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104歳の真珠湾攻撃生存者、75年慰霊式典に参加「そこに行き、祈りを捧げる。それが自分の癒やしになる」

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104歳の真珠湾攻撃生存者が、1941年12月7日(現地時間)の攻撃から75年目の慰霊式典に出席し、犠牲となった兵士を悼むためにハワイに戻った。

レイ・チャベスさんは、真珠湾攻撃を経験した存命中の退役軍人では最年長になる。攻撃によって数千人が犠牲になり、アメリカが第二次世界大戦に突入するきっかけとなった。

70年以上が経っても、その記憶はまだ彼に焼き付いている。

「生きている限り『パールハーバー』を忘れることはありません」。75年慰霊式典が行われるハワイ・オアフ島に向かう飛行機に娘のキャスリーンさんと乗り込む直前、チャベスさんはNBCサンディエゴのインタビューに対して答えた。

彼はハワイでの式典に参加する、真珠湾攻撃を経験した35人の生存者のうちの1人だ。

アメリカン航空の用意した飛行機で、35人の真珠湾攻撃生存者と72人の退役軍人が、75年式典のためにハワイに向かう

チャベスさんは、日本軍が攻撃を開始しようとするサインを最初に発見した1人だった。コンドルと呼ばれる沿岸掃海艇に操舵員として乗船し舵を取っているとき、別の乗員の1人が敵の潜水艦の潜望鏡らしきものを発見した。

その乗員はワードと名付けられた駆逐艦に連絡したが、その後2、3時間の間は何も起こらなかった。その間にチャベスさんの当直時間は終わってしまった。

彼が自分のアパートに戻って寝ていると、妻が起こしに来てニュースを知らせた。

「まだ眠ってから5分と経っていないように思えました。彼女が来て『攻撃されている』と知らせたのです」とチャベス氏はFox5サンディエゴに語った。

「最初は妻の言っていることが信じられなかった」と、チャベスさんは言った。

「最後は『自分で起きて見てみなさいよ』と言われました」

そのころには、湾全体が大きな炎に包まれていた。その時から、アメリカの歴史は変わってしまった。

終戦後、チャベスさんはサンディエゴに移住し、技術士になった。

彼のような年代の人間は普通なら5時間のフライトに尻込みしてしまいそうだが、チャベスさんはこの式典に参加するために、ダンベルでのトレーニングやシットアップをしたり、エアロバイクを漕いだりしてずっと準備をしてきた。

「私たちがあの場所に戻るのは、自分がその一部のように感じるからです」と、チャベスさんは7月、NBCサンディエゴに語った。「あの場所で式典をするのはとてもいいことですし、とても素晴らしいと思います。しかし、あの場所に行けば、おそらくまったく違う気持ちになるでしょう。私は彼らの1人でもあり、彼らもまた私の一部なのです。私はあの場所で、亡くなったすべての人間、そして沈められた戦艦と一緒に、12月7日を思い起こします。そこに行って、彼らの魂にささやかな祈りを捧げる。それが私自身の癒しになるのです」

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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