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どうすれば「ひとり」でいられるのか(嫌な思いをせずに)

2017年06月02日 21時42分 JST | 更新 2017年06月02日 22時15分 JST
suttle istock

多くの人にとって——とはいえ、いきなりそう決めつけるわけではないが——「孤独」の問題は重要だ。社会の喧騒を離れ、スコットランドの片田舎での生活を選んだサラ・メイトランド氏の著書 『どうすれば、ひとりでいられるか』 は、「ひとり」の自分と付き合っていく術に考察を加えている。

以下、同書から心に響く内容を紹介する。ひとりに対する誤った認識は、孤独を恐れる人たちが広めているのかもしれない。

21世紀に「ひとり」でいること

いま1つの問題があります。深刻な文化的問題、そう、孤独の問題です。私達がこの現代社会でひとりでいることは、アイデンティティと幸福について重要な問題を提起しています。

私たちは、少なくとも比較的豊かな先進国に目を向けるかぎり、ひとつの文化的局面に到達しました。

そこでは、自立、個人の自由、自己実現、人権、そして何にも増して、個人主義に対して、かつてないほど高い価値が与えられています。しかし同時に、このように自立的で、自由な、自己実現を果たす個人達は、他人と離れて孤独になることを恐れているのです。いったい何故こんな事態になったのでしょうか?

少し考えみてください。実に奇妙でしょう。

私たちは、個人の自由と自立は、正しくしかも善いものなのだと高らかに謳い上げながら、こうした自由を行使する人が現れると、「残念な人、さもなければ、おかしい人、それとも悪人か」などと考えているのですから。

独身でいること

中世の頃、「紡ぎ女」は褒め言葉でした(日本でいうところの「バリキャリ」)。「紡ぎ女」というのは、一般的には、紡績の技術にすぐれ経済的に自足している女性をさします。紡績は、経済的独立を確立するために中世期の女性が選択できた数少ない仕事のひとつでした。

後にこの言葉は、婚礼期を迎えた女性に対して使われるようになりました。女性は(経済的な理由ではなく)自分の意思によって自由に婚姻関係を結ようになった、という意味が込められるようになったのです。

ところが現在、「紡ぎ女」 は一種の侮辱です。私たちがそうした女性の“ためを思って”心配するようになったからです。いまでは男性の為にも。

独身でいること、ひとりでいることは——喫煙の習慣とともに——まったく見ず知らぬの人でも気兼ねなく不躾な批評のできる数少ない事のひとつです。

社会が求めるマナーや寛容の基本が踏みにじられている、なんと由々しき事態、(喫煙の習慣と同じように、落ち度は君の側にあるはずだ)、というわけです。

「ひとり」に対する意識を見直す

ひとりで過ごす可能性は誰にもやってきます。私たち全員がそのリスクに曝されているのです。Facebookの友人、連絡先、人間関係や経済的蓄えがいくらあったところで、安全が保証されるわけではないのです。

(イギリスでは)ひとりで生活を送っている人達の中には、75歳以上の女性の層(家族との死別でひとりになる)、また25〜45歳の男性の層が、最も規模が大きく、その数は急速に増えています。

人々が“孤独になる恐怖”から逃れるためによくする作戦を知っておくと安心です。次の2つが最もよく知られていますが、どちらも単独では効果はありません。

第1の戦術は、ひとりを恐れない人たちを中傷することです。特にこうした人がひとりの時間を満喫しているとき、ことさらに中傷してきます。彼らは「不憫」な人だとか 、あるいは「自己中心的」「おかしい人」「変質者」 だと言って、ひとりを恐れない人をステレオタイプ化しようとするのです。

第2の戦術は、一種の安全策として自分の社会的ネットワークを無限に拡大しようとすることです。こうしてSNSはますます盤石になっていくのです。

ハフポストUK版の記事を翻訳・編集しました。