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原発避難訴訟 画期的な判決になるも、悔しがる原告「苦労してきた6年間はこんなものか」

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判決を受け、原告団の集会で悔しさをにじませる松田健宏さん=17日午後4時49分、前橋市 | 遠藤啓生
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6年の苦労こんなものか…原発避難訴訟、不本意な原告も

 国と東京電力は、ともに津波を予見できた――。原発事故後、福島県から群馬県に避難した住民たちが起こした訴訟で、前橋地裁は17日、国と東電の責任を認める初めての判断を示した。震災から6年。全国で避難生活を続ける住民に力を与える「画期的な判決」となったが、半数以上の原告の賠償請求は棄却され、悔しがる原告もいた。

 判決後、群馬県教育会館で開かれた原告団集会では、全国各地の弁護士たちから喜びの声が上がった。

 「全国から注目されているなか、国の責任を認めたこの判決の意義は大きい。おめでとうございます」

 支援者や原告らでほぼ満員となった会場から、拍手が次々とわき起こった。

 ただ、約15億円の請求に対して、認められたのは約3800万円。慰謝料の大半は、国の指針に基づいて東電から払われた賠償金により、相殺されると判断されたためだ。素直に喜べない原告も多く、集会で登壇した3人の原告からは、「不本意だ」「弱い立場の声は聞いてもらえない」「額については再度考えたい」といった後ろ向きな言葉が続いた。

 集会でじっと目をつぶっていた松田健宏(まつたたけひろ)さん(37)は、福島県郡山市から群馬県高崎市に避難してきた。避難指示区域には含まれていない自主避難者だ。

 震災から約1年後、家族で高崎市へ避難することを決めた。警備会社を辞め、看護師の妻も病院を退職した。松田さんはアルバイトをしながら看護学校に通い、看護師をめざした。妻は新しい職場になじめず、体調を崩して仕事を辞めた。松田さんも試験が間近に迫ってバイトを辞めたため、夫婦で多い時は20万円ほどあった収入が昨年11月ごろからゼロになった。

 心ない言葉も浴びせられた。避難してから数日後、自宅前を通りかかった子どもが、福島ナンバーの車を見て「原発が来てる」と叫んだ。2014年冬には、車のフロントガラスに「福島に帰れ」と書かれた紙が挟まっていたという。

 自主避難を理由に東電による賠償はほとんどない。判決で認められた額は夫妻で数十万円。長男の請求は棄却された。「苦労してきた6年間はこんなものだったのか」と悔しがった。(角詠之)

(朝日新聞デジタル 2017年03月17日 23時58分)
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(朝日新聞社提供)

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