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長崎原爆で止まった腕時計、ノーベル平和センターで展示へ

「人が手に触れて使っていたもので、どのように原爆の被害が及ぼされたのかが分かる」

2017年12月07日 11時10分 JST | 更新 21時間前

Asahi
永井隆博士の写真パネルの傍らに立つ孫の徳三郎さん。「永井隆記念館」の館長を務める=長崎市

長崎原爆で止まった腕時計、ノーベル平和センター展示へ

 長崎市で被爆し、針が原爆投下時刻の「11時2分」を指して止まったままの腕時計が、10日のノーベル平和賞授賞式にあわせて、ノルウェー・オスロのノーベル平和センターで11日から約1年間展示される。被爆しながら救護にあたった医師で「長崎の鐘」を書いた永井隆博士(1908~51)の弟、元(はじめ)さんが寄贈したものだ。

 「その人の背景やストーリーを感じさせる資料」

 11月、オスロでの展示に向けた打ち合わせのため来日した副センター長のリブ・アストリッド・スベルドラップさんはこう語った。市の担当者も「人が手に触れて使っていたもので、どのように原爆の被害が及ぼされたのかが分かる」と、見る人に原爆の残酷さを想像させる力を期待する。

 腕時計は、浦上天主堂からほど近い長崎市上野町の焼け跡から見つかった、との記録が残る。元さんは49年に長崎原爆資料館の前身の施設に寄贈したが、93年に死去。誰が使っていたかなどは分かっていない。

 長崎原爆戦災誌によると、腕時計が見つかった上野町は原爆で一瞬にして、がれきの丘となった。倒壊した家の下にもがき苦しむ人たちが残ったまま、直後に出火した炎は町を焼いていった。

 キリスト教徒が多いこの地域で、信徒だった永井博士は妻と子ども2人と暮らしていた。当日は爆心地から約700メートルの長崎医科大学の研究室で被爆。直後から救護にあたり、2日後に戻った自宅の焼け跡の台所で、ロザリオがついた妻の骨を拾った。

(朝日新聞デジタル 2017年12月07日 07時47分)
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