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解体?保存? 戦後民主主義の象徴・村野藤吾の名作「八幡市民会館」に危機

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解体の危機にある「八幡市民会館」 | 宮本佳明
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戦後日本を代表する建築家・村野藤吾(1891〜1984)によるモダニズム建築の代表作として知られ、市民会館の草分けでもある「八幡市民会館」(福岡県北九州市)が解体の危機にひんしている。世界遺産でもある「八幡製鉄所」で知られる当地で1958(昭和33)年、当時の八幡市制40周年を記念して建築、戦後復興と民主主義のシンボルとして長年、市民に親しまれてきた。

しかし、老朽化が進み、バリアフリー化や耐震化などにかかる維持管理費がねん出できないとして、北九州市は2014年に機能停止を決定。存続を求める市民3000人が署名を提出したものの、2016年3月には閉館した。これに対し、地元経済界や建築家らで構成する団体が2016年6月、現代美術館としてリノベーションする提案を行ったが、北九州市は「資金的な裏付けが不十分」であるなどとして、難色を示している。

近年、モダニズム建築への評価が高まっており、八幡市民会館など現存する村野建築の再評価がされている。八幡市民会館の存続に向け、何が必要なのだろうか?

■モダニズム建築をけん引した村野藤吾

八幡市民会館を建築した村野藤吾は、佐賀県唐津市に生まれ、少年時代を旧八幡市で過ごした。1910年に福岡県小倉工業高校(現・小倉工業高校)を卒業後、八幡製鉄所に入所。その後、早稲田大学の建築科を卒業し、大阪を拠点に活動、300を超える作品を生み出した。

村野はしばしば、モダニズム建築の巨匠である前川國男や丹下健三と比較されてきた。特に、1953年建築の「世界平和記念聖堂」(広島市)は、丹下が手がけた1955年建築の広島平和記念資料館とともに、戦後建築としては初の重要文化財(建造物)に指定されている。

このほか、村野は佐賀県唐津市迎賓館旧赤坂離宮改修(国宝)や、東京都中央区の「髙島屋東京店」(重要文化財)、山口県宇部市の「宇部市渡辺翁記念会館」(重要文化財)をはじめ、日生劇場(東京都千代田区)や新歌舞伎座(大阪市、2015年に解体)など、数々の作品で日本の都市景観をつくり上げてきた。

近年、著名な建築家・ル・コルビュジエ(1887〜1965)が設計した「国立西洋美術館」(東京都台東区)が世界遺産になるなど、モダニズム建築が注目を集めている。そうしたブームを背景に、2016年には東京都の目黒区美術館で村野の建築模型展が開かれるなど、その評価は高まりつつある。

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日本のモダニズム建築をけん引した建築家、村野藤吾が手がけた「八幡市民会館」

■北九州市は全国でも珍しい「建築シティ」

日本の戦後建築を語る上で欠かせない村野建築の数々が、八幡市民会館以外にも北九州市に多く残されている。日清戦争に勝利した明治政府は、1901年に官営八幡製鉄所の操業を開始。その後、日露戦争を経て、八幡製鉄所は規模を拡大していった。第一次大戦後に民営化されてもその勢いは止まらず、国内シェアを握っていた。

第二次大戦後、1950年代に入ると全国で戦後復興にともなう公共施設の建築が盛んになる。激しい空襲を受けていた旧八幡市でも、鉄鋼業という産業基盤の上に先進的なまちづくりが行われた。

その象徴が、村野が手がけた八幡市民会館などの建築群だ。1958年建築の八幡市民会館は、ホールと美術展示室を備えた地下1階地上4階建て。外壁には「鉄さび」を想起させる赤茶色のタイルを施している。

その少し前の1955年には、隣接して八幡図書館も建築した。外壁には八幡製鉄所から排出された鉱滓(スラグ)を混ぜたレンガを用いたといわれ、白色と茶色の幾何学模様が印象的、こちらも長年市民から親しまれてきた図書館だ。

これらの2つの公共施設は、村野が少年時代を過ごした旧八幡市の市民にとっては、戦後民主主義の象徴であり、平和な日常風景の一部であった。近くには村野が設計した「福岡ひびき信用金庫本店」(1971年)もあり、近接した距離に貴重な村野建築が集まっている全国でも珍しい「建築シティ」として、専門家やファンからの評価が高かった。

特に八幡市民会館は、国際的にもその建築的価値が認められている。20世紀におけるモダニズム建築の重要性と保存を訴え、ユネスコの世界遺産認定にも協力しながら、調査している国際学術組織DOCOMOMO(ドコモモ)の日本支部は、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」として登録、保存を訴えている。また、日本建築学会も2014年5月、八幡市民会館と八幡図書館という文化遺産の保存活用を訴え、北九州市の北橋健治市長あてに要望書を提出している。

さらに2017年1月、村野が戦時中に設計した八幡製鉄所の工場が、北九州市戸畑区に現存、稼働していることが朝日新聞で報じられた。これまで、村野が八幡製鉄所の工場を複数、設計したという記録は残っていたが、実際に確認されたのは初めて。村野と「建築シティ」である北九州市との関係が深いものであることが再認識された。

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日本のモダニズム建築をけん引した建築家、村野藤吾による「八幡市民会館」

■八幡市民会館を「現代美術館」に再生

しかし、八幡図書館はすでに2016年3月に閉館。図書館は移転し、建物は解体されてしまった。市民からは存続を希望する声が根強かったが、老朽化にくわえ、近くに新しい病院が建築にともなう駐車場が必要になることが理由だった。

そこで、残った八幡市民会館を存続させようと、地元企業などで構成するまちづくり団体「八幡市民会館リボーン委員会」(山本雄造委員長)が2016年6月、「現代題美術館」としてリノベーションする提案を北九州市に行った。美術館の仮称は「北九州現代美術センター」だ。リボーン委員会には、建築家で大阪市立大教授の宮本佳明(かつひろ)さんや、建築批評家で東北大学教授の五十嵐太郎さん、京都工芸繊維大学助教で、村野藤吾の研究で知られる笠原一人さんら、建築の専門家も多く参加している。

その「提案」とはどのようなものだったのか。改修計画を手がけた宮本さんは、こう語る。

「単に建物をそのまま残せというのではなく、美術館として再生しようという案です。八幡市民会館のメインの空間は大ホールですが、天井が高く大きな空間は耐震的に弱いため、外側から補強する必要があり、そのままではお金がかかります。そこで用途を転用して、ホール内に展示室のような比較的小さな構造体をバランスよく散りばめることで、耐震補強の問題を経済的に解決します。バリアフリー化もホールの中で行うので簡単に済みます」

北九州市は当初、八幡市民会館の維持改修に約20億円かかるとして、建物の維持は難しいとしていたが、美術館として転用することにより、約10億円まで改修費をコストダウンできるという。そのうち約5億円と見込まれる美術館としての改修費は民間企業などのスポンサーが負担、残る耐震補強とバリアフリーにかかる費用は北九州市の負担を求めている。

運営は、北九州市で20年にわたり現代アートのための教育・研究機関として活動をしてきた「現代美術センター・CCA北九州」に委託する。ランニングコストも、CCAが北九州市から助成されている年間の運営費約5600万円と民間のスポンサーから拠出される約7000万円でまかない、官民連携で運営していきたい考えだ。

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ホールを展示室にすることで耐震補強をコストダウンするリノベーション案

■歴史的価値を掘り起こすリノベーションで地域起こし

近年、歴史的価値のある建築物をリノベーションして、地域の文化遺産として活用していくケースが各地で増えている。たとえば、同じ村野建築である鳥取県米子市の「米子公会堂」は2014年、耐震化とともなうリニューアルを遂げた。八幡市民会館の完成と同年の1958年に開館、やはり老朽化のために米子市は解体か存続かの選択を迫られたが、愛着を持つ市民の声に押されて、保存活用が決まったという。近年、各地では新潟県内で3年に1度開かれている「越後妻有アートトリエンナーレ」といった現代美術の国際展が開かれるなど、アートや建築が起爆剤となった地域起こしも盛んだ。八幡市民会館も美術館に転用し、世界遺産に登録された八幡製鉄所との相乗効果で、地域への集客を狙う。

「リノベーションすれば、新築するよりも面白いものができるということに皆が、気づき始めたのでしょう。建築を通して新旧の時代が重なって見える。その感覚が心地よいのでしょうね」と宮本さん。「僕は、建築を『記憶の器』だと思っています。八幡市民会館も北九州市や八幡の歴史と一体のものです。市民の人たちがいろいろな体験をしてきた場所でもあります。残したいと思います」

リボーン委員会の提案に対し、2016年7月に北橋健治市長は、すでに市立美術館があることに加え、改修費にあてる民間資金の確保の裏付けが不十分であること、耐震補強とバリアフリー化にかかる公的資金の投入は困難であることなどを回答、存続の結論はいまだ出ていない。

間もなく閉館から1年。リノベーション案に北九州市からの合意が得られなければ、八幡市民会館は解体される可能性が高い。リボーン委員会では今後も、北九州市と協議しながら、用途の複合化なども検討するとともに、民間からの支援を募ることにしている。奇しくも、2017年3月で旧八幡市は市制100年を迎える。成熟した都市としての選択が迫られている。

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日本のモダニズム建築をけん引した建築家、村野藤吾が手がけた「八幡市民会館」