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102歳の祖母が、ヒラリー・クリントン大統領を待ち望む理由

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100歳の誕生パーティでの祖母ベル。

私は退社して地下鉄へ向かうとき、毎晩祖母に電話する。102歳のベル・リッテンバーグは、私たち家族の尊敬する女性だ。彼女は寛大で、気概があり、愛されている。

ベルは1914年、第1次世界大戦が始まる数カ月前にニューヨーク市のブルックリンで生まれた。アメリカ合衆国憲法修正第19条で女性に参政権が拡大する6年前だ。1936年、彼女は権利を実際に行使できる何千人もの白人女性に仲間入りし、初めて投票した結果、フランクリン・ルーズベルトが大統領に再選した。

彼女が夫と出会ったのはニューヨーク州郊外でキャンプ・カウンセラーをしているときで、第2次世界大戦中はジム・クロウ制(黒人の隔離政策)があるミシシッピ州で、歯科医として働いていた夫とともにほとんど陸軍基地で過ごした。彼らはブルックリンに戻り、そこで1950年代初頭のベビーブームに乗って私の母と叔母が続けざまに生まれた。

そのわずか数年後、ベルの夫が亡くなった。彼女は気づけば未亡人となり、2人の子供を抱えるシングルマザーになった。読書を習慣にしていた彼女の生活は突然失われた。彼女は公立学校の教師になった。理由は勤務日程や手当のほか、結婚した女性の選択肢は学位を持った女性でさえ限られていたからだ。彼女はまた、人の役に立つことを望んでいたので、スクールカウンセラーとして生徒を指導し、働きながら何年も過ごした。ベルは数学教師と恋に落ちて結婚し、2人の連れ子が彼女の家庭に加わった。


1966年頃の祖母ベルと彼女の長女(筆者の母)。

娘たちが成長してニューヨーク市のロングアイランドの家を出る準備ができたとき、新しいフェミニスト運動が始まろうとしており、画期的な変化が訪れようとしていた。法律や文化が段階的に変わることで国が作り変えられ、ベルの幼少時代には想像すらできなかったさまざまな機会が、新世代のために開かれた。すぐに女性たちは街頭に繰り出して、自分たちを束縛するものに憤り、公正な分配を要求した。ベルは、自分の娘たちがこの素晴らしい新世界の恩恵を受けるのを見守り、私の母がイェール大学を卒業した最初の数百人の女性の1人になったときには観衆として参加した。ベルは見守り、働き、またしても未亡人になった。

ベルは教師を退職してボランティア活動を始め、トランプゲームのブリッジで遊んだり旅行したりする機会が増えたが、人の役に立つという決意はまだ衰えていなかった。102歳に彼女が年をとることで大変残念だと思うのは、もうボランティア活動ができなくなることだ。「私にもまだ何か貢献できることがあるような気がする」と、彼女は5月に102歳になった直後、私に話してくれた。

1980年代に孫たちが生まれたが、5人とも女の子だった。5人とも第2次フェミニズム運動のあとの世界に生まれた。私たちは、母親世代がデモで要求した権利や機会を当然のものとして育ち、ベルには許されなかったやり方で、自分たちの大きな人生を想像していた。私と姉は地球の反対側で育ったので、毎年家族でニューヨーク市のターンパイク・ロッカウェイの外れにあるベルの家を訪れ、薄緑色で毛足の長いカーペットの上で私と姉はダンスを披露し、母親の母親と知り合いになった。

私が10年前にオーストラリアからアメリカ東海岸へ引っ越したとき、ベルの近くに来られたのを喜んだ。飛行機で20時間も費やすことなく、いつでも好きな時に彼女を訪ねられるのは何とすばらしいことだろう。現在ダンスは披露していない。代わりに、夕食を作って「スクラブル(単語を作って得点を競うボードゲーム)」で遊ぶ。彼女は非常に負けず嫌いで、スクラブルの公式辞書の中にマニアックな2文字と3文字の単語のリストを挟んでいる。祖母は下品な単語で遊ぶことも恐れない。F(4点)、C(3点)、K(5点)を含む単語でトリプルワードの得点を取って、11時間後に私の父を打ち負かしたことがある。


筆者が作った食事を味見する祖母ベル。

2015年4月、私は祖母ベルと一緒に座って、テレビでヒラリー・クリントンがアメリカで初の女性大統領を目指して選挙運動を始めると宣言したのを、ベルが目撃する現場に立ち会った。

私は選挙運動の開始に合わせてベルを訪問したわけではなかった。しかし祖母のベッドに腰掛けながら、マンハッタンのルーズベルト島の観衆が手を振って歓声を送っているとき、私は幸運なタイミングに感謝した。

予備選が続いていたので、私はベルに誰に投票するつもりか尋ねたところ、ベルはかつて地元ニューヨークの上院議員だったクリントンを支持すると答えた。「なぜなら、クリントンは非常に優秀で、これまでずっと政府にいたので政治上の事柄に精通している。それに彼女は女性だしね」

クリントンが選挙に出るのを見て、私は思いがけず感動したが、あとになって考えると、彼女の立候補が私の心の琴線に触れたのは納得がいく。彼女は私の母の世代の女性で、母と同じように、自分が実現したいと思う変化を起こすために必要に応じて自分を変えながら、性差別の文化を切り抜ける人生を過ごしてきた。

クリントンが見下すような質問に答えるときにも冷静さを失わないのをみると、私は母が同じ技術を磨くのに何十年も費やしてきたのを思い出す。クリントンが共和党大統領候補のドナルド・トランプから侮辱されても笑顔でいるのをみると、彼女の愛想のいい熟練した表情は、私の想像でしかないが、公正で正当な怒りを隠す仮面なのかも知れない。私は母を見る。ベルは娘を見る。「クリントンはあなたの母親みたいだね」と、ベルは最後の大統領討論会の数日後、私に語った。「彼女はたくましい。トランプのことを何とも思っていない」

討論会でのクリントンの振る舞いはベルにとって特に印象的だった。3回の直接対決でトランプが優位に立って相手をけなそうとするとき、ベルは困惑した。2回目の討論会が終わった晩、私たちはトランプが舞台をうろついてクリントンのスペースに押し入り、出来る限りカメラ内に収まろうとした様子について語り合った。ベルは、ヒラリーがこのような悪意ある妨害にも関わらず政治的な立場をはっきり述べ続けたことに、畏敬の念を抱いていた。

11月8日が近づくにつれ、クリントンが勝つ可能性はほぼ確実なレベルにまで上がっており、ベルとの毎日の電話はだんだん興奮と活気、そして誇りを帯びてきた。「ようやく実現しそうで、大変誇らしい」と、ベルは先週私に話した。「私はとても長い間これを待ち望んできたのよ」。数週間前、彼女は誇りを持ってクリントンに投票し、自分の投票用紙を投函した。「彼女は完璧ではない。しかし彼女はいい仕事をしてくれると確信している」と、ベルは私に話した。

投票日の夜、私は再びベルを訪れるつもりだが、今回のタイミングは意図的だ。私たちは厳しい選挙運動の終わりと、できることならアメリカの新時代の幕開けを祝って乾杯したい。

ベルは自分が生きている間に女性がホワイトハウスの地位に選ばれるとは思っていなかったが、彼女が特別長生きしてきたのはそれを目撃するためだった。彼女は身の回りで世界が変わるのを見守ってきた。戦争は地図を書き換え、運動が国を一掃した。そして人類が次々と画期的な進歩を祝うのを見守ってきた。彼女はルーズベルト政権下で労働長官を務めた進歩的な活動家フランシズ・パーキンズを覚えている。彼女はアフリカ系アメリカ人初の最高裁判所判事サーグッド・マーシャルを覚えている。彼女はゲイの権利の草分け的活動家ハーヴェイ・ミルクを覚えている。サンドラ・デイ・オコナーが最高裁判所の判事に任命され、マデレーン・オルブライトが国務長官になり、バラク・オバマがアフリカ系アメリカ人として初の最高指揮官に選ばれるのを彼女は目撃した。

11月8日の夜、ベルはもう1つの初選出の瞬間を見守りたいと願う。クリントンがホワイトハウスの地位を勝ち取るのを、私は目撃したい。

ハフポストUS版より翻訳・加筆しました。

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