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コール元ドイツ首相が死去 "東西ドイツ統一の立役者"その激動の人生 メルケル首相を見出す

2017年06月16日 23時26分 JST | 更新 2017年06月18日 20時37分 JST

1990年の「東西ドイツ統一」を主導したヘルムート・コール元ドイツ首相が6月16日、死去した。87歳だった。

■東西ドイツ統一の立役者の人生とは? その激動の歩みを振り返る

コール氏は1930年、ドイツ西部ルートウィヒスハーフェン生まれ。フランクフルト大学とハイデルベルク大学で学び、哲学博士号を取得した。

17歳でキリスト教民主同盟(CDU)に入党。ラインラント・ファルツ州議会議員や同州首相などを経て、1973年にはCDU党首に就任。1982年には当時政権の座にあった社会民主党(SPD)と連立していた自由民主党(FPD)との連立工作に成功。SPDのシュミット政権を退陣に追い込み、西ドイツ首相に就任。FPDとの保守中道の連立政権を樹立し、16年間にわたる長期政権(1982〜98)を保った。

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CDUの集会で演説するコール氏(1976年)

■東西ドイツ統一を主導、ヨーロッパ統合の旗手に

首相就任後はかつての敵国フランスとの関係強化に努め、84年にはフランスのミッテラン大統領とともに、第一次世界大戦の激戦地ヴェルダン(フランス北東部)を訪問。2人はともに手をつないで戦没者を慰霊。ドイツ・フランスの友好関係の象徴となった。ミッテラン氏とは、ともに欧州単一通貨「ユーロ」の導入も推進。ヨーロッパ統合の旗手となった。

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ヴェルダンの追悼式典に参加したミッテラン氏(左)とコール氏

1989年の東欧革命の流れで「ベルリンの壁」崩壊が崩壊すると、コール氏はこれを東西ドイツ統一の機会と捉え、政治的イニシアチブを発揮。イギリスのサッチャー首相らがドイツの超大国化を懸念する中にあっても、東西統一を成し遂げた。

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ベルリンの壁崩壊

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サッチャー氏(左)とコール氏

■16年に及ぶ長期政権、メルケル氏を見出す しかし晩年は…

その後、統一後初の総選挙にも勝利。当時、連邦議会議員になったばかりだったアンゲラ・メルケル首相を女性・青年相として入閣させるなど、その才能を見出した。

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メルケル氏(左)とコール氏

一方で、経済的格差などから旧東ドイツ地域の再建に苦戦。98年の総選挙でシュレーダー氏が率いる社会民主党(SPD)に敗れ、退陣に追い込まれた。

1998年12月、ヨーロッパ統合の功績を称えられ、欧州連合(EU)から「ヨーロッパ名誉市民」の称号を贈られたが、99年に首相在任中の闇献金疑惑が発覚。疑惑はメルケル氏らが追及し、コール氏が出所不明の約210万マルク(約1億円)を受けとっていたことが明らかになった。検察はコール氏の捜査に着手したが、司法取引で捜査は終結。2001年7月には妻ハンネローレさんが病気を苦に自殺。政治生命は完全に断たれた。

■メルケル首相「私の人生を決定付けた」と追悼

ドイツ政府のステファン・ザイベルト報道官は16日、自身の公式Twitterで「偉大なるドイツと偉大なるヨーロッパにとって深い悲しみだ」と追悼した。


また、コール氏に見い出されたアンゲラ・メルケル首相もコメントを発表し、「コール氏は私の人生を決定付けました。彼に哀悼の意を捧げます」と追悼した。


■冷戦終結の立役者、ブッシュ氏とゴルバチョフ氏も追悼

コール氏と同時期に活躍し、冷戦終結の立役者となった各国の政治家からも哀悼のメッセージが寄せられた。

アメリカのジョージ・ブッシュ元大統領は、「冷戦を平和的に終結させ、北大西洋条約機構(NATO)の枠内でドイツ統一を実現するため、良き友と緊密に協力できたことは、私の人生で最高の喜びであり続ける」と表明した

また、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領は自身の財団を通じてコメントを発表した。

ゴルバチョフ氏は「あの困難な時期に、主要国は自国の利益を守ることに固執することもできたが、他国の利益も考慮し、互いの信頼に関わる疑いを克服できたのは大いなる幸運だった」と冷戦終結当時を偲んだ。その上で、「ドイツ、ヨーロッパ、そして世界の歴史に顕著な功績を刻む、卓越した人物だった」とコール氏の業績を称えた。

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「ベルリンの壁」崩壊20周年記念行事でゴルバチョフ元ソ連大統領(左)、ブッシュ元米大統領(中央)、コール元ドイツ首相。

【訂正】(2017/06/18 18:00)

当初の記事で「1982年の総選挙では社会民主党(SPD)のシュミット政権を倒し」としていましたが、同年に総選挙は実施されておらず、正しくは「1982年の建設的不信任決議」でシュミット政権は退陣に追い込まれました。

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2017年に亡くなった著名人


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