日本人には、欧米の個人主義とは違う自立がある。精神科医・名越康文さんに聞く、"ひとりぼっち"の効能  #だからひとりが好き

「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略であり、すべての人が「ひとりぼっち」にならないといない。

(c)Kaori Sasagawa

「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略であり、すべての人が「ひとりぼっち」にならないといない。

精神科医の名越康文さんは、なぜそう考えるに至ったのか? ひとりの時間がもたらす目に見える効用と目に見えない力、マインドフルネスと「ひとり」時間の違いなどについて、最新の著書『SOLO TIME 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』」(夜間飛行)を上梓した名越さんに聞いた。

「ひとりぼっち」の時間は何をもたらしてくれる?

――「ひとりぼっち」の時間の効用に気づいたきっかけは?

10年くらい前に、あるテレビ番組のロケで、福岡の篠栗町というところで森林セラピーを体験したんですよ。森林セラピストというインストラクターさんと一緒に森に入るんだけど、基本はひとりの空間と時間を満喫するようにコーディネートされているんです。森の中を散歩したり、ヨガや呼吸をしたりして、2、3時間過ごすんですね。

そうしたら、その直後の自分の感覚がびっくりするくらいクリアになったんですよ。セラピーを終えて訪れた、小さな店で食べたうどんのおいしさも衝撃的だったし、視覚も聴覚もとてもクリアになったことを覚えています。それは社会から一時的に距離を置いて、自然というより大きな世界に一人で世界に入ってゆくことで、人間関係という「見えない檻」から出る事ができて、本来の生きる感覚が蘇ったとも言えると思うんです。

さらには、頭に引っかかっていた「これは問題だな」ということの解決法もピカッと浮かんでて、「いや、そもそも問題ですらなかったなぁ」と思えるようにもなった。

――「ひとり」になったことで、いつもとは違う思考や感情が生まれてきた。

「ひとりぼっち」になって再びこの世に戻ってくると、こんなにも恐ろしいほど頭や感覚がクリアになるのか、ということをそのとき実感したんです。そのなかでも一番衝撃的だったのが、「問題だと思っていたことが、そもそも問題ではないと思えるようになれた」こと。

実はこれ、精神科や心理学の"奥の院"なんですよ。問題の最も根本的な解決法とは、解決策が浮かぶことではなく、「これはそもそも問題ではない」と思えるようになること、なんです。ひとりの時間を持てると、そういう発想の転換も起きる。ひとりの時間は能力開発のエッセンスといってもいい。

「群れ」の中で生きる私たちは普段、いろいろな人の意見に振り回されて生きています。でもひとりになって心が落ち着くと、自分も周りも活かせるような考えが自然と降りてくる。それを実践できるようになることが、僕にとっての「自立」の定義です。

(c)kaori Sasagawa

――自分だけでなく、周りの人間にも目が届くようになる?

個人主義が土台にある欧米では、「私は、私は」と主張しなければ生きていけませんよね。主張しないことは、そこに居ないに等しいとされる。自分の意見を主張することはもちろん大切ですが、それを生き方の中心に置くことが正しいとは僕は思いません。

何にでもただ「反対、反対」と言ってみたり、揚げ足を取ってやり返してみたり、そういう闘う姿勢を「自立」だと勘違いしている人も少なからずおられるんじゃないかな。

そうではなく、まずは「ひとり」になって、自分自身の心の声を聞いてみる。その上で他人も自分も活かせる道も探る。欧米ほどに個人主義が強くない日本社会で生まれ育った人には、そういう形の自立のあり方のほうが向いていると僕は思います。

マインドフルネスはなぜ継続が困難なのか

――ここ数年、流行している「マインドフルネス」とも通じていそうですね。

同じに見えるかもしれませんが、実はかなり違います。マインドフルネスは禅の瞑想法を欧米でアレンジして、それを日本に逆輸入したものが主流なのではないでしょうか。「無」になる状態を目指すという点では、鎌倉仏教がベースともいえるんですね。

武家政権が始まった鎌倉時代は、「戦に行って死ぬことが良し」という価値観が根付いた時代です。そんな時代に何かに愛着を持ってしまうと、潔く死ねなくなってしまう。つまり「無」の境地になることが目指すべきところだった。

でもね、マインドフルネス的な瞑想で心を「無」にするってすごく難しいんですよ。心を無にして孤独な状態を保つことは、ものすごく我が強い人か、非凡な天才かでないと、なかなか続けられないと思う。さっきの自立の話と同じですよね。

(c)Kaori Sasagawa

――では、私たちが目指す「ひとりぼっち」のかたちとは?

僕が提案する「ひとりぼっち」は、対象に没入する心のあり方です。森を歩く、大きな木に抱きついて木と一体感を味わう、お月さまの光を浴びて光と溶けていく心持ちになる。そういう自然と同調する、一体になるひとりの時間は、全然寂しくない。むしろすごく明るくて気持ちのいいものだし、心が豊かに満たされるんです。

――自然に触れるだけでなく、本では「旅をする」「部屋を片付ける」「古典やSFに触れる」ということも、心を軽く、新鮮に保つための方法として提案されています。

「旅に出る」のは一番わかりやすいんですよね。できれば一人旅。旅は必要なものだけを持って出立するわけですから、必要でないものを捨てる予行演習とも言えるんです。部屋を片付けることも実は旅に似ていて、モノを手放すことで心が整理されるんです。古典やSFに触れることも、何十年何百年という長い時間軸を知ることで、今の「群れ」の縛りから自由になってみることが出来ます。

そういう日常の行為のひとつひとつを丁寧にすることが、頭の中のお掃除に必ずつながるんですね。それらを積み重ねていけば、最後はどんなところでも「ひとり」の心になれるし、自分の能力をどこまでも伸ばせるようになる。

「ひとりぼっち」は生存戦略である

――とはいえ、今の日本は「ぼっち」や「独身」に寛容な社会とは言えないのでは。

直接的には言わないけれど白い目で見る、みたいな無言のプレッシャーはありますよね。群れで生きる羊の葛藤についての話を前編でしましたけれど、僕の中にもやっぱり「羊」はいる。「自分は100%のヤギだ」「羊じゃない、狼だ」なんて言える勇気は僕にだって全然ない。

誰の中にも「羊」の部分は必ずある。でもその割合が大きくなりすぎると、自分の人生をまったく実感できないまま一生を終えてしまう。

――私たちは「群れ」なしでは生きられない。だからこそ「ひとり」を大切にすることが個人や社会にとって大切だと。

その通りです。そしてちゃんと一人になれる人だけが、他人に優しくなれる人なんです。つまり群れの中でもより自由にパフォーマンスできる。だから、群れの中にいるんだけど頭ひとつだけぴょこんと上に出してクリアにクールに生きよう、というのが自戒も含めて提示していきたい。

「ひとりぼっちはいいよ」「ひとりでも楽に生きられるよ」とかそういうことじゃないんです。「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略であり、すべての人が「ひとりぼっち」にならないといけない。

「ひとりぼっち」が好きな人が増えれば逆に、人と人とが協力しあえる温かい日本により一層なって行く。そう僕は信じています。

(取材・文 阿部花恵

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