「走りたいから義足になる道を選んだ」骨肉腫を乗り越えて、高桑早生さんが挑戦し続ける理由

2016年12月26日 18時00分 JST | 更新 2016年12月26日 22時20分 JST
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「将来は世界で活躍するスポーツ選手になりたい」と願い事に書くほど走ることが大好きだった女の子は、小学校6年生の時に骨肉腫を患い、左足を切断するという決断をした。

もう一度走れるようになりたいという一心で、義足になってから陸上を始め、ロンドン、リオなどの国際大会に出場した高桑早生さん(24)は、一体どのような道のりを歩んできたのだろうか。義足になってもあきらめずに走り続けている彼女が、走ることの先に見つめているものは何なのだろうか。高桑さんに話を聞いた。

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■「3日後には手術」骨肉腫の告知を受けた中1の春

——小さい頃から運動が大好きだった高桑さんにとって、「左足を切断する」という選択は、かなりつらいものだったのではないですか?

当時の私にとっては、「もう一度スポーツができるようになる」というのが一番大事なことでした。実は、初めて先生から骨肉腫(※)についての説明を受けた時に、「3日後に手術を入れている」と言われたんです。手術をすることはもう決まっていて、選択肢はどの手術にするかということでした。左足の切断か煮沸(がんのある部分を取り出して、がん細胞を無くしてから骨を体に戻す処置)か……。

※骨肉腫は、骨に悪性腫瘍(がん)ができる病気で、約75%の患者が20歳未満の若い世代だと言われている。

その時、私が運動を好きなことを知っていた先生から「運動したいのであれば、切断してしまった方が色々と選択肢が広がるんじゃないか」と言われて。「今は義足も発達しているからその方が走れるようにもなる」と勧められたんです。先生を信じて、「それなら切断してください」とお願いしました。

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まだ子どもだったので、むしろあまり余計なことを考えずに進めて良かったのかもしれないですね。悲しんだり落ち込んだりすることに時間をかけるよりも、次は義足を作って、そしたら歩けるようになって…という次のステップのことをどんどん考えていってました。

■大切なのは「なんでも挑戦すること」義足との毎日で学んだこと

——突然に義足での生活が始まって、多感な時期ですし大変でしたよね。

初めの頃は、学校の移動教室ですら、私には大きなチャレンジでした。高校に進学してからも、みんなと同じローファーを履けないことがすごく嫌でした。今でもご飯を食べに行く時にお座敷に座れないとか、スカートだと困る時とか、義足のせいで不便なことはいっぱいあります。「こんなこともできない、あんなこともできない」と、男女に関わらずたくさんの不自由があることに何度も気づかされました。

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それでも私は走ることだけはあきらめず、今では「走れる場所」を見つけることができました。あの時「切断する」という決断をしたから、義足とともに生きることを選んだからこそ、選択肢が広がったんです。仲間や環境にも恵まれて、やりたいことに挑戦し続けることができています。

同じ病気で苦しんでいる子、違う病気と闘っている子が、世の中にはたくさんいます。思い悩むことも嫌になることももちろんあると思うんですけど、なんでもいいからひとつ、挑戦してみてほしいなって思います。

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■世界で戦う義足のアスリートに憧れて陸上の道へ

——「走れる場所」を見つけた。陸上競技を始めた高桑さんはいつ頃から世界の舞台を意識するようになったんですか。

高校生の時、義足でテニスを続けることに限界を感じて陸上部に入部しました。闘病中に、走り幅跳びで活躍する障がい者アスリート、佐藤真海さんの本を読んでいたんですけど、競技用の義足で映っている彼女の姿がとても印象的に残っていて、「陸上をやってみたい」と思っていたんです。ちょうどその頃、切断者スポーツクラブの「ヘルスエンジェルス」と出会って、世界トップクラスの人に会う機会も何度かあって、憧れるようになりました。

実は、高校に入学した年が2008年に北京で開催された国際大会の時だったんです。夜に30分くらい放送されるダイジェスト版をかじりつくように見てました。「頑張って記録を伸ばしたその先には、世界という舞台があるんだな」と意識するようになりましたね。

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「初めての世界の舞台はビギナーズラックで出られたようなもの。緊張よりも『早く会場で走りたい』と思えるほど、あの頃は無敵でした。(笑)」(高桑さん)

■陸上競技はパフォーマンス!? 10何秒に込められた色々なもの

——今年で社会人2年目を迎えられましたが、アスリートとして以外で叶えたい夢や目標はありますか?

いつか、陸上の大きな大会をやりたいと思ってます。今って、障がい者の陸上競技大会はほとんど無料で観戦できるもので、そういうのも大事なんですけど、プロの試合のようにチケットを買って観戦したいと思えるような大会をやることも、競技者や関係者にとって必要なんじゃないかって思うんです。

「陸上競技ってパフォーマンスなんだ」と感じる瞬間があるんですよね。たとえば100mだと、評価は順位やタイムなんですけど、観戦している人にとってはそのフォームや走り方、ゴールまでのドラマとかいろんなものが見えている。それこそ競技者にとっては、走りきる10何秒の間に繰り広げられていることについてなら何時間でも語れるくらい(笑)。いろんな要素が詰まっているんです。そして、作り出しているものは人それぞれみんな違う。

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そういう意味では、アスリートは魅せるパフォーマーでもあって、ある意味クリエイティブなのかもしれません。そういうところをもっと見てもらいたいし、知ってもらえるきっかけにもなるようなイベントをやりたいですね。

■競技用義足も見た目が大事。子どもたちのために「かっこいい」を追求する

——高桑さんは、競技用義足のデザインも手がけてらっしゃると伺いました。どのような活動なのでしょうか?

競技用の義足は、東京大学生産技術研究所でデザインとエンジニアリングを研究してらっしゃる山中教授と一緒にプロダクトデザインに関わらせてもらってるんですけど、やはり「見た目」ってとても大事なんですよね。柄や色をつけたりだけではなく、デザインから変えることで「かっこいい」「つけてみたい」と思えるようなものにしたい。

特に子どもだと、露骨なものより、かわいかったりかっこよかったりするだけで、気持ちやとらえ方が全然変わってきます。かつそれが安く手に入れられるようになれば、スポーツを始めてみようかなとか、競技用義足もありかもとか、思ってくれる若い世代も増えるかもしれない。足を失った子どもたちの選択肢が増えたり、希望を持てるようになったり、そういう可能性を広げてくれるような義足を作りたいんです。

■「2020年はメダルが目標」成長スピードが速い世界と対等に戦うために

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「今年の大会では『全種目ロンドンの自分越え』だったんですけど結果が出せず……。いいところも悪いところも全部あって、とても勉強になった大会でした」(高桑さん)

——これからの未来に向けての目標や思いを聞かせてください。

国際大会に出るたびに、「確実に世界のレベルは上がっている」と肌で感じています。4年前とは比べ物にならない、ひょっとしたら1年前とも比べ物にならないくらいのスピード感が世界にはあります。そこに自分も同じ勢いでついていくだけでは結果を出せないと身にしみました。これからは、もっと高みを目指して、自信を持って大きな大会に臨みたいし、2020年には、3種目すべてメダルが射程距離にあることが目標です。

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私は小児がんで、走ることが大好きだったのに左足を切断することになりました。でも、義足になることで抱える不自由さを、あきらめずに挑戦し続けることによって、可能性を広げることができたと思っています。

そういう小さな挑戦の積み重ねから、少しずつできることが増えて、積極的にやれるようになって、いつかは自分のやりたいことにつながっていくと思うんです。今はしんどくても、後から振り返ると小児がんの経験も人生のスパイスのような、彩りをよくするようなものになっているかもしれない。そう思える日が来るかもしれない。

病気を乗り越えた子どもたち、若い人にはそんな風に頑張ってほしいなって思います。そして、そういうこれからの世代に希望を与えられる存在に自分もなりたいです。

(撮影:川しまゆうこ)

<高桑早生 プロフィール>

1992年5月26日生まれ。埼玉県出身。エイベックス所属。小学校6年生の時に左足に骨肉腫が見つかり、中学校1年生で左下腿を切断。高校で本格的に陸上を始めると、才能を一気に開花させ陸上を始めて1年弱で日本代表に選出。2012年には、20歳でロンドン大会に出場を果たした。2016年の日本パラ陸上競技選手権大会では、100mで1位、アジア新記録を出し、リオ大会では100m、200m、走り幅跳びの3種目で出場した。(クラスはT44)大学在学中から、競技だけではなく講演を始めとする様々な社会活動に参加するなど幅広く活躍している。

中外製薬は「創造で、想像を超える。」を企業スローガンに掲げ、患者さんの希望に向けて革新を続けていきます。

高桑早生選手 画像集

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