安楽死は、豊かに生きるため。日本旅行の夢を叶えた、パラ金メダリストが語る"その時"

豊かに生きるための安楽死とは? 友人であるマリーケの歩みや、安楽死希望の登録をした筆者の経験とともに考えてみたい。

豊かに生きるための安楽死とは? ベルギーの首都ブリュッセル在住のフリーライター・栗田路子さんが、2016年「安楽死の準備を終えた」と公表した友人の元パラリンピック選手のマリーケ・フェルフールトの歩みや、自身の安楽死希望の登録経験をもとにレポートする。

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5月6日、ベルギー、ブリュッセル空港到着ロビー。ドアが開いて現れた車いすの女性に、ラブラドル犬「Zen」が走り寄って、その膝に飛び乗った。

(c)Michiko KURITA

彼女は、元車いす陸上選手のマリーケ・フェルフールト(38歳)。2016年9月リオ・パラリンピックで引退を表明。「安楽死の準備を整えた」と公表し、メディアの注目を浴びた。

(WARREN LITTLE VIA GETTY IMAGES)

あの時語った「夢の日本旅行」を実現してベルギーに帰って来た彼女は、充実した疲れと喜びであふれていた。彼女はリオで「すぐ安楽死します」と宣言したのではない。「豊かに生きるための安楽死」を世に問い、「タブー視せずに議論を」と呼び掛けたのだ。

豊かに生きるための安楽死とは? 友人であるマリーケの歩みや、安楽死希望の登録をした筆者の経験とともに考えてみたい。

豊かに生きるための安楽死

マリーケは、ロンドン・パラリンピックで金・銀メダルを、リオでは銀・銅メダルを獲得した、元パラリンピック陸上選手(車いすT52)だ。10代半ばで脊髄の病により下半身不随となった。症状は年々悪化して、頻繁に激痛やてんかん発作に襲われるようになった。痛みで眠れず、モルフィネを使ってほとんど昏睡状態になることもあるという。

彼女の苦しむ姿はあまりに壮絶で、両親や友人は見ていられないほどだという。「できないことがどんどん増え、どうなってしまうのかと怯え、自殺願望に襲われた」とマリーケは語る。

そんな時、ブリュッセル自由大学の緩和・末期ケア専門医ウィム・ディステルマン氏と出会う。2008年に安楽死希望を登録し、3人の医師から判断を得たことで、彼女は「自分が決めれば」いつでも安楽死を遂げられる状態に立った。

出発直前、自宅で日本行きを楽しみにするマリーケ (c)Michiko KURITA

「"人生の操縦席にいるのは自分"と思ったとたんに、急に楽になった。安楽死がなかったら、とっくに自殺していたと思う。今は、やりたいことが山ほどあって、片っ端からチャレンジ中。何倍も楽しめるようになった。今、はまっているのはインドア・スカイダイビング!」

競技生活を終えたマリーケは嬉しそうに語る。彼女にとって日本へ行くことは、車いす生活になる前からの夢だった。だから、今しかないと決意したのだ。彼女の現在の病状で、30キロもある酸素吸入装置やモルフィネなどの大量の薬を携帯しながら、日本縦断旅行をするのはかなり冒険だ。親友で看護師のアンが全旅程に随行した。

夢の日本旅行を満喫(Marieke VERVOORT)

安楽死を取り巻く世界事情

ベルギーでは2002年、隣国オランダに続いて「安楽死」が合法化された。ベルギーの法律は、判断力のある本人が、前もって、安楽死の希望を所定の手続きに従って書面で提出していれば、医学的に見て回復の見込みがなく、精神的・肉体的に耐えがたい苦痛にあるということを、3人の互いに関係のない医師が認めた場合に限って、医師が薬物投与などによって安楽死を実行しても刑法上の罪に問われないというものだ。この届出は、5年に一度更新されなければ無効となる。

その後、ベルギーの隣国ルクセンブルクでも合法化された。スイスでは「自殺ほう助」が古くから可能になっている。また、多少意味合いの異なる「尊厳死」(医師による自殺ほう助)は、アメリカのオレゴン州やワシントン州で合法化されている。それでも、「安楽死」の認知が世界的に広まり定着しているとはいえない。欧州内では、上記の国以外では認められていないので、簡単に国境を越えられる国々から、安楽死を希望して移住したり、死を計画して旅したりする人も少なくない

尊厳死は悲壮な決断ではない

一方、ベルギーでは、合法化から15年を経過して「安楽死」は社会にすっかり定着した感がある。2014年には法改正で未成年でも適用されるようになり、2016年に初めて実施された。また2015年には、囚人にも安楽死が執行されて議論を呼んだが、地元紙によれば、国の監督委員会は、「尊厳を保って死に臨む権利は、子供にも囚人にも平等にある」と答えている。

ベルギー社会で長く生活していると、知人や友人、親族の間でも、「安楽死した・させた」という話が聞こえてくる。それは、すでに、驚くほど希なことでもなければ、悲壮な決断でもないのだ。

私が身近で初めて安楽死のエピソードを聞いたのは、2005年頃のこと。友人が、末期がんを患っていた高齢の実母を、本人の意志に即して安楽死で見送ったことを、「みなに囲まれて、静かに逝くことができて母は幸せだった」と語ると、一緒にいた同世代の友達が口を揃えて「それはよかった......」と優しく声をかけた。

こうした安楽死のケースは、作家や政治家などの著名人から一般人に至るまで、ベルギー社会ではそこここで聞かれるので、痛みとの戦いが激しくなる一方のマリーケが、「安楽死の準備を完了した」と公言しても、ベルギー国内では誰も強烈に驚きはしないのだ。

選手として活躍した頃のマリーケとZen (c)Marieke VERVOORT

愛犬とともに自立して暮らすマリーケ

マリーケは今、愛犬「Zen」とともに、自宅介護のしくみが整ったベルギーの、彼女が生活しやすいようにデザインされたタウンハウスで、両親からも自立した生活を送っている。それでも近所に住む両親は心配そうだ。夢の日本旅行にずっと同行した親友で看護師のアンはどう思っているのだろう。マリーケは家族や親友の本音を明かした。

「友人たちは皆、わかってくれてる。アンは最善の理解者。両親には初めは辛かったようだけど、でも、時間をかけて説明したから、今ではわかってもらえたと思う。妹はいまだに『その話はしたくない』と言っているけれど、専門の臨床心理士さんにも関わってもらっているから、いつかは納得してくれると思う」

その時は、誰にもいつ訪れるかもしれない

筆者自身も実は、安楽死希望の登録を済ませている。所定の書式に記入して、親族と親族以外の2人の証人の署名を得て、居住地の市民課で担当者の前で自署すれば届け出が完了する。筆者の場合は、同時に「積極的臓器提供」の届け出もした。両方ともオンラインで登録されているので、もし不慮の事故などで病院に運ばれて、脳死の状態に陥った場合も、届け出証明を提示しなくても病院側で確認できる。

当人の意志が尊重されて、近しい親族に難しい決断を迫ることもなく、医師は安楽死させることができる。その時点で役立つ臓器があれば、速やかに臓器摘出専門チームにリレーされて、誰かの命を支えることができる。

筆者がこうした手続きをしようと思い立ったことにはきっかけがある。日本でも、ベルギーでも、身近な親族が助からない状態となった時、厳しい決断を迫られたことがあるからだ。さらに、2004年と2008年には、筆者自身が乳がんにかかり、大きな手術と闘病生活を余儀なくされた。その時、無用な苦悩と責任を、家族や医療関係者に押し付けたくはないと考えた。

筆者はその後、順調に回復したので、「耐え難い痛みや苦しみが継続し、現代医学で回復の見込みがない」という状態にはない。今は「不慮の事故などに見舞われた場合」しか適用されないが、安楽死希望の届け出は、あくまで本人がしっかり判断できる状態にある時になされなければ無効だから、認知症や意識不明になってからでは間に合わない。

また、先にも書いたが、5年に一度更新されなければ無効となる。「もう、いつ死んでもいいわ」と宣言していた不治の病を持つ人が恋に落ち、余命わずかでも最後まで生きたいと届け出を撤回した例もたくさんあるという。

安楽死は緩和ケアの一環

オランダやベルギーは、自死を罪と考えるキリスト教徒が国民の大半を占める。「安楽死は殺人である」「安楽死にまつわるトラブルが後を絶たない」などの批判も、ないわけではない。

ただ、「専門医療チームとともに、充分な時間をとり、冷静に考え、適正な手続きを踏んでの安楽死なら、緩和ケアの一環として今では受け入れられている」と、マリーケの旅に同行した看護師のアンは話す。専門の臨床心理士や看護師もいて、時間をかけて心の準備にあたるので、支えあう家族や仲間も穏やかに見送ろうと受け入れるのだと。旅立つ本人が、残される者を配慮した「利他のための安楽死」ならなおさらだという。

また、医師に安楽死の権限を認めることは、十分な医療を受けられない者を抹殺したり、より安直な死の選択に向かわせたりするという批判的な見方もあるだろう。しかし、これらの弱点は、一つ一つ丁寧に、それを未然に防ぐ制度的な仕組みを構築すればよいことで、安楽死そのものの是非とは関係がないのではないだろうか。

ベルギーで許されるのは、判断能力のある本人が事前に書面で意思表示を届けた場合のみだ。だから、意思表示ができない、あるいはしていない人が、拡大解釈で安楽死を選ぶとされることは起こりにくい。

一方で、安楽死や尊厳死、自殺ほう助の法整備がなされていない国々でも、医療関係者が延命装置を外すなどの消極的安楽死を実行するケースはある。しかし、たとえ家族や周りに懇願されて行ったとしても、医療関係者を免責する法的枠組みはない。そのような状況を、ベルギー人は「自己責任」で放置しないのだ。

「慎重に整備され法に基づいて実行されれば、苦痛に苛まれる者、悲嘆に暮れる者、そして医療関係者を守ることができる。ベルギーが興味深いのは、実際に窮地に立たされる人々を法的に守るのが先決という『受益者本意』という視点が優位なこと」と教えてくれたのは、安楽死や臓器移植に詳しい医療法学の専門家ジル・ゲニコ氏だ。

ベルギーでは、合法化直後、安楽死の件数は増加したが、近年は年間約2,000件(人口約1,200万人)で推移しており、大きな問題が露呈するケースはあまり聞かない。合法化当初は、高齢者の末期がん患者が大半であったが、近年では、神経疾患や精神疾患も増えているという。

「でも、やりたいことはまだある」と彼女は語った

マリーケが安楽死を実行に移すとすれば、「豊かな人生を全うし、もう満足と感じた時」――でも、その時がいつなのか、「まだわからない」と彼女は言う。

「確かに、痛みはどんどんひどくなって、もうだめと思う日と、まだイケると思う日が入れ替わりで訪れる。でも、やりたいことはまだある。日本の思い出を最終章に本を書き終えたいし、自分史を集めた小さなミュージアムを作って、障害や病気を持つ若者を勇気づけたいとも思っているし......」

空港での別れ際、マリーケが言った。「いつ来れる? 来週は私の誕生日があるからね、カヴァ(ワイン)でも飲みながら、日本の話をしようよ」。マリーケの笑顔に豊かな充実感が輝いた。

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