あの人のことば

LGBTだけが特別扱いなのか ニューヨークから見た“保毛尾田保毛男“騒動

乙武洋匡が、国際的人権NGOのLGBT担当者に聞いた

2017年11月09日 07時58分 JST | 更新 2017年11月10日 13時59分 JST
乙武洋匡

a28年ぶりに復活した"保毛尾田保毛男"を巡っては、一般人のみならず、様々な著名人も持論をぶった。

ウーマンラッシュアワー村本大輔さん、ナインティナイン岡村隆史さん、ミッツ・マングローブさん、そしてビートたけしさんなど。そのどれもが自身の専門領域における経験から発せられる言葉であったため、多くの人を納得させたり、また新たな葛藤を生んだりもした。

私にとっても、いくつか気になる言葉があった。国際人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のニューヨーク本部を訪れ、LGBT担当であるカイル・ナイト氏とともに、それらの言葉をもとに今回の騒動をあらためて振り返った。

前編》ニューヨークから見た"保毛尾田保毛男"騒動 誰の声が真実なのか

乙武洋匡

乙武:今回の放送については様々な人が意見を発しましたが、なかでもお笑い芸人の方々は敏感に反応していました。その多くは、「規制ばかりが多くなっていき、表現が難しい時代になる」という嘆き節でしたが、ある芸人の方の発言には考えさせられるものがありました。

ナイト:それは、どんなものだったのですか?

乙武:日本のバラエティ番組では、太っていたり、髪の毛が薄かったりという身体的特徴についてはよく笑いのネタにされるという現状があるのですが、それを前提とするなら、「LGBTだけはNG」とすることで、かえってLGBTだけが特別扱いとなり、人々の間に差別意識を生み出してしまうのではないかというものです。だから、自分はネタにしていくべきだと思う、と。

ナイト:なるほど、それは興味深い意見ですね。

乙武:ちなみに補足をしておくと、その方自身には差別意識がなく、「目の前にいる相手が、男が好きか、女が好きかなんて、俺にとっては肉が好きか、魚が好きかといった程度の問題でしかない」と公言しているような方なんです。

ナイト:太っている、禿げているといった身体的特徴とLGBTの間に線を引くべきか。これは非常に難しい問題ですね。もちろん、本来は線を引く必要などないんです。ただ、現実には、これは世界中そうですけど、どこに行っても線は存在するんです。法律の上で、どうしても線がある。

乙武:もう少し具体的に教えてください。

ナイト:たとえばパートナーと結婚したいと思っても、それが法律上できずにいる人々が多くいます。そういう制度に苦しんでいる人が多くいるんです。そこに、すでに明確な線が存在している。笑いのネタとして、そうした線引きはいらないと考えるならば、まずは法律の中に存在する、社会構造の中に存在する線をなくそうと努力していくことが必要だと思います。

乙武:将来的には同列に扱われることが望ましいが、いまは結婚制度など、明確な社会的不利益が大きい。笑いのネタとして扱えるようにするためにも、まずはそうした社会的不利益をなくしていくことが先決ということでしょうか?

乙武洋匡

ナイト:その通りです。現時点ですでにそこに線が存在している以上、同じように笑いにすることはできないんじゃないかと思います。まずは、そうした線をすべて乗り越えられるようにしていかないと。

乙武:その考えには私も賛同します。じつは、この件に関しては私もコラムを書いたのですが、就職に不利に働いたり、親に勘当されたりという社会的不利益が大きい現段階では、なかなか笑いの対象とするのは難しいのではないかということを書きました。

ナイト:ええ、本当にその通りですね。しかし、本来はそれらの間に線を引くべきではないという意味において、この方の意見にも賛同できるところがあります。

乙武:話を別に移します。今回の騒動については、すでにテレビタレントとして活躍しているLGBT当事者も意見を発しました。そのなかには、「自分は傷つかなかった。むしろ、そのキャラクターの存在を逆手にとって人気者になった」という経験談を披露した方もいました。そこに、私は少しの危うさを覚えたんです。

ナイト:どういうことですか?

乙武:マイノリティにも、いろいろな人がいる。強い人もいれば、弱い人もいる。周囲の環境に恵まれる人もいれば、恵まれない方もいる。もちろん、その方はご自身のことを「あくまで一例」とおっしゃっているのですが、周囲はそう受け取らず、「あの人だって気にせず笑っている。だから、おまえも気にするな」などと言い出す人が必ず出てくるんです。

ナイト:それは国際会議などに参加していても痛感するところです。私は以前、障害分野の担当をしていたのですが、国連などで働いているような障害者は、やっぱり世界のリーダーなんですね。その人たちが人権に関する法律など考えていくわけですが、そうした法律はエリートである彼らと違って、まだ障害を克服できていないような人たちのことも包括していかなければならないのです。それは障害だけでなく、貧困やLGBTなど、すべての分野において同じことが言えると思います。

乙武洋匡

乙武:非常によくわかります。私も22歳の時に本を出し、まるで障害者界のヒーローであるかのように扱われました。しかし、同時に障害当事者やそのご家族から思いもよらぬバッシングを浴びせられたんですね。「おまえは恵まれていただけだ」「おまえと同じようには頑張れない障害者も多くいることを自覚しろ」と。

ナイト:そうだったんですね。

乙武:当初こそ戸惑いましたけれど、言われてみればその通りだなと。「私はできた」と「みんなができる」は決してイコールではないし、そのことをもっと声を大にして伝えていかなければならないと思いました。

ナイト:そのことを、もっと私たち一人ひとりが自覚していかなければならないのですよね。その有名なゲイのタレントは乗り越えられたかもしれないけど、思春期のすべてのゲイの子どもたちが乗り越えられるわけではないということを。なかには、そうしたキャラクターが放送されることを窮屈に思う子がいるということを。

乙武:日本では、その方を含め「オネエ系」と言われるタレントが多く活躍しています。その方たちがみずからの境遇や振る舞い、言葉使いで笑いを取っている現状があるために、なぜ今回のキャラクターが批判を浴びるのか、理解ができないという意見も多くありました。

ナイト:当事者がやっているのを見て、「じゃあ、私もやっていいんだ」という認識になってしまうことについて理解はできます。

乙武:たとえば、私もTwitterなどで自分の障害をネタにしたジョークをつぶやいたりするのですが、必ず「あなたがそういうことを言うと、障害者は笑いの対象にしていいんだという風潮が生まれる」との批判を浴びます。

ナイト:自分のことで笑いを取るというのは、自分で管理をしているからいいと思うんです。身体的な状況をはじめとする自分のアイデンティティに関わる要素について、人生の中でどう向き合い、どう他者とコミュニケーションを図っていくのか。それは本人がコントロールすることであって、第三者が強制的に笑いにしていくべきものではありません。

乙武:自分でネタにするのはOKだけど、赤の他人がネタにするのはNG。コンプレックスにもなりうる身体的な特徴などをどう扱うかは、本人にのみ決める権限があるということですね。では、親しい関係にある仲間内でネタにするのはどうでしょう?

乙武洋匡

ナイト:よく知っている者同士で、おたがいが面白いと思っているならいいのではないでしょうか。ただ、その場合でも相手を傷つけていないかどうかは、つねに意識する必要があります。

乙武:当たり前のことですが、他者と自分は違う人間なので、「自分はこう感じるから、相手も同じように感じるはずだ」と過信することは本当に危険なことですよね。

ナイト:以前、私は子どもたちの自殺を防ぐ部署にいて、電話相談の窓口をしていました。ある年、それまで保守的と言われていた州が、全米で4番目か5番目に同性婚が認められることになったんです。これは画期的なことで、当事者にとっても喜ばしいことだと思っていたのですが、その夜、その州のLGBT当事者の子どもたちからSOSの電話が非常に多くかかってきたんです。

乙武:え、なぜですか? 彼らにとっても喜ばしいことだと思うのですが......。

ナイト:そのニュースを聞いた親や周囲の大人たちが、カミングアウトしていない子どもたちの前で、「同性婚を認めるなんて最悪だ」などと非常にネガティブな発言をしているのを聞き、とても傷ついたというんですね。

乙武:なるほど。まさに、どの立場にいるのかによって、その事象をどう感じるかは異なってくるという好例ですね。

ナイト:私自身も大いに驚かされるとともに、学ばされました。

乙武:日本では、いや、これはアメリカでも同じかもしれませんが、「多様性が大事」という総論には多くの人が賛同するものの、たとえば同性婚のような各論には多くの反対が起こったり、特定のマイノリティに対する差別的な行為が公然と行われたりする現状があります。

ナイト:たとえば、いまは若い人たちの間で出会い系アプリが流行っています。そのプロフィール欄に、「アジア人お断り」とか「太っている人はNG」などと書かれていたりすることがある。それは好みを絞っているだけだとも考えられるし、ヘイトの表出だと捉えることもできる。

乙武:アプリ内でパートナーを求める際に、特定の属性の人を排除するメッセージを書いてもいいのか。これは難しい問題ですね。

ナイト:これには賛否両論あるでしょう。しかし、アプリ内に限らず、こうした特定のマイノリティに対するヘイトは多くの場で語られています。それはあくまで個人の感情なのですが、しかし、それは心の中で思っていればいいことで、わざわざ表に出す必要がないことだという共通認識を社会の中でつくっていくことが重要だと思います。

乙武洋匡

乙武:特定のマイノリティに対するネガティブな感情。これ自体を消すことは難しいのでしょうか?

ナイト:私の親戚の子どもがまだ3歳なのですが、すでに5カ国語を習得しつつあるんです。

乙武:え、まだ3歳なのに......。どうやって?

ナイト:親や祖母、ベビーシッターやプレスクールなど、育てられている環境によって、それぞれ話されている言語が違うんですね。だから、その子は特別な努力をしたというわけではなく、自然に多くの言語を身につけていったんです。それと同じで、幼い頃から多くの価値観に触れ、この世界には様々な人種や障害がある人がいるのだということを知るようになれば、"違い"というものに対して驚いたり、ネガティブな感情を抱いたりしなくなるのではないかなと。

乙武:先日、街を歩いていたら、小さな男の子が「どうして手足がないの?」と聞いてきたんです。すると、すぐ後ろにいたお母さんがその子のもとにしゃがみ込み、「世の中にはいろんな違いを持った人が生まれてくるの。でも、大切なのはその人がHAPPYかどうかなのよ」と。素晴らしい教育だなあと。

ナイト:そうしたシンプルな回答が一番なんですよね。本来は社会の中に線引きなど必要ない。でも、残念ながら、私たちが生きる世界には線が存在しています。歴史的に残っています。私たちの仕事は、そうした線をなくしていくことですから、やはりその線について今後も話をしていかなければなりません。

乙武:それを「窮屈な世の中になる」と批判する人々は、線の"内側"にいるからこそ言えるのかもしれません。線の"外側"とされてしまっている人々の声を届けていくことが、やはり大切ですよね。今日はお忙しいなか、本当にありがとうございました。

ナイト:こちらこそありがとうございました。次回は東京でお会いしましょう。

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