NEWS

大田昌秀・元沖縄県知事が死去、92歳 基地問題の解決を訴え続ける

2017年06月12日 15時33分 JST | 更新 2017年06月16日 21時16分 JST
Issei Kato / Reuters
Former Okinawa Governor Masahide Ota speaks during an interview with Reuters in Naha, southern Japanese island of Okinawa, March 5, 2008. Once an independent kingdom with a rich culture and its own language, Okinawa has long been trapped in a strategic triangle with Washington and Tokyo, 1,600 km (1,000 miles) to the north. One third of its population was killed in the bloody Battle of Okinawa in the final months of World War Two, after which the island was occupied by the United States until 1972. Picture taken March 5, 2008. To match feature JAPAN-USA/OKINAWA REUTERS/Issei Kato (JAPAN)

元沖縄県知事の大田昌秀(おおた・まさひで)さんが6月12日午前、那覇市内の病院で死去した。92歳だった。朝日新聞デジタルなどが伝えた。大田さんは12日が誕生日だった。

沖縄タイムスによると、大田さんは1925年、沖縄県の旧具志川村(現久米島町)生まれ。45年、県師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員され、多数の学友が戦死するのを目前にしたものの、自身は九死に一生を得た。

戦後は琉球大教授として沖縄戦と戦後史研究の第一人者として活躍。90年の沖縄県知事選で初当選を果たし、2期務めた。98年の知事選で稲嶺恵一さんに敗れると、2001年の参院選に社民党から出馬。当選したものの、07年の参院選には出馬せず政界を引退した

知事在職中の1995年には、米兵による少女乱暴事件が発生。県民の反基地感情が激化する中、大田さんは橋本龍太郎首相(当時)に普天間基地の即時返還を要求した。政界引退後は、那覇市に沖縄国際平和研究所を開設し、理事長に就任。沖縄戦関連の写真などの資料を所蔵・公開し、沖縄戦を後世に伝えた。2017年にはノーベル平和賞の候補にノミネートされた

関連記事

2017年に亡くなった著名人