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「お蚕美容法」って何? 2月10日は「ふきとり化粧水」の日、その起源に迫る

2017年02月09日 23時34分 JST | 更新 2017年02月09日 23時45分 JST

コットンなどにひたして余分な角質や毛穴の汚れを拭き取る「ふき取り化粧水」、今では当たり前になったこのアイテムが誕生したのは、ちょうど80年前のことでした。

語呂にちなんで2月10日は「ふきとりの日」。2017年から日本記念日協会に記念日として登録されました。その歴史を、ちょっと振り返ってみましょう。

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会陽化学研究所(現・ナリス化粧品)のふき取り化粧品「コンク」が売り出されたのは、1937年(昭和12年)のことでした。

創業者の村岡満義は熊本の農家出身。行商をしながら科学者を目指し、東京高等工業学校(現・東京工業大)を経て、名門化粧品だったレート化粧品に入社。ドイツ語やフランス語で医学、生理学の原書を読み、皮膚生理学を学びました。30歳で大阪工場長に任命されますが、工場のストライキの責任を取る形で退社。独立して大阪で起業したのが「会陽化学研究所」でした。

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1937年1月4日付大阪朝日新聞の広告。化粧とは、こういうものだった

当時の化粧品は「おしろい(白粉)」のように上から塗り重ねるものが主流。酸性が常識だった化粧品をアルカリ性にすることで、老化した角質を取り除いて、肌の新陳代謝を促すというのは、当時としては斬新な発想でした。

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1942年1月20日付東京朝日新聞の朝刊1面に掲載された「ナリス コンクミルキー」の広告(左から2番目)。太平洋戦争の開戦直後で、紙面にも「屠(ほふ)れ!米英」などの文字がある

初めて「コンク」が発売された年、日中戦争が勃発します。その2年後、口紅やおしろいなどの使用が禁止され、女性の化粧も贅沢なものという風潮が強まっていきます。

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『婦人公論』1946年6月号の裏表紙に掲載された広告。時代は一転して華やかなものを求めていた

戦後の1953年、副社長で村岡満義の妻、村岡愛が「お蚕(かいこ)美容法」を提唱しました。

孵化した蚕は黒ずんだ色をしていますが、脱皮を繰り返しながら乳白色になっていきます。ふきとり化粧水で余分な角質を落としてから、葉緑素入りクリームを塗り込んでスキンケアすることを、蚕の成長に例えたそうです。養蚕は当時、日本の繊維産業を支える農業として全国で盛んに行われており、今よりずっと身近な存在だったといいます。

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ナリス化粧品創業70周年記念誌より

副社長自らが全国各地を回って講習会を開き、普及に力を入れたこの美容法はブームとなって、化粧品各社がこぞって追随し、ふき取り化粧水とクリームをセットにした商品を発売していったのです。

今は一般的な商品にも、意外に古い歴史があったのですね。

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