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タクシー会社「エムケイ」創業者の青木定雄氏が死去、88歳

2017年06月11日 23時16分 JST | 更新 2017年06月13日 01時27分 JST
時事通信社

タクシー業界に規制緩和の風穴を開けたことで知られる、タクシー会社「エムケイ」(京都市南区)創業者の青木定雄氏が6月8日未明に亡くなった。88歳だった。

同社によると、通夜・告別式は近親者のみで済ませた。病気療養中だった。

青木氏は韓国南部・南海島出身、1943年に兄を頼って京都に移住した。1957年に永井石油(エムケイ石油の前身)を創立し、代表取締役に就任。1960年にミナミタクシーを創立し、取締役会長となる。その後、1977年、買収した桂タクシーとの合併で誕生したエムケイの代表取締役会長に就任する。

■「規制緩和」のヒーローとなって一躍脚光

青木氏が全国的に知られるようになったのは、1980年~90年代にかけてのタクシーの料金値下げ闘争。当時のタクシー料金は「同一地域同一運賃」と呼ばれ地域ごとに一律、さらに数年おきに業界横並びで値上げしていた。

しかし、その制度で売り上げが伸びないことに危機感を感じた青木氏は、国に値下げを申請した。

申請は却下されたが、その後運輸省(現国土交通省)を相手取って大阪地裁に提訴して、勝訴。国側は控訴したが、1989年に和解し、1993年のタクシー料金自由化につながった。また、タクシーの参入規制も緩和され2002年には新規参入も事実上自由化された。青木氏はこの値下げ裁判によって「規制緩和」のヒーローとなり一躍脚光を浴びた。

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運輸省(現国土交通省)を相手取って起こした「タクシー運賃値下げ裁判」で勝訴し、記者会見するMKタクシーの南部昌也社長(左)とMKグループの青木定雄会長(大阪市の大阪地裁)肩書は当時。撮影日:1985年01月31日

しかし、その後、規制緩和で運転手の労働環境が悪化しているなどの指摘も増え、2009年10月からは再び新規参入が原則認められなくなり、運賃審査基準も強化された。

■プロ野球「大阪市民球団」構想も

エムケイの代表取締役会長退任後は2001年から在日韓国人系の近畿産業信用組合で代表理事会長を務めた。しかし、「世襲人事をしようとした」として2013年に解職された。

プロ野球再編問題に揺れていた2005年には、青木氏率いる同信用組合が中心となって、大阪の市民球団を設立してプロ野球へ新規参入する企画を提案したこともあった。