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電気グルーヴが語る「違和感なく狂気を伝える方法」とは?

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電気グルーヴの石野卓球(左)とピエール瀧 | Ki/oon Music
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1989年8月の結成から28年目を迎えるバンド「電気グルーヴ」。世界的なDJとしても知られる石野卓球(49)と、俳優としても活躍中のピエール瀧(49)によるエレクトロニック・サウンドは、日本のポップシーンで特異な存在感を放ってきた。

90年代には『VITAMIN』『DRAGON』といったアルバムで、デトロイト・テクノのサウンドを日本にいち早く紹介。99年には砂原良徳が脱退して2人組になったことで存続を危ぶむ声もあったが、21世紀を経てもコンスタントにアルバムを出し続けている。90年代以降、クラブミュージックはテクノ、ハウス、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)などのジャンルに細分化してきたが、電気グルーヴは流行に左右されない立ち位置を確保している。

約28年間もバンドを維持できた秘訣とは何か。「電気グルーヴ」という存在を通して2人は何を訴えてきたのか。3月1日4年ぶりのアルバム『TROPICAL LOVE』をリリースするのに合わせて、都内のスタジオで2人にインタビューした。

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石野卓球(左)とピエール瀧


■「セワシ君が聴いているような音楽」の衝撃

――1989年の電気グルーヴ結成当初と今では、日本のダンスミュージックはどれくらい変わりましたか?

石野卓球(以下、石野):30年近く前ですから、その頃のダンスシーンと言ったら、芝浦Goldとかジュリアナ東京ですね。今よりカルチャーとして浸透してなくて、ジャンルが細分化して文化の一つとして受け入れられている感じでは全くなかった。少なくとも、僕らの周りではなかったですね。

――結成当初はヒップホップの影響が強かったのが、4枚目のアルバム「VITAMIN」以降はテクノに傾斜していきましたよね?

石野:僕らはデビューした当初はラップを使っていたけど、ニューヨークのヒップホップ・カルチャーから影響を受けたことはなかったんです。むしろイギリスの影響が強くて、「ポップ・ウィル・イート・イットセルフ」など、ヒップホップの影響を受けたエレクトロニックなミクスチャーバンドからの影響が強かったですね。それで、メジャーデビューするに当たって、1991年に1stアルバム『FLASH PAPA』の録音をマンチェスターでやったんです。

ただ、実際にマンチェスターに行ってびっくりしたことがありました。自分たちが日本のUKチャート紹介番組で聴いていたような音楽はクラブでは一切かかっていなかったんです。ラジオの海賊放送をつけると、これまで全く聴いたこともないような未来人が聴くような音楽がかかっていたんです。『ドラえもん』に出てくるのび太の子孫の「セワシ君」が聴いているような音楽でした。全く表情が読み取れない音楽だったんです。

――匿名性が高い音楽だったわけですね?

石野:それで「これは未来の音楽だ!」と感じ取ったんですね。その頃がサンプラーが安くなってきた時代で、その時代に剥き出しのアナログシンセのオシレーターの音が「ピッ、ポー」って鳴っていました。一番ダサいと思われていたような音が剥き出しで鳴っているのを海賊放送のラジオで流れていて、それが大衝撃でしたね。今考えれば、シカゴ・ハウスとかなんだけど。

――そのときマンチェスターでの体験が、電気グルーヴが今まで続く源流になっているでしょうか?

石野:やっぱり、マンチェスターの経験がなかったとしたら、今まで電気グルーヴは続いてなかったんじゃないですかね。すごい可能性をそこで知ったというか。マンチェスターに行くまでは、すでにあるシーンの中に自分達の居場所を探していたのが、マンチェスターに行って「すでにあるシーンには自分達の居場所はない。だからこれから作らないといけない」という考えになった記憶があります。

――クラブカルチャーと、J-POPを結びつけられると直感したんですか?

石野:うーん、どちらでもないです。その当時、J-POPと言ってたかどうかは定かじゃないけど、日本のポップシーンに自分達に居心地のいい場所があるようにも思ってなかったし、クラブシーンにもそう思っていましたね。それは未だに変わりはないんですけど、そこに居心地の良さを持たないようにしているってのはありますね。

――近年は、EDMというジャンルが流行したこともありますが、若い人がダンスミュージックに興味持っていると実感されることはありますか?

石野:それはありますよ。むしろ、やりやすくなっていると思います。うちらは、ちょっと前に流行したEDMっていうスタイルではないし、若い子もEDMだと思って聴いていないじゃないですか。でも、エレクトロミュージックに対しての変な偏見がない方が助かります。普通のEDMとかとは違う、変わった部分を楽しんでくれるような若い子たちもいたりするので。そういう点では、むしろやりやすくなっていますね。


■「面白いことを言う酔っ払いのような存在でいたい」

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――4年ぶりの新作の『TROPICAL LOVE』(写真)で南国のイメージにしたのは、何か理由があったんですか?

石野:最初に表題曲が出来た時にそういうイメージあったのと、OPのパラダイス的な部分をアルバムの導入部にしようと思ってループを作ったんです。YAMAHAの「reface CS」というシンセサイザーがあって、あれにシーケンサーに音階を適当に入れるんですね。それでBPMをやたら速くしてポルタメントを強くすると、人が喋っているみたいに聞こえるんです。

それでシンセの音をノートPCのマイクで拾ったんですが、この音が狂気しか感じなかった。「この狂気を薄めるにはどうしたらいいんだろう?」と試行錯誤していたら、自然音というのは一番、狂気を和らげると気づいたんです。たとえば精神病を患っている人の叫び声があったとしても、そこに自然音を混ぜると意外と平気なんですよね。

――そういう狂気を感じるものを分からないように混ぜて、メジャーに出すという手法は、今まで電気グルーヴさんがやってきたことに通じてくるのかなと思いますが、どうでしょう?

石野:(その指摘は)バッチリです!そこに気づく人があまりいないんですが、僕らは狂気を日常の物に埋め込むのがすごく好きなんです。狂気の部分が先立っちゃうと、みんな怯えちゃうんですよね。ただ狂っている物を表現するだけだと「やばい人」ってなっちゃう。殺意を感じるやばさではなくて、「面白いこと言う酔っ払い」みたいな感じの存在でいたい。何かしゃべっているけど、あんまり側に寄りたくない。でも、「めっちゃ面白いことを言ってんじゃん」みたいな。そういうの、あるじゃないですか。その中にたまに真理が入っているみたいな。

――そういった手法で何を伝えたいんでしょうか?

石野:いろいろあるけど、「あなたがまともだと信じていることは、まともではないかもしれないということ。基本的にうちらは物事を疑ってかかるというか。額面通りに受け取るっていうことの危険性を非常に感じているので。そこに対して「こういう見方もありますよ」って提示する感じですね。そういう視点は、ずっとうちらのテーマで、狂気一歩手前といえば、それまでなんですけど、物事も見方によってこれだけ面白くもなるし、グロテスクにもなるんです。

――当初はバンドとしても、キワモノ的な扱いを受けていたこともあるかと思いますが…。

石野:ずっとキワモノでいいですよ。「うちらをキワモノだと思っている。そのお前はキワモノじゃねーのか?」って言いたいですね。「僕は変態じゃないです」っていう人には「どう変態じゃないんですか? 」と思います。「変態じゃない」って言い切ることほど、変態なことないですから。

――世の常識を疑っていきたいというのが、一つのライフワークですか?

石野:うーん、そうすると、非常識しか残らないんで。そんなつもりはないんですけど。ただ、常識だと何も疑わず、ただ何も考えずに受け入れている人たちに注意はされたくないとは思いますね。こっちは考えた上で、こうなっているんで。常に宣伝カーで言って回っているんですけど。心の中で。


■縄張り争いは、2人きりになった途端に無くなった

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ピエール瀧(左)と石野卓球

――瀧さんは石野さんと相当長い付き合いだと思うんですけど、高校生時代からですか?

ピエール瀧(以下、瀧):そうですね。高校1年生、16歳の頃からですね。

――もともと別の学校でしたっけ?

瀧:中学も高校も別の学校だったんです。高校で野球部に入ったんですけど、野球部で違う中学校から来た奴がいて、音楽の話をそいつとしているうちに、「ニューウェイブとかエレクトロな音楽が好きだったら、俺の友達に詳しい奴がいるから、今度そいつの家に遊びに行こう」って、卓球君の家に行き始めたのが最初のきっかけですね。音楽とかサブカルだったり漫画だったり、そういうものを求めて毎日、野球が終わってから卓球君の家に行って深夜まで遊んでいました。

――そのころ、バンドやろうという話もすぐに出てきたんですか?

瀧:野球をしていたんで、僕はあまり時間が取れなかったんですけど、高校3年になって野球部引退して、そこから何かやろうってことで「人生」にそこから参加するようになりました。ただ、楽器が出来る感じではなかったんで「ステージにいるだけでいい」って感じでしたね。

――ちなみに電気グルーヴの立ち上げはどんな感じで始まったんですか?

瀧:人生を解散したんで、それで僕は(映像の)制作会社の方に入るんです。人生の頃は「バンドやろうぜ!」というバンドブームがあったり、割とインディーズバンドがイカ天とかで紹介されるレールがある程度敷かれていた時代でした。それによってやらなきゃいけないことも増えてきて、バンドも窮屈になってきたんで、「電気グルーヴはそういうことを抜きで、自分たちのやりたいことをやるバンドにしようと思うけど、お前もやんない?」と卓球君に言われて、「それじゃやろうか」という感じでした。

――今2人体制ですけど、瀧さんにとってインディーズ時代を含めて28年、ユニットを続けられた秘訣って何でしょう?

瀧:まあ、なんでしょうね。お互いやっていることも別々じゃないですか。それがバンドに帰ってきたときも1個の席を取り合うわけじゃないし、こっちはこっちで(卓球君は)音作りで。僕は役作りの方だし。そういうのもあるので、なんか完全にセパレートなところがあるのが逆にいいんじゃないですかね。

――石野さんにとって28年間、バンドを維持できた秘訣とは?

石野:まず、奪い合うものがない。お互いうらやましいと思ってないけど、認め合ってるというところが大事なんじゃないかな。若いときは、バンド内でうらやましいと思っちゃうことも、あったんですよ。縄張り争いじゃないけど……。そういうのは、2人きりになった途端になくなるんですよね。お笑い芸人とか漫才のコンビってそういうのを避けるために結構、疎遠になってくるじゃないですか。でも、うちらの場合は疎遠になると成り立たなくなっちゃうので。

――完全に音楽は石野さんで、パフォーマンスも含めて瀧さんという風に分かれていて。得意分野もそれぞれ違うと。

石野:ただそこで全く音楽に瀧が立ち入ってこないかというと、そうではないんです。高校生のころに始めた時の、瀧に喜んでもらいたいというのが、僕にとってのこのバンドなんです。いくつかツボがあって。食って入るベースとか、『このコード進行がいい』とかってあるんですね。それは、基本的に俺も好きなんですよね

一応、プロなので。アマチュアリズムを前面に出すところは、さすがの僕でもちょっと恥ずかしいと思うところもある。でも、電気グルーヴはそういうところを無邪気に楽しめるところなんです。そうすると、高校生の時に僕の勉強部屋でシンセサイザーで遊んでいた時と、気持ちとしては大して変わらない。

――瀧さんに聴いてもらいたい、喜んでもらいたいみたいな

石野:コレあいつ喜ぶぞ~、ココ好きだろう~みたいな。
瀧:そんな感じします。「これ、いいねぇ」みたいな。


■電気グルーヴは年に何回かは戻ってくる実家

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ピエール瀧(左)と石野卓球

――石野さんはDJなど、ソロの音楽活動も多い。瀧さんは役者としての活動を広げています。お二人にとって電気グルーヴはどんな存在なんでしょうか?

石野:実家みたいな感じですね。
瀧:実家な感じですね。そうですね。

――さまざま活動をソロでやっているけれど、年に何回は戻ってくる実家のような感じだと?

瀧:そうですね。
石野:実家に誰かが住んで常駐しているわけではなくて。実家というか部室っていうか。別に、必ず戻ってこなくていいんですけどね。待ち合わせ場所みたいな感じですね。
瀧:つぶして更地にすることは、まぁないっていう。
石野:更地にする必要はないよ!


■電気グルーヴとは?

石野卓球とピエール瀧らを中心に1989年結成。1991年『FLASH PAPA』でメジャーデビューし、「N.O.」や「Shangri-La」などシングルヒットを記録。2015年これまでの活動を総括するヒストリー&ドキュメンタリームービー『DENKI GROOVE THE MOVIE? -石野卓球とピエール瀧-』が全国ロードショーされ大きな話題を呼んだ。2017年3月に4年ぶりとなるアルバム『TROPICAL LOVE』をリリースし、全国6カ所7公演の「TROPICAL LOVE TOUR」を開催する。


■電気グルーヴ「人間大統領」のミュージックビデオ


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【訂正】本文中で「かつてテクノと呼ばれていた音楽ジャンルが、EDMと呼び名が変わった」と解説していましたが、「テクノとEDMは別ジャンル」という指摘がありました。それを受けて、「90年代以降、クラブミュージックはテクノ、ハウス、EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)などのジャンルに細分化してきたが、」と記載を変更いたします。(2017/03/15 11:54)