「しがらみを一旦、全部リセット」 ネット高校"N高"が目指す『ひとりを重んじる教育』とは?

「インターネットの発達で、今までのしがらみを全部リセットできる」

「これからの学校は、ひとりひとりの生徒がどんなことを求めているか見極めなければいけない」——そう語るのは通信制高校・N高等学校(N高)の奥平博一校長だ。

「ネット時代の理想の高校」を目指す同校は、学校法人「角川ドワンゴ学園」が運営する。同学園は老舗出版社KADOKAWAと「ニコニコ動画」で知られるドワンゴを傘下に持つ「カドカワ」が設立した。

2016年4月に開校されたN高の生徒数は、いまや約3900名に及ぶ。新入生がヘッドマウントディスプレイを装着する入学式の様子は「21世紀の高校」を思わせる。インターネットを通じて、好きな時間に好きな場所で学べるカリキュラムは、プログラミングやスポーツ、音楽活動など、力を注ぎたいものが明確な生徒たちやその保護者から支持を受けている。

一方でN高は、集団生活が苦手な子、引きこもりや不登校など従来の高校に合わない子が持つ潜在的な可能性にも注目しているという。「スクールヒエラルキーがなく、内気な子でも自分のやりたいことが自由にできる。それぞれに居場所があるのがN高の良さ」と語る奥平氏に、従来の学校が抱える課題やN高が目指す理想の学校像を聞いた。

N高の奥平博一校長

「インターネットの発達で、今までのしがらみを全部リセットできる」

——N高の設立会見で、学園理事の川上量生さん(ドワンゴ会長)は、引きこもりや不登校などの子の中には「落ちこぼれに見えるかもしれないけれど、むしろネットの時代に優れた能力を持ってる人たちもその中には沢山いるでしょう」と語っていました。そういった子たちを受け入れる上で大事にしていることはありますか。

かつて学校は、塀に囲まれて、社会から独立したある種「ユートピア」のような場所でした。世の中の色々な汚いことから隔てて、子供たちを集めて純粋に教育しようという発想があったと思います。昔はそれが社会的に最先端で、学校というのは憧れの場所でもありました。

でも、そういう時代は終わりました。これからの学校は、ひとりひとりの生徒がどんなことを求めているか見極めなければいけない。学校にとって難しい時代です。僕らは学校だからといって、生徒を集めて、集団でひとくくりにすることをやろうと思いません。それが必要だとも思いません。もちろん要所では、生徒が「みんな」で何かをやる場面もありますが、基本は「ひとり」であることを大事にしています。

従来の学校のように1学年の人数枠は決めていませんし、修学旅行や合宿旅行とかもありません。あくまで生徒ひとりひとりが中心です。「ひとり」の生徒が積み上がったものがN高です。ハード面で言えば、場所や時間を選ばずに自分にあったペースでネットを通じて授業を受けられます。でも、これ自体は世の中に他にもあったりしますからね。

生徒と向き合う上でN高が一番大事にしているのが、「ひとりひとりの生徒をしっかり見ていくことが大事だ」という思想を持ちながら、学校という枠組みの中で、ひとりひとりのニーズに合った学びや経験を提供していくという考えです。

川上量生氏は、引きこもりや不登校などの子の可能性に注目

——引きこもりや不登校といった社会問題は昔からありましたが、20年前にはN高のような学校はありませんでした。今の時代にこういう高校ができた背景や理由があるのでしょうか。

昔はクラスに不登校の子がいると、先生が朝迎えに行って、家にズカズカ入って「何してるんだ!行くぞ!」と、生徒を部屋から引っ張り出して、車に乗せて学校に連れて行った…なんてこともあったようです。友達関係を説得してクラスの子に「あいつの面倒を見てあげて」と依頼することもありました。近所からは「あの子は学校に行かずに、家にずっといるね」という目線もあったと思います。世の中全体として、「学校は行かなければいけない」という強制力が強かったと思います。

でも、いまは社会全体の目が変わったと思います。子供が変わったというよりも、社会の空気が変わった。親の強制力、世の中の強制力というのが和らいできた。「無理して行きたくない学校に行かなくても…」という空気ができつつあると思います。従来の学校が苦手な子供たちは、昔からずっと変わらずにいて、そういった子たちの存在が目立つ一方でN高のような学校を選択しやすい空気になってきたと思います。

そのことを「いい時代になった」という人がいる一方、「世の中の社会的規範や強制力が薄らいできた」という人もいるかもしれません。僕らとしては、あくまで「現実にそういう子供がいる。対応しないとダメじゃないですか?」という視点でいます。子供達には罪はありませんから。

沖縄・伊計島の本校

——私も学校が苦手で、クラスの空気に馴染めず、無理して馴染もうとして嫌な思いをしたことがあります。小・中・高を問わず、集団生活が苦手な子が学生生活を乗り切るヒントはあるのでしょうか。

人として生きていく力は、みんな絶対に持っていると思うんです。ただ、自分の周りの環境が少し自分に合わなかったり、友人関係で何らかのトラブルがあったりする。必要なのは、一度それをリセットする行為。ゼロに戻してあげることだと思います。

学校では子供が周囲に溶け込めなかったり、いじめにあったり、中には命を落とす悲しい事件があります。それは、「通っている学校」という、極めて狭いエリアで発生してしまう。でも仮に、別の学校に転校したら、その子の生活は変わるかもしれません。インターネットや技術の発達したことで、地域性など今までのしがらみを一旦、全部リセットできます。僕は、それがまず大事なことだと思います。

ご近所付き合いはしなくていいし、集団登校もしなくていい。言い方は悪いかもしれませんが、「もう一度、自分はやり直せるんだ」と思う気持ち、これが大事だと思います。それは「逃げる」ということではありません。だから一旦リセットしてあげる。そのためには、インターネットを通じて全国どこでも勉強できることは合致していると思うんですよね。

時間と場所を選ばず学べる、それが「ネット授業の強み」だという

趣味の話でもそうです。中学校の学区域のような狭いエリアだったら、「自分はアニメが好きなんだ」と言っても、周りに理解をしてくれる人がいないかもしれない。でも、全国規模でみれば、同じアニメが好きな子は絶対にいますよ。

——昔は茶の間のテレビで、家族揃って同じ番組を見ることもありましたが、今はひとりひとりがパソコンやスマートフォンを持つ時代です。手元の画面で、自分の好きなコンテンツを楽しめるようになりました。

N高にはたくさんの「同好会」があります。そこで、自分と同じものが好きな人と仲良くなれる。好きなものを「好きだ」と言える、それが自分の居場所にもなりますよね。

自分の居場所ができれば、自分という存在を見つめ直すこともできると思います。「これだったらやれる」「これなら人に負けないんだ」という何かを見つけ出せれば、自分に自信がつくきっかになるかもしれません。自分なりの自信が持てたら、世の中にも出ていけると思うんです。

「環境が合わなければ、違う環境に移ったほうが良い」


——私自身も経験がありますが、子供にしてみれば自分がいる半径500mが「世界の全て」だと思ってしまう。その環境が自分と合わないのは辛いですよね。

いじめで本当に悲しい事件ってあるじゃないですか。中には「戦え」という人もいるかもしれませんが、戦って解決できたらいいけれども、僕はそんなことより、違う環境に移ったほうが良いと思います。

——「逃げずに向き合え、戦え」という論がありますけれど、「逃げるのも勇気」だと。

その通りだと思います。むしろ、決して「逃げる」というレベルではありません。もう一度自分にチャンスを与えてあげる。大人じゃなく、まだ10代じゃないですか。いくらでもチャンスは与えてあげるべきだと僕は思います。

——保護者はそういう時にどういう対応をしたらいいでしょうか。やはり転校させる手続を考えたほうがいいのでしょうか。

これもいろいろと議論があるところだと思いますね。今の環境をなんとかしようとそこで戦っていく、頑張っていくのは、確かに大事なことかもしれません。でも、まだまだ若い子供に戦いを強いるのはどうなのかなとも思います。もちろん場所を変えるだけでは問題は解決しませんが、有効な方法の一つではあります。

ちょっと環境を変えてあげれば、子供は新たなものを見つけ出せる。自分のお子さんが新しく打ち込めるものをみつけられるような、そういう工夫をしてあげることが大事だと思います。

「大事なのは、選択肢を増やしてあげること」

イカ釣り漁船体験

——N高の課外活動では、「イカ釣り漁船の体験」や「マタギ体験」「雛人形師の体験」など一風変わった職業体験がありますね。それも「新たなものを見つける」ための仕掛けでしょうか。

職業体験は課外活動なので自由参加です。もちろん「雛人形を作りにいって、雛人形師になれ」というわけではありませんよ(笑)。職業体験の中で色々な人に会って、世の中のことを知ってもらいたいなと。例えば雛人形だったら、作る職人さんだけでなく、材料を供給する人、完成した雛人形を売る人もいる。1つの職業を通じて、社会にいる人々の役割を見て欲しい。そういう思いで用意しました。

世の中には僕らでも知らないような仕事や役割がいっぱいある。そういうものに触れて「こんな仕事もあるんだ」「ひょっとしたら、これだったら僕もできるかもしれないな」と思ってもらえるかもしれない。「将来どうしようかなぁ」と悩む生徒には、「世の中には知らないことがいっぱいあるんだ」と感じてもらえたらと思うんです。それで「世の中には自分が知らないけど、向いているものもあるかもしれない」と、生徒の好奇心に結びついたらいいなと思います。そのためにも、とても極端なものを提供しています。

刀鍛冶体験

だって、僕らの知っている情報って限られてますよ。僕ら学校の先生だって偉そうに進路指導をやっていますが、世の中のことをどれだけ知っているのか。知らないことのほうが多いですよ。別にイカ釣りの漁師になれともマタギになれとも言いません。ただ、「世の中って広いよね」とそれだけでも知ってもらいたい。それがきっかけで、自分が将来どんな姿になりたいのか考えたり、自分が向いているものを知るきっかけになるかもしれません。

マタギ体験

——生徒がアイデンティティを確立し、やりたいものを見つけることは、今の日本の高校でうまくできるのでしょうか。N高を運営している中で、日本の高校が抱えている問題が見えてくることってありますか。

「日本の教育」とかを僕らが語るのは少し違うかもしれませんが、大事だと思うのは「選択肢を増やしてあげること」ですね。

例えばN高にはこんな生徒がいます。以前通っていた進学校で、ある日ギターを持っていって、空き時間に教室でギターの演奏をしていたそうです。ところが、彼は生徒指導で注意を受けた。「なぜダメなのか」と反対したら、停学処分になった。どこの学校でもこういうことってあると思うんですよね。

学校というのは「こうでなければいけない」というルールがあり、それは「社会的規範を守るために必要なんだ」という大前提のもとに作られています。けれども学校では、社会に適合できなかった場合の救済措置が組まれていないように思えます。

不登校の問題もそうです。生徒が「学校にいること」が大前提であって、生徒が「学校に来ない」ということにどう対応すればいいか、どこの学校も有効な手立てがなく困っているのではないでしょうか。それは、これまでの学校の枠組みありきになってしまっているからだと思います。極端にいえば、「枠の中にいない子のことは知らない」という世界があるかもしれません。それが不登校の問題が浮かび上がっている要因かなと思います。

僕らは、そういう「枠」をあまり持たないでおこうと思っています。もちろん、学校生活上の最低限のルールは必要ですが、それさえ守れば何をやってもかまわないですよ。あまり押し付けるようなことはしたくないというのが僕らの考えです。

——たしかに、価値観やライフスタイルが多様化するなかで、学校側が生徒にルールを押し付けて管理するのは時代遅れに思います。一方で、スマートフォンが世の中にひろがり、空間的な自由さが増した。子供達は学内外の人たちと容易にコミュニケーションがとれるようになりました。

スマートフォンが世の中に広がり、時代も変わったと思います。たとえば、昔だったらクラスで揉め事があったりすると「もうやめとけよ。また明日話をしようや」って先生が子供に言えたんですよ。「また明日」っていうのは、家に帰って親としゃべって、その間に色々考えて欲しいという意味もあったと思います。

でも今は「また明日」なんて言えませんよね。「また明日」と言った後に、ケンカしていた子供同士が直に連絡を取り合って、より状態が悪化する場合もある。子供達にとってはかわいそうなことかもしれないけれども、24時間、誰とでもそういう状態になってしまう。一方で、ネットを通じて友達ができることも増えてきたと思います。

「人間関係の親密さと空間的・物理的な距離の関係性が薄れてきた」

N高の文化祭(ニコニコ超会議2017にて)

――リアルで友達がいなくても、ネット上で友達を作ることもできます。それこそ、国境や言語の壁を越えることも。

かつては空間的な距離が親しさの目安でした。仲の良い友達と肩を組んで「遊びに行こうぜ!」というようにね。でも、いまの子は友達と肩を組みながら、一方でネットを通じて知りあった友達とも仲良くしている。もしかしたら、リアルの友達との友人関係について、ネットの友達に「あいつのこと苦手なんだよね」と相談をしているかもしれない。リアルの友達よりも、ネットでつながった友達のほうと親しくなる場合もあるかもしれない。

つまり、人間関係の親密さと空間的・物理的な距離の関係性が薄れてきた。だからこそ、今の子供達は楽しんでいる一方で、困ってもいるんですね。リアルで仲良くしている子が、親友なのか信じられなくなっている。だからこそ僕らは、「ネットの高校」であるけど「リアル」も大事にします。例えば、ニコニコ超会議でN高の文化祭をやりますが、仮想空間でつながった友達だけでなく、空間的な部分でも「俺達は仲間だな」って実感できるイベントも丁寧にやっています。

N高文化祭の模擬店

「ひとり」という言葉には色々な意味があると思います。物理的・空間的には「ひとり」でも、実はネット上にたくさんの友達がいて「ひとり」じゃない場合もある。一方で、リアルに友達がいても、ネットで「ひとりぼっち」になっているかもしれない。「本当の友達は、どういう存在なのか」と、子供達が混乱している気がします。

これは時代の流れで、今後また整理されていくと思うんですね。ネットとは上手に付き合っていくことが大事です。この時代の「文明の利器」ですから。

――N高ではネットをフル活用しているそうですね。学生や先生はチャットツールでコミュニケーションをとっていると聞きました。

普段のコミュニケーションは、チャットツールの「slack(スラック)」を活用しています。ホームルームも毎日やっています。クラス担任が時間になると「ホームルームを始めるよ」と呼びかけると、生徒たちがチャットルームに「はーい」と、入ってきます。ホームルームの時間はそれぞれのクラスで決めています。

——従来の学校のように、生徒全員が同じ時間にホームルームをやるというわけではないんですね。

基本的には決められた時間にクラス全員が、各クラスのチャットルームに入ります。その中でも、積極的にそこで発言する子もいれば、みんなの会話を見てるだけの子とか、いろんな子がいます。参加の仕方は生徒ひとりひとりで違います。でも、それで構いません。

チャットツールの「slack」を活用

——夏の暑い日や冬の寒い日に、校庭で立たされながら校長先生の話を聞かなくて良いなんて、なんとも羨ましい話です…。

slackの良さは、みんながいる公開の場でも発言できるし、非公開の場で1対1のやりとりもできることです。何かあれば、先生に個別チャットですぐ相談ができる。僕も普通の全日制高校で授業をやっていましたが、クラスにむかって「みんな、調子どう?」と呼びかけても、あまり反応せずしゃべらない生徒のほうが圧倒的に多いんですよ。

クラス全員の前でしゃべるのは難しいですよね。でも、先生と自分の1対1のチャットなら話しやすい。先生側からも生徒側からも、互いにチャットで呼びかけれられるのは素晴らしい機能だと思います。先生が「最近どう?」って声をかけると、周りの目を気にせず自分のペースで答えてくれる。そういうことが可能になります。

「ネットとリアルに、もはや境界線はない」

N高入学式の様子。ヘッドマウントディスプレイで沖縄の本校の中継を視聴する

——ネットをフル活用するN高がある一方、スマートフォンの持ち込み自体を禁止する高校があります。奥平さんはどう思いますか。

色々な意見があると思いますが、僕は「本当にそれでいいの?」と思う。「臭いものには蓋をする」っていう話ですから。いまの生徒たちにとって、スマートフォンは暮らしの上で必要不可欠なものですよ。そもそも「文明の利器」には両面の意味があります。原始時代にさかのぼっても、物を切る包丁っていうのは便利な道具である一方、使い方によっては人を刺せる武器にもなる。そういう道具を人間は上手にコントロールしてきました。自動車だってそうです。

僕らがネットの高校として、授業や学校生活でスマートフォンやネットを自由に使おうと決めたのは、ある種の社会的挑戦です。でも、そこに立ち入らないとリアルな教育もネット上の教育も、ひいてはこれからの教育は成り立たない。それがN高の考え方です。挑戦的ゆえに叩かれることも多いですけどね(笑)。

――そこは「ネット」とうまく付き合っていくことが大事だと。

これはドワンゴのイベント「ニコニコ超会議」の思想とも通じます。「ネット」と「リアル」には、もはや境界線はない。それがN高の考え方です。いまの時代の子供達にとっては自然な感覚かもしれません。「リアルなコミュニケーションでなければ本当の友情は育まれない」なんて言ってるのは、大人だけじゃないですか?いま、日本の学校の一番の問題はそこだと思うんですよ。

超会議で開いているN高の文化祭も、楽しみ方はいろいろとあります。ニコ生の番組に出演する生徒もいれば、出店を企画する生徒もいる。一方で、お客さんとして楽しむ生徒もいれば、会場には来なくてもネットで番組を見て楽しむ子もいる。参加の仕方は自由ですし、決して強制しません。

N高文化祭。模擬店のほか生放送用の舞台もある。将棋部の生徒とプロ棋士の対局解説も

従来の学校だと、クラスには目立つ子たちがいる一方で、そういう子たちとはうまく交われない内気な子もいる。いわゆる「スクールヒエラルキー」があると思いますが、N高ではそういったものがなくフラットです。ヒエラルキーの上にいるような子達を前にしたら、内気な子や集団行動が苦手な子、人付き合いが苦手な子はうまくコミュニケーションがとれないですよね。萎縮しちゃう子もいますよ。

スクールヒエラルキーがなく、活動的な子はもちろん、集団生活が苦手な子や内気な子でも自分のやりたいことが自由にできる。それぞれに「居場所」があるというのがN高の良さだと思います。

「『ひとり』を重んじる教育が、これから大切になる」

沖縄・伊計島でのスクーリング

——「居場所」というのは、集団や組織の中での役割という意味ではなく、素直に「自分がここにいていいんだ」という意味での「居場所」という感覚でしょうか。

クラスの中での相対的な位置や役割という意味ではありません。N高では「自分はこういう人間なんだ」というのを確立させてあげて、それに自信をもたせてあげたい。それさえあれば、多分どこに行っても生きていけるんじゃないかな。そこが教育の一番大事な部分だと思います。

自分の好きなこと、例えばプログラミングや小説でもいい。5教科をしっかり学んで、行きたい大学を目指すのもいい。ひとりひとりに自信が持てる「武器」を持たせてあげたい。だからこそ、N高には学べるコンテンツがいっぱいある。そういうものを感じてもらえたら、学校としての価値はあるなと思うんですよね。

N高の姿勢は「来る者は拒まず」です。もちろん入学したら、それなりに学校のルールやコミュニケーションツールの使い方、そういった最低限のルールや一般的な規範は伝えます。でも、通常の全日制と比べて、そもそも学校としての「枠」がそれほど大きくありません。例えば、制服を毎日着る必要もありません。通常の高校が苦手な子でも過ごしやすい環境だと思います。

生徒の中には、プログラミングに秀でた子もいます。スポーツでも、モトクロスバイクで世界大会に行くような子もいますね。音楽活動をしている子もいます。N高としては、生徒がそれぞれ活躍できるフィールドで頑張ってもらえれば良いと思っています。自分のやりたいことがあれば、そこに自分の時間を費やすためにN高を選ぶ生徒もいます。課外活動には参加せず、まずは必修単位をとりたいという生徒も。「高卒資格をしっかりとろう」と頑張っている生徒もいます。

沖縄・伊計島でのスクーリング

——集団生活が苦手な子、自分のやりたいことが明確な子、やりたいことがまだ見つからない子、あらゆるニーズに対応している。

N高というのはプラットフォームですから、色々なものをその上に乗せていける。「N高」に完成形はありません。N高というのは、生徒たちの基礎となる居場所です。N高は今もまだ成長していて、作っている途中です。学校の運営側も、先生も、生徒も、N高というものを一緒に作っている。学校って、多分そんなものだと僕は思っているんです。塀に囲まれた中で全てを完成させようという時代はもう終わった。だから日本中、世界中が教室であっていい。

今の学校が合わずに悩んでいる子や、進学に悩んでいる子には「世の中って広いんだ」ということを知って欲しいですね。もしN高に行きたいと考えている人がいたら、あまり固く考えずに挑戦してもらいたいなと伝えたいです。

N高では生徒ひとりひとりを尊重しますし、ひとりひとりの生徒を集団の中に埋没させません。ハフポストの今回の企画「#だからひとりが好き」にも通じると思いますが、ひとりひとりのライフスタイルが充実することで、世の中は成り立っていると思います。

僕も「ひとり」でいることは好きですよ。趣味はネットカフェです(笑)。会員証だけで10枚以上持っていますし、東京だけでなく大阪など地方のもありますよ。あの空間が好きで…変わり者ですかね(笑)。でも、ネットカフェならひとりになれるから。いろいろと考えたり本を読んだり、映画を観たりできるじゃないですか。あれがホッとしますね。

「ひとりが好き」と語る奥平氏

――意外ですね(笑)

こういう仕事をしているので人前で喋ったりもするし、この話をすると「嘘でしょ?」って言われます。でも、だからこそひとりになれる時間が欲しい。なので、空間的・物理的に自分を区切ってしまう。そういう意味で、ネットカフェは最高だなって思います。

今はいつでもどこでも、すぐに情報が入ってくる。自分はその情報をもとに、どういう選択をするべきか、ゆっくり考えられないんですよね。大人も、ひとりで考える時間が大事だと思います。むしろ、昔より大事になってきていると思います。働いている人間は、たくさんの情報に囲まれると自分を見失いがちですから。

——「ひとり」で物事を考えること、「ひとり」でいることの良さってどういうものでしょうか。

僕は高校時代、ひとり旅が好きでした。僕の時代はまさにバックパッカーが流行った時代で。だから高校1年生から春休みはアルバイト、夏休みは終業式が終わったら沖縄に行っていました。終業式が終わったら、その日のうちに荷物を持って、神戸港から船に乗って沖縄へ。始業式の前日まで沖縄にずっといたんですよ。これは高校3年間やりました。

沖縄のユースホステルで、住み込みで働きました。そうすると宿泊費がタダ。ご飯もつく。昼間にはちょっと自由時間もある。そんな感じで、夏休みの1カ月間は沖縄に住んでたんですよ。ひとりで旅をして、色々な人に会って、「世の中って広いな」と感じました。それは今の学校運営にも生かされています。

沖縄・伊計島の本校屋上

かつて高度成長の時代は、画一的に人材を作り出して、大きな工場に行って、みんなで同じ作業をして…。もちろん、これが日本経済を発展させた背景の一つではありますが、今は時代が変わってきた。そうすると「ひとり」の力が大事になってくる。ひとりひとりが充実することが社会を強くすることになると思います。だから「ひとり」というのは、これからの日本において非常に重要なキーワードです。「ひとり」を重んじる教育が、今後は大切になってくると思います。

奥平博一・N高等学校長 大学時代は発達心理学を学び、卒業後は公立の小中学校に教員として勤務。民間教育に面白みを感じ学習塾に職場を移し、小中学生の受験指導、新規教室の開校準備業務などに従事。その後、通信制高校での業務を機に、新たな通信制高校の立ち上げ、拡大に携わる。そして2014年10月、通信制高校の新たな可能性を信じてドワンゴに入社、すぐに沖縄へ移住し、「N高等学校」の設置・開校準備に奔走する。N高を含め、これまで様々な“子ども”達を見てきたことで、教育における多様な選択肢の必要性を感じている。



ハフポスト日本版は、自立した個人の生きかたを特集する企画『#だからひとりが好き』を始めました。

学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり...。繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮もあります。

企画ではみんなと過ごすことと同様に、ひとりで過ごす大切さ(と楽しさ)を伝えていきます。

読者との双方向コミュニケーションを通して「ひとりを肯定する社会」について、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

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