蓮舫氏「二重国籍」問題で記者会見へ 戸籍は公開せず「差別主義者に言われて公開は絶対あってはならない」

蓮舫氏は「戸籍謄本そのもの(を公開する)という風には言ってない」。
時事通信社

民進党の蓮舫代表は7月13日、定例会見で「二重国籍」問題について18日に記者会見で説明することを発表した。党幹部の発言として、蓮舫氏は戸籍を公開するとの情報が報じられていたが、「戸籍謄本そのもの(を公開する)という風には言っていない」とも話した。

蓮舫氏は記者会見で、戸籍の公開について「特に我が国において、戸籍は個人のプライバシーに属するものであり、積極的に、あるいは排外主義者・差別主義者の方たちに言われて公開することは、絶対にあってはならないと今なお思っています。前例にしてはいけないとも思っています」と話した。

しかし自身は「野党第一党の党首として、今特に安倍(晋三)首相に強く説明責任を求めている立場からして、極めてレアなケース」だとして、戸籍そのものではなく「すでに台湾の籍を有していないことが分かる部分をお伝えするのは、準備がある」と話した。

証拠を提示しての説明を求める声の一方で、戸籍を公開すれば「一般の人々にも悪影響が及ぶ」と有田芳生参院議員から懸念の声が挙がっていた。また、Twitter上では「#民進蓮舫氏は戸籍を公表しなくていい」のハッシュタグを付けて投稿する人が多くなり、一時「トレンド」入りするなど、一般の人々からも公開すべきではないという声があった。

戸籍そのものではなくとも、プライバシーに関わる情報を公開することについて、記者からは「民進党の綱領には、共生社会や多様性を重視するとある。公開するようでは看板に偽りありなのでは。安倍さん云々ではなく綱領に照らして変だなと思うのでは」との質問があった。

蓮舫氏の国籍問題、これまでの経緯

なお、蓮舫氏はこれまで、自身の国籍について以下のことを明らかにしている

・1967年に台湾籍の父(故人)と日本人の母の長女として、日本で生まれた。

・出生時点の日本では父親の国籍しか取得できなかったため台湾籍として日本で暮らした。

・日本と台湾が断交した1972年以降は中国籍の表記となった。

・日本の国籍法改正により1985年1月21日、17歳の時に日本国籍を取得した。

・同時期に父と台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)を訪れて台湾国籍放棄の手続きをしたと記憶し、過去にそう説明してきた。

・しかし、実は「代表処での父親の台湾語がわからなかったので、実際どういう作業が行われていたかわからなかった」と明らかにする(2016年9月6日の記者会見)

・指摘を受けて国籍について台湾側に問い合わせ、戸籍が「残っている」と2016年9月12日に返答があった。

・念のため、2016年9月6日に再度、国籍放棄の書類を提出した

・「二重国籍」状態になっていた台湾籍の離脱手続きが完了したと報告(2016年9月23日

・日本国籍を選択したことを証明する戸籍謄本を公開する考えは、「ない」と強調(2017年5月25日

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