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震災から6年近く経った今、家が次々と壊される浪江町 福島の空にドローンを飛ばす理由とは

投稿日: 更新:
NARAHA
FiveStar / 松本淳
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地震や津波で壊れたわけではないのに、震災から6年近く経った今、自宅を壊さなくてはいけなくなった人がいる。

futaba fukushima福島県の浜通り地区と福島第一原発の位置関係図 経済産業省データよりハフィントンポスト作成(※クリックすると大きい画像が開きます)

東京電力福島第一原発に、一番近い場所で約4kmしか離れていない浪江町。原発事故で出された避難指示を、政府が3月末にも解除する方針になっているこの町では、2月現在、町中のあちこちで家屋が解体されている。避難指示が解除されると、住めなくなった家にも税金がかかるようになる。そのため、やむを得ず自宅の建て壊しを選ぶ人が出ている。

「今度は、あの角の家がなくなった。 今になってまた、自分のふるさとが奪われていくみたい…」

映像作家の松本淳さん(36)は、そう言ってドローンを飛ばす。ドローンが好きだからというわけではない。震災後ようやく新しい暮らしに目を向けようとしていた矢先、今度は自宅を壊すのかどうかを自分で決めなくてはいけなくなる…そんな人々を助けたいのだという。ドローン好きだというわけでもないのに、ドローンを飛ばす理由とは…? 2月中旬、話を聞いた。

matsumoto
松本淳さん

■「家がなくなって、自分も消えてしまった気がした」

浪江町から南に約20km、福島第二原発やJヴィレッジがある楢葉町で育った松本さんは、東日本大震災のあの日、津波で家を失った。

「家は海まで300メートルぐらいの場所にありました。実家は農家だったんですが、家の中を走り回れるような大きな家だったんですよ。ものすごく立派とは言えないですし、60年以上前に作られた古い家だったんですが、自分たちで修繕をして、大事に使っていました」

先祖から受け継いだ愛着のある家が、一瞬にして大波にさらわれた。

「津波の後、家が立っていた付近で何か持ち帰れるものがないかと探したんですが、全く残っていなかったんですよ。集積所に集められた、持ち主の分からない写真の山のなかにも、一枚もなかった。パソコンのハードディスクも海水に浸かっていて、写真データは取り出せなかった。

家がなくなった。みんなでご飯を食べた台所や、日向ぼっこをした縁側、上って夕日を見た屋根・・・今まで当たり前だったことが、もうできなくなってしまった。あんなに思い出が詰まった家なのに、なんにもなくなった。

なんだか30年間の自分の人生までもが、消えてしまった気がしました」

家を失ったという思いは、松本さんの心を徐々にむしばんでいった。震災当時、松本さんは福島第一原発から約30キロ離れたいわき市にある、水質検査などを手がける会社で働いていた。被災後、松本さんの家族は会社の近くに避難。通勤時間は短くなり、松本さんも仕事で毎日忙しくしていた。しかし、家を失ったという思いが心にのしかかり、5年も経つ頃には体調にも影響するようになった。

「『原発の賠償金をもらっているだろう』と、会社で言われたこともありました。それが嫌だと感じたこともありますが、それよりも、家という自分の思い出の詰まった場所がなくなったことのほうが、ショックだったんだと思います。なくなってみてからわかったんですよね。自分が失ったものは、とてつもなく大きかったって。

そして、それを乗り越えて前を向けるような、打ち込める何かが自分にあったわけでもなかったんです。『いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。前を向きましょう』と言われる人もいるかもしれませんが、何ができるのかもわからなくて、私は震災から5年が経っても、なかなか顔をあげられずにいました。

そういう自分に向き合わないまま仕事を続けていたんですが、胃が痛くなってしまったんです。積み重なった苦しさが吹き出すような感じだったんですかね…」

naraha
楢葉町の松本さんの自宅があったあたり。(2017年2月撮影)

こんな思いは、もう誰にもさせたくない。2015年1月、妻の実家の解体が決まったときも、松本さんはカメラやビデオを持って駆けつけた。

「だけど、カメラやビデオでもうまく撮れなかったんですよ。家に近づいたり離れたり、試行錯誤しました。棒にカメラをくくりつけて高いところから撮ってみようかとも思いました。でも、撮れたものはなんだかイマイチだったんですよね。イマイチな写真のまま、家は壊すほかなくて…」

なぜ、思ったような記憶が残せなかったのか。思い悩んでいた時に、ドローンの話題がテレビに度々登場するようになった。

「ドローンで高いところから撮したら、いいかもしれない」

早速取り寄せて試してみると、自分の思いに近いものが撮れた。

「私の頭のなかにあった家の記憶は、時間の積み重ねで作られた、様々な場所から見た町の風景を含めたものだったんです。町のいろいろな場所で見たり経験したりしたことが、長い長い時間をかけて自分の記憶になっていたと気がついたんですね」

近所の家や店、学校、木々や畑、道路、海…周りの風景とともに自分の家があった。

「決して自分の家一軒だけで思い出が作られていたわけではないんだ、 誰の家かもわからない家も含めて、自分の思い出だったんだと、わかったんです」

広い視野で、また動画でも撮影できるドローンは、その記憶を保存するツールとして最適だと松本さんは考える。

「これなら、自分と同じような思いをしている人を救えるかもしれない」

松本さんは、思い切って会社をやめることにした。ドローンを手に入れて約1カ月後の、2015年6月のことだった。

「何も会社を辞めなくても…趣味でやれば?」
「需要がないのでは?」

同僚は心配したが、松本さんの決意は固かった。毎日のように変化する自分の故郷を、撮らずにはいられなかった。

▼「ドローンで撮影した福島県双葉郡の今」画像・動画集が開きます▼

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ドローンで撮影した福島県双葉郡
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■住めなくなった家にも税金が…しかし「簡単に、壊すなんて選べない」

会社を辞めた松本さんは、資格を取得した後、毎日のように双葉郡に通い機体を飛ばした。太平洋に面するこの地域でのドローン飛行は、風だけでなく、漁港や漁船の無線の影響も受けやすい。復興で慌ただしい町中を、片手間で飛ばすことなんてできない。

突風に備えて遠くの樹木の葉っぱの揺れを見て風を読んだり、復興作業のじゃまにならないかに気を配ったりしながら、慎重に町を撮影した。町中のあちこちで次々に家屋が解体されているのが気になった。

2016年11月中旬のある日、ドローンを飛ばす松本さんを見かけて、東海林サチ子さん(64)が声をかけた。

「友達の家が、もうすぐ壊されるの。そこを撮ってもらえませんか」

東海林さんは、浪江町から南相馬市にある仮設住宅に避難していた。

「震災からもう5年以上経っているのよ。当然、避難先で新しい生活を始めている人もいるし、国の制度を利用して家を買った人もいるでしょう。だけど、避難指示が解除されたら、これまで免除されていた浪江にある家の分の固定資産税も、払わなくてはいけなくなるの」

避難が解除されれば町に戻ることはできるが、それに合わせて固定資産税の支払い免除も、翌2018年度から一部打ち切られて50%課税となり、2021年度からは、通常の課税に戻る予定となっている

通うことも制限され手入れができずにいた家は、ネズミなどの影響もあって約6年の年月を経て荒廃。住める状態ではなくなっているものも多い。そうなると、売ることすらできないが、建てたまま置いておくなら、固定資産税を払わなくてはいけなくなる。

復興庁は2014年、原発事故で居住が困難と判断された地域については、地震や津波で壊れたという条件だけでなく、長期間住めず荒廃した家の解体費用を、国が負担することに決めた。住民から申請があれば、調査を経て解体に応じる。

ただし、解体費用をいつまで国が負担するかは決めていない。2016年7月には、解体事業を行う環境省が、解体終了の目標時期を2017年度に決めたとする報道もあり、費用負担の打ち切りを心配して、今のうちにと解体を選ぶ人もいる。

環境省によると、2017年2月10日現在で、浪江町の家屋の解体申請数は約2000件にのぼる。この内、解体が終わったのは767件と、4割に満たない。環境省の担当者はハフィントンポストの取材に対し、「2017年〜2018年は、解体数が一番増える時期になると思います。解体作業ができる環境も整ってきたので、最近は申請から解体までの期間も、短くなってきました」などと話した。

しかし、いくら無料だからといって、簡単に解体を決められるわけではない。松本さんと同様に、家がなくなる痛みを感じる人もいる。東海林さんは言う。

「家族は別の場所に移住してしまったから、一人で浪江に戻って暮らすことが不安という年配の方もいるわ。災害公営住宅に移って、1人で暮らすことを選ぶ人もいる。

でも本当は、家は残しておきたいの。家ってね、私の人生そのものなのよ。時間をかけて、作り上げてきたものなの。それを、自分で壊すかどうか選べだなんて。私、うちの人には『壊す?』なんて、決して簡単に聞けないわ」。

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松本淳さんがドローンで撮影した浪江町の写真を、説明してくれた東海林サチコさん。街の風景がいっぺんに見れるところがお気に入りだという。(南相馬市にある仮設住宅の集会所)

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浪江町にある國玉神社。震災から約6年経っても、屋根が崩れたままだ。(2017年2月撮影)

■「自分自身で“自宅を壊す”という選択をすることが、ストレスになる」

長年住んだ家を壊すかどうか、自分が選ばなくてはいけない――。浪江町からいわき市に避難し、双葉郡のガイドなどを手がける一般社団法人AFWの吉川彰浩さん(37)は、津波や地震という自然災害ではなく、被災者自身の選択で家を壊すことを決めなくてはならない状況が、被災者のストレスにつながっていると指摘する。

「原発事故で避難指示が出て、町を去らなければならなくなりました。それは被災された方が望んだものではありません。その時にすでに一度、町を失った気持ちになりました。当時は数日の避難と言われたものが、気が付けば6年を超えようとしています。

今も明確な将来を描ける環境は整っていないなか、やっと避難先で新しい生活がはじまった矢先に、今度は家を手放さなければならない。それも、誰かが自分の家を使ってくれるというわけではなく、解体して、形すらなくなるんです。

さらに、解体するかどうかは、被災者された方自身が決めなくてはいけない。これは、津波や地震で家を奪われることとは違うストレスになると思います。家を解体するという決断をしたのは自分だと、自分を責める方もいるのではないでしょうか。

震災からこれまで、何度苦しい思いをされてきたか。落ち着かぬ毎日の中、原発事故をなんとか乗り越えようとしてきたのに、まだ苦しむのかという思いです。

国や地域行政、東京電力の人たちも、色々考えているとは思います。ですが、仕組みが先に進みすぎて、被災された方が人生設計を進められるような『心のケア』が追いついていないように感じます。

ほんの少し立ち止まって、被災者された方の気持ちを丁寧に聞くなどしてお互いが歩み寄り、被災された方の目線での仕組みに変えていくことが、長期化した避難により生み出される被災された方の苦しみの改善に繋がっていくと思います」

naraha fukushima
松本さんがドローンで撮影した2016年11月の浪江町。東海林さんの友達の家が壊される前の風景が残っている

■「町の風景は、私が生きてきた証」

選択を迫られる。不安な気持ちでいっぱいの心を安らげてくれたのは、自分が暮らしてきた町の写真だった。松本さんがドローン撮影した浪江町の写真を持っていくと、東海林さんは顔をくしゃくしゃにして、仮設の家の前に飾って皆が見えるようにした。

「写真を見かけた人と、『ああ、神社の横のイチョウ、秋はきれいだったのよね』『この国道を越えたらすぐ海よね』『この◯◯さんの家は、まだ除染が終わってないわね』なんて、話ができるんです。

孫が来たときもこの写真を見せて、町のことを話したりね。自分ひとりのときも、写真を見ながら以前の暮らしを思い出せるの。あのとき、あんなことをしたわよねって。

この写真は、私がこの町で生きていた証。この写真は、私の今の、精神安定剤でもあるんです」

そういって、東海林さんは写真を大事そうに、胸に抱えた。

これから、あっという間に町が変わる。自宅を解体する前に、自分の家の思い出を残したい人が気軽に声をかけてくれるよう、ドローンを飛ばす経費はクラウドファンディングで賄う。

私たちがそこにいたことを忘れないで――松本さんは、今日もドローンを飛ばす。

「ドローンなんて、簡単に操作できるって思うでしょう? そうなんです。単に飛ばすだけなら、タブレットで誰でも操作できるんですよ。

でも、家や町の思い出は、その場所に住んでいる人しか語れないんです。私はその場所に住んでいた人の目になって、一緒に飛ばしているだけなんです。

ドローンを飛ばし始めて、町の人に言われたことがあったんですよ。『ああ、俺の家があったときに、あんたに会いたかったよ』って。家が残っている今のうちに、たくさんの人の目になりたいです」

▼「松本さんのドローンは未来を見せる道具にもなる」画像・動画集が開きます▼

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