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アントニオ猪木氏、議員らの訪朝団提案に「喜んでお迎えしましょう」と言われたと明かす(会見全文)

テーマ曲「炎のファイター」とともに登場、「元気ですかー。元気があればなんでもできる」

2017年09月13日 19時07分 JST | 更新 2017年09月13日 19時09分 JST
AFP/Getty Images
アントニオ猪木・参院議員=2017年9月13日

北朝鮮を訪問して9月11日に帰国した元プロレスラーのアントニオ猪木参院議員が13日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見を開いた。北朝鮮側に日本の議員訪朝団を提案したところ、「喜んでお迎えしましょう」と言われたことを明らかにした。

猪木氏は、自民党内の雰囲気について「今までは制裁ということが一辺倒であったのが、対話も必要だ」と空気が変わりつつあると語った。また、日本の議員団による訪朝を提案したところ、北朝鮮側からは「前向きに考えましょう。そしてその訪朝団に関しては受け入れるし、我々は了承しました」との回答を得たという。ただし、議員団の規模や時期などについては明示しなかった。

この日、自身のテーマ曲「炎のファイター」が流れる中、右拳を突き上げて入場した猪木氏。会見終了後も、テーマ曲に合わせて、会場を後にした。

●冒頭のスピーチと記者との質疑は次の通り。

元気ですかー。元気があればなんでもできる。

本当に、今大事なのは、健康に勝るものなしということで。私もだいぶ歳を重ねてきましたんで、腰も痛いし首も痛いし、体に受けた傷、手術、歳の数よりもはるかに多いというのが今の現状です。今回また、何回目でしょうかね、前回、確かあれは4年前でしょうかね、その前に、もしかしたらアリの試合の時も、ここに呼ばれたことがあったのかな。まあそういうわけで、今回またお呼びをいただきまして、ありがとうございます。

今回の訪問が32回目ということになります。最初に訪問したのが94年。北京に1泊しまして、空港へ向かう途中に金日成主席、逝去というニュースが流れて、空港で足止めになりました。で、今回はお迎えできませんということで諦めて帰ってきて、そのあと、2カ月後でしょうかね、招待状が来て、最初に北朝鮮を訪問しました。

今日は時間が短いんで、なぜ北朝鮮とのつながりがあるかということは、私の師匠、力道山がですね、北朝鮮の出身であった。日本に帰化してましたから、まあ、日本人でもあるわけですが、戦後最大のヒーローというか、日本の敗戦という廃墟から国民に立ち上がる勇気を与えてくれた。戦後の最大のヒーローだった師匠、力道山が、祖国に錦を飾れないという。南北が分断してしまって、そういうなかで師匠の思いを届けましょうというのが先ほど言った1994年ですね、最初に訪問したことから始まります。

そういうことで、毎年招待をいただき、またこちらから積極的に行ったこともありますので、本当に1日も早い平和ということを願い、きましたが、逆に時代を重ねるとともに緊張が高まり、一番最悪な核戦争まで起こりうるんではないかという、今、状況に来ております。

ご存じのとおり、毎日ニュース、トランプ大統領のニュース、また日本の首相、安倍総理、あるいはいろんな各分野からの話もありますが、一つには、どちらが先かは別にして、拳をあげた、そしたら北朝鮮が拳をそれより高くあげた、それより今度はアメリカが拳を高くあげた。そんな感じで、今、どちらが拳が高くあげられるかみたいな感じに私には受け取れます。

日本は唯一の被爆国として、広島、そして長崎ということで、本来はこの仲介役に立って、さっき言った拳を半分、少しでも下げるような、日本の独自の外交をやってもらいたいというのが私の思いです。

皆さん質問があるでしょうから、質問に入った方がいいと思いますんで、限られた時間で、なんでも結構です、聞いていただければ、率直にお答えをさせていただきます。一つは挨拶が長くなりますと、あいつは歳をとった証拠だと言われますんで。どうぞ、質問されてください。

Wataru Nakano

■自民党に北朝鮮と対話したい議員がいる

———これまでの訪朝で成し遂げたことは何だと思いますか。また、なぜいつも赤いマフラーを巻いているのですか。

まず、じゃあ最後のから。昔、プロレスラーだったので、リングにガウンを着ると下に赤いタオルを巻いていたんです。引退したあと、ファンから、やっぱり赤いタオルが似合いますからって、タオルを贈ってきたんですが、タオルじゃさすがに街歩けないんで、マフラーというのかストールというのか、国会でもこれ議論になりましたが、そういう形でやっております。

で、先ほど言われた今までの成果というか。人の流れを切らない、どんな状況であろうとドアを閉めないという私の基本的な考え方です。一つには、スポーツ文化交流は、誰も否定する人は少ないと思いますのでね、私の場合はスポーツ交流を通じて世界平和というのが、89年に政治の場に出たときのスローガンでした。お答えはそれでいいですかね。

———安倍首相は訪朝すべきだと考えますか。

先日、小泉元総理が行かれるということが新聞ニュースになりましたが、これは非常に壁が高いと思います、安倍総理には。平壌宣言があって、その後、制裁をかけられたという、そのへんの誤解というよりも流れがありますので、もっと違う方がもし行くチャンスがあれば、前段の交渉をされることが大事だと思いますね。

———訪朝しようと計画している議員はいるんでしょうか。また、北朝鮮で誰に会ったのかと、北朝鮮がどういう方向に向かっていると考えますか。

やっぱり政権与党という自民党の決定というのが、一番大きいわけですね。その中で空気が変わりつつある。今までは制裁ということが一辺倒であったのが、対話も必要だと。先日の朝日新聞にも、50何パーセントですかね、対話が大事だという、圧力がまだ40何パーセントという記事がありました。そういう中で、自民党の中にいろいろ対話をしたいという考え方を持つ人がいまして、そういう仲間が増えてきている。風が変わってきたと。

たぶん表と裏が政治はありますから、皆さんが願っていることは、戦争はとんでもない。同時にやはり、風が今、ちょっと変わりつつある。日本はみんなで渡れば怖くないという言葉がありますが、本当に一つの流れができると全部そっちへ目が向いてしまう。そういう反省から言えば、第二次大戦もしかりだと思います。そういう流れの中で、今違う風を、ちょっと方向を変えてみる。そういう空気が今、醸成されていると思います。

まあ一つには、「ぶれない」という言葉。先ほどどういうふうに英語で訳されますかと質問したんですけど、まあ、今日言ったこと、昨日言ったこと、今日は違う、今日言ったこと、明日には違う。そういうのが各国のリーダーが発言されていることを見ました。要するに人生は、プリンシプルという一つの背骨じゃありませんが、キュッとした基本的な考え方、生き方、これは今、戦後、本当に忘れ去られたわけではないと思いますが、それをしっかりと、人生はどうあるべきかという部分で、基本的なそういうものを持たなきゃいけない。政治の世界がまさにそれを示してもらいたいと思っています。

AFP/Getty Images

■議員らの訪朝団「喜んでお迎えしましょう」と言われた

———北朝鮮でお会いされた方々について、もう少し具体的にお聞きしたいです。

(写真を手に)この方が、党の副委員長、李洙墉(リ・スヨン)。外交の今トップであります。政治の仕組みというのが、労働党が一番上にありますんで、労働党の幹部そして政治という形になりますんで、この方が外交では全部、権限を持たれています。

この方が労働党常任委員会の委員長ですね、金永南(キム・ヨンナム)。必ずパーティの席上でですが、まあ、会談もしたこともありますが、非常に私のことをよく理解していただいたというよりは、この難しい時期によく来られましたね、まあいつも歓迎の意をいただき、にこやかな顔で出迎えてもらっています。

朴永植(パク・ヨンスク)、軍、なんだろうな、正式には。人民武力省というのがありますが、それの大将ですね。ほかにもいろんな方お会いしましたが、本当に膝を突き合わせて握手をして、その感じっていうのは、本当に友好的であるかどうかっていうのはわかりますね。だから、やあよく来ましたねっていうので終わるんじゃなくて、そこからまた話が始まるんで、大変時間が長くなってしまったりすることもあります。

———北朝鮮が、対話を受け入れるとことはあるでしょうか。

先ほどちょっと出ましたが、訪朝団という議員団の、ある方も代表団という提案をさせてもらいましたが、そこはまだちょっと時間的に。それで、議員団の訪朝団を迎えてくれますかという話をしたら、喜んでお迎えしましょうと。一つには、これはアジアというか、あるいは北朝鮮、韓国も含めての儒教の世界の精神であったり、そういう意味では必ず一つのお土産を持って、お土産って物じゃないんで、その、そういうお国のあれがあると思います。

最後に答礼の会をやったときに、ぜひぜひ提案されたことを前向きに考えましょう。そしてその訪朝団に関しては受け入れるし、我々は了承しましたと。

———元プロレスラーが議員として活動することはどういう意義があり、違いは何だと思いますか。

私はあの、かつて1976年ですね、モハメド・アリと試合をしたおかげで、世界中に私のアントニオという名前が知れました。そういう関係で、政治の場に出たときも非常に馴染みやすいというか。普通は国と国の関係であったり、外交は。その点は独自外交ということで、基本的にはスポーツ外交ということで、いろんな偉い方と会見することもありました。

最初にお会いしたのは、フィデル・カストロさんで、89年ですかね。そういう関係で、一つには先ほども言ったように、交流という、それはある意味では、今大事な部分は、議員外交も大事だと。当然、総理が行かれて話をする、これは最高のあれでしょうけれども。同時に、我々がバッジをはめさせている以上は、そういう二重外交という批判が出ますが、そうではなく国をちゃんと理解した上で、我々の立場という部分で、そういった外交は必要だと思っています。

———先ほど李洙墉さんとか金永南さんなど、お会いされた方々のお名前が出ましたけれども、議員が実際にそういった方々とお会いしてどういうお話があったのか。特に今回のミサイルというのは、アメリカにとっては、アメリカまで届くか届かないかの瀬戸際で非常にそれを深刻に考えているということはわかるのですが、日本はもともとミサイルのレンジの中に入っているわけです。今、日本と北朝鮮の間でどういうことが起きていて、日本の政府の反応や対応を北朝鮮側はどういうふうに見ているのか、評価しているのか。議員がお話した方々からの反応で、もしそういったものがあればお願い致します。

かつて私は、イラクの人質開放を1990年ですかね、その時にウダイ・フセイン、あるいはラマダン副首相、そういう方と会談をする時に、30分、40分ずっとストーリーを聞かなきゃいけないんですね。なぜここだと。そういう経験の上でですね、北朝鮮も同じように、最初はそういう話を30分黙って聞いてなきゃいけないんですけど。まあそういう、ある意味大事ではありますけど、こちらも勉強して行ってます。そういう中で、もうそういう話を抜きにして、本音の話をしましょうよということで、向こうの方たちとの会談をしております。

それでまあ、たまには、私の場合は、まず酒を飲んだ時に、ロシア外交をやった時に、ウォッカでロシア人をぶっ飛ばしたのは私だけだろうと、佐藤優君が書いてますけどね。そういう意味では、やはり政治家あるいは外交は体力も必要だよと、まあ、そういうことでですね。正確なお答えになったんですかね。

Wataru Nakano

■日本の不倫問題はどうお考えですか、女性の立場から

———今、厳しい状況であるというお話もありましたけど、これまでの訪朝と特別違ったところがあったかどうか。もしあったとすればそれはどんな行動だったり、猪木議員とお話されている内容でなにか感じられたことはありますか。

政治的には、先ほどプリンシプルという話で、言ってることはずっと毎回同じ形での話です。ただ一つ、やはりメディアの欲しがるいろんな写真。街並みが行くたびに変わっていると。今回、70階建てのビルも完成して、本当に街並みは。あるいは、そこにいる人たちのファッションもそうなんですね。私に同行してる人間がそのへんは詳しいのであれなんですけど、要するに2、3年前は日傘が多かったんです、いろんなきれいな。今年は乳母車がけっこう流行ってて、動物園にも案内されましたが、乳母車に乗ってるような場面。そのへんが政治的なつっぱり合いの話と同時に、国民感情がどういうふうに変わってきてるか。たぶん根底にはいろんな、これから経済という部分に目を向けてる人たちも増えています。

———もう一つすみません。先ほど自民党の中の空気も少し変わってきたというようなお話があったかと思うんですが。具体的にいうと、どのぐらいの方々が対話の方向に少し変わってきたかなというところと、もし訪朝団を組まれるとしたらどのぐらいの人数になるのかなというところはいかがでしょうか。もし対話というのは、日本政府は核兵器を保有することを認められないというスタンスではありますけど、そのあたり、対話に持っていく場合に、核兵器の保有を認めるかというのはどうでしょう。

私の場合はこういうキャラクターですから、別にどこから叩かれようがなにも問題はないんですが、例えば名前を出してしまうと、そういう政界の中でのいろいろあれがあると思うので、ちょっとそこは差し控えさせていただきたいと思います。逆にもう一つ、私が質問させていただきたいのが、日本の不倫問題はどうお考えですか、女性の立場から。

———李洙墉さんが「アメリカの核に守られた日本の脅威があるから」ということを言っていたのをテレビの報道で見ましたが、逆にそれに対して「いや、そうじゃない」と「あなたがそんなことをするからですね、日本も韓国も核武装だ、なんて議論が出てくるんだ」という、猪木さんからカウンターを出したとか、言った内容が聞ければですね、大変ありがたいんですが。

ただ相手の状況も見極めながら来訪をやっていかなければならない。決して北朝鮮に対する片棒を担ぐっていう、すぐそういう言い方をする人もあると思いますが、相手がなにを考えているかっていうことを聞くことも一番大事なんです。当然これからレベルの上がった話し合いになっていけば、そういう話は出てくると思います。

司会 レスラーと政治家として、レスリングから学ぶべきことというのは何かありますでしょうか。

先ほども申し上げたとおり、やはり信念というかぶれないというか。やはり我々はファンがいるので、そのファンに対して生き様というか、だから猪木が信頼できると。そういう、今のレスラーたちや、あるいは他のスポーツ選手も引退をして、またすぐにやり残したことがあるからとカムバックをしていく。でも、現役というのは最高の状態、それが持続できないから引退をする。それはそれぞれの生き方があるから否定はしませんけれども、そこが私が一番大事にしたいところだと思います。

今、若い政治家が多いですから、やはりこれからもっともっと色んな経験を積んで、命を賭けますと選挙中にかならず言うと思いますが、本当に命を賭けるということがどういうことかという、そういう国家国民のために命を賭けられるような心を持った政治家に、若い人たちが早く育ってほしい。我々はその背中を見てもらえればいいと思っています。

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アントニオ猪木vs.モハメド・アリ(1976年6月26日)