「認知症でもできることはたくさんある」だから働く場所をつくりたい。若野達也さんの挑戦

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家族や近しい人が認知症になったとき、どうするか。または、自分が認知症になったら? 

あなたは、その答えを持ち合わせているだろうか。

施設への入居や福祉サービスの利用はその1つといえるだろう。しかし、働いて自分らしく生きるという欲求を満たすには、残念ながらそれですべてが解決するのではない。

認知症の患者数は、推計462万人に上ることが厚生労働省研究班の調査で明らかになっている(2012年時点)。さらに、前段階である軽度認知障害の高齢者は約400万人いると推計されている。今や認知症の人は身近にいる時代だ。

聖武天皇の皇妃・光明皇后が、多くの病人に薬を投与する施薬院や窮民を救済するために悲田院を設けたことで社会福祉の発祥の地といわれる奈良県で、注目すべき活動が始まっている。

奈良市にある「一般社団法人 SPSラボ 若年認知症サポートセンター きずなや」が、認知症の患者に“居場所”や“働く場”を提供しているのだ。

代表である若野達也(わかの・たつや)さんは2004年、同市内に認知症グループホーム「古都の家 学園前」を設立し、さらに2009年、この「きずなや」を開設した。

若野さんに、取り組みや目指している地域のありかたについて話を聞いた。

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若野達也さん(撮影:小久保よしの)

■家族や施設の支援だけでなく、まちの環境こそ重要

――現在、認知症の患者さんはどのような状況に置かれているのでしょうか?

病院では病名を告げ、治療についての説明はしても、その後の生活の営みまでの相談にのる時間がありません。

社会の認知症への理解はまだ充分とはいえないので、認知症の方は自分が認知症であることをオープンにしづらい状況のなか、病院や施設、または自宅で過ごしています。

すると、その存在が地域に隠れてしまったり、自宅にこもって症状が悪化したりします。早期発見ができても“早期絶望”になってしまうことが多いんです。

必要なのは「認知症の治療」と「認知症にやさしい環境」のセットだと考えています。それも家族や施設の支援だけではなくて、まちの環境こそ重要なんです。

診断を受けた後、早期に適切な支援を受けると、認知症の進行がゆるやかになるというデータも出ています。

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「きずなや」で復興に取り組む追分梅林(おいわけばいりん)の梅(撮影:小久保よしの)

■比較的若い認知症患者の“居場所”づくり

――若野さんが認知症に関心を持ったのは、何がきっかけだったのですか。

小学生のとき、祖父が認知症になりました。僕は当時、勉強も運動も苦手な劣等感の強い少年で、自分のことを唯一認めてくれていた祖父が大好きでした。

祖父が認知症の病棟に入院したのでお見舞いへ行くと、驚くことに手首をひもで縛られ、ベッドの柵につながれていたんです。とても悲しく、訴えたのですが、それは解かれることがありませんでした。

このとき僕に残ったのは、祖父に何もしてあげられなかった無力感と、祖父の希望を叶えられなかった悔しさでした。「じいちゃんにされてイヤだったことをやらない社会にしよう」と決めたんです。

――それで日本福祉大学を卒業後、市役所で精神保健福祉師として働かれたんですね。

はい。少しして気づいたのは、同じ認知症の方でも、内科に入院していた人は退院先の施設がすぐ決まるのに、精神科に入院していた人の退院先は見つからないことでした。

要は受け入れてもらえないんですね。「ならば、彼らの“居場所”を自分でつくるしかない」と思い、行政を辞めて小さなグループホーム「古都の家 学園前」をつくりました。

そうしたら、入所者のほとんどが50代くらいの認知症の男性だったんです。65歳未満で発症するのを「若年性認知症」といいます。

彼らと話をしたら、「仕事がしたい」「家族を守りたい」などの希望があり、奥の深い悩みを抱えていることが分かりました。


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認知症になっても仕事ができる環境作りを

■地域の抱える困りごとを共に解決していく

――それを知ったことが、現在の「きずなや」での活動へとつながるのですね。具体的にはどのような活動をしているのですか?

自宅で生活している認知症の方が10人ほど定期的に来て、共に作業をしていま
す。認知症の方は“サービスを受ける側”だと思われがちですが、できることはたくさんあるんです。

進めている作業は主に二つあります。一つは、5年前から休園していた約3万3千坪の追分梅林(おいわけばいりん)の復興のお手伝いです。

追分梅林は以前、約4000本の梅が咲き誇る名所でした。でも、老木化や水害、農地改良造成工事などで枯れてしまい、わずか70本に減っていました。

地元の農業組合と話し合い、再生のお手伝いをさせていただくことになり、荒れ果てた土地の雑草を刈って、約500本の梅の苗を植えました。

ここが認知症の方たちの働ける場、社会に貢献できる場になればいいと思ったんです。認知症を発症すると、9〜17時などの正規で働くことは難しくなります。一方で地域には、高齢化によって担い手が減り、困っている場がある。

それならば、一緒にやっていくことでお互いのメリットになるのではないかと考えました。梅を後世に残す活動のなかで、地域の人たちとみんなでそれぞれの“居場所”をつくれたらいいんじゃないかと。

一瞬だけのつながりではなく、地に足をつけて住民と持続的な関係性を築きたいと考えました。

認知症の人に出会ってもらって、「前向きに生きているふつうの方たちだよ」と分かってほしいのです。梅の開花時期には観梅会を行い、地域の方たちに開放しています。また、追分梅林での農作業を手伝ってくださるボランティアを随時募集しています。


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地域の中に認知症の人の居場所を作る「きずなや」の活動。3月の開花時期には観梅会が行われた

■地域の歴史をヒントに「仕事をつくる」

――もう一つの活動は何ですか。

地域のみなさんと一緒に活動するには、この地域の歴史から大きくずれずに、活動をアレンジしていくのがいいだろうと考えました。

事務所と梅林があるこの場所の歴史を調べてみたら、奈良時代の高僧・行基が人々を救済していた隆福院の跡地だと分かったんですね。「奈良時代と今で、変わらないことをしているんだな」と。

また、古事記と日本書紀には、垂仁天皇が病気になって田道間守(タヂマモリ)を常世の国に遣わし、大和奈良に持ち帰らせたのが大和橘(やまとたちばな)だと記されています。神木であり、日本列島での柑橘類の唯一の固有種です。

そこでこの大和橘と、漢方にも使われる植物である大和当帰(やまととうき)もそれぞれ約500本植樹しました。これらを育成し、ジャムやバターなどの商品にして販売しています。

現在、農作業に対して時給800円で1日約2時間、“働く場”を提供しています。彼らにとってより大きな収入源とするべく、新商品の開発や販路の開拓を進めているところです。

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地域の特産物からも仕事が生まれる

――「きずなや」のような活動をしている団体は多いのですか?

全国にまだ数カ所しかありません。これから人口減少も進んでいきますので、認知症になった人を施設や介護職の人にまかせるスタイルは捨てなければいけないと思っています。

周囲が支えるようにしないといけないんです。例えば、料理屋で働いている人が料理屋で働き続けられるための支援をしたいのです。

まだ僕たちもこれからです。福祉と農業をうまく連携させ、認知症の方が農業を通じてどう働けば暮らしていけるか。それを模索しています。一つのコミュニティーとして地域を活性化したいです。

また、一般の方に認知症について知ってもらうための取り組みも始めています。

今、認知症の方が感じている症状や困りごとを疑似体験できるVR映像のコンテンツを、「シルバーウッド」の下河原忠道さんとつくっていこうとしているところです。

認知症の方がその人らしく生活でき、最期の場所も選べるような仕組みを今後考えていきたいです。

(取材・文 小久保よしの


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