと保存してくれてたんです。このときは親子で共有できる話題も増えたので、ありがたかったですね。

でも、外国人家庭やシングル家庭が珍しくない今の時代、昔ながらの“理想の家族像”をベースにした学校の授業で傷つく子どももいると思います。上の子のときは担任の先生に配慮してもらったのでよかったですけど、とても繊細な子なのでヒヤヒヤしました。

——— 子どもを育てるために苦労されたことも多かったと思いますが、3人目のお子さんも迎え入れました。里親になる一番の喜びと、子育てで一番大変なことはなんでしょうか。

大変なのは、やっぱり里親より子どもです。日々の悩みや思春期の悩みに、里親家庭で暮らす子どもとしての悩みもプラスされるわけですから、本人が葛藤している様子を見るのは一番辛いですね。でもプラスアルファ大変なぶん、プラスアルファの喜びもあるんです。血が繋がっていなくても親子としての絆を育みながら人生を送れることは、この上ない幸せだと私は思っています。

「嘘はつかない」という夫婦の約束

——— 里親として、これだけは守ってきたということがあれば教えてください。

「子どもに対して決して嘘はつかない」ということです。初めて里親になったとき、これだけ主人と約束しました。ですから、3人の子どもたちとはいつも本音で話しています。あとはとにかく楽しむことですね。うちは週末になると必ずといっていいほど家族で遊びに出かけますし、旅行にもよく行きます。クリスマスや誕生日といったイベントもみんなで盛り上がるので、本当に賑やかです。

——— 最後に、里親制度に関心がある人にメッセージをお願いします。

私はたまたま子どもができませんでしたが、里親になった後にもし実子を授かったら、一緒に育てるつもりでした。最近は不妊治療をしている方も多いようですけど、里親になって子育てを前倒してみてもいいんじゃないかなと思います。フレンドホームのようなお試しから始めて、ダメだったらダメで無理しなくてもいいですし、うちみたいな長期での預かりに迷っている方の中には、短期で預かっている方もいます。

里親は、子どもたちの人生を預かることはできません。気持ちのうえでは預かりたくても、やっぱり生きていくのは本人ですから、それはできないんです。でも里親として一緒に暮らしている間は、家庭の温もりをいっぱい与えてあげたい。それは、私たち夫婦の喜びであり幸せでもあります。人に愛された経験や楽しい思い出が、彼らの生きる力になってくれたらいいなと思っています。

(取材・文:樺山美夏 / 撮影:西田香織)

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