あの人のことば

「脳に魔物が住みついた」 名もなき病を乗り越えた先に、女性記者が見つけた“生きる意味”

「生きのびた私に、何ができる?」

2017年12月16日 12時48分 JST | 更新 2017年12月16日 19時59分 JST

ある日突然、自分が自分じゃなくなったら?

正気と狂気の間をさまよう恐ろしい病にかかったら?

何の前触れもなく、ほとんどの人が存在すら知らない病気にかかり、かろうじて生き延びた1人のアメリカ人女性記者がいる。死への恐怖、そして「私が私ではいられなくなるかもしれない」という絶望を経験した。それから8年。彼女は今、何を思うのだろうか。ハフポスト日本版が話を聞いた。

Marie Minami/HuffPost Japan

■悪魔に取り憑かれた?

ニューヨークポストの記者として働くスザンナ・キャハランさんは、24歳だった2009年2月のある日、存在しないトコジラミへの恐怖に苛まれる感覚を覚えた。高い金額を払って自宅にプロの清掃をいれたが、無意味だった。それは、スザンナさんを襲った大きすぎる病の予兆でしかなかったのだ。

その後、理由もなく仕事への意欲が薄れ、ミスが続いた。取材相手に対して、自分でも予測不能な異常な態度を取った。オフィスでいきなり感情が崩壊してボロボロ涙を流したかと思えば、幸福の絶頂のように振る舞い、上司や同僚を不安にさせたこともあった。吐き気に襲われたり、奇声をあげたりするなど、身体も、感情も、記憶も、アイデンティティそのものが制御不能になった。それも、何の前触れもなく突然。

病院で、色々な検査を受けたが、全ての結果が「異常なし」。明らかに病状は悪化し、家族や医師の焦りは募った。この"名前のない病"は何なのか。

"ドクターたちと一緒にたくさんの経験をしてきた母だが、このときばかりは、検査結果が陽性だったらいいと望んでいた。少なくとも、それなら答えを得られるからだ"(『脳に棲む魔物』p176)

KADOKAWA
映画「彼女が目覚めるその日まで」より

ようやく一筋の光がさしたのは4月のある日。病気を特定することができた。この時スザンナさんは、自分の名前を言うのすらままならない状況にまで衰弱し、ギリギリの状態だった。

スザンナさんを襲ったのは『抗NMDA受容体脳炎』。細菌やウイルスから身体を守るはずの抗体が、間違って自分の脳を攻撃してしまう病気だ。映画『エクソシスト』で描かれた、悪魔に取り憑かれた少女が、実はこの病気だったと今では言われている。長い間「精神病」や「悪魔憑き」として片付けられてきた症状が、2007年に急性脳炎の1つとして"発見"され、名前を与えられた、いわば新しい病だった。発症率は100万人に0.33人と言われている。

一度は絶望の淵に立たされたスザンナさんだが、両親や恋人のスティーヴンさんらの献身的なサポートで、治療とリハビリを乗り越え、約7カ月間の闘病生活を経て、職場であるニューヨークポストに復帰した。

「逆説的ではあるけれど、この病気のおかげで目的意識を持って生きることができるようになった。私の人生でそれまで欠けていた『生きる意味』を手に入れた」

スザンナさんはハフポスト日本版に、そう話した。

ジャーナリストであるスザンナさんの「生きる意味」。それは、自分がかかった病の存在を世に広げることで、これまで救えなかった人を救うこと。

Marie Minami/HuffPost Japan

「私は運が良かった」

「病気のことを、一人称で記事にしてみないか」上司の提案に、スザンナさんは「やります」と即答した。

最初に記事が掲載された直後、同じような免疫の病気にかかったと診断された人やその家族からの連絡が殺到した。

"結婚したばかりの妻が同じような疾患にかかってしまった男性から電話口で言われたこともある。「どうしてあなたは回復したんです?妻はまだ病気のままなのに。妻の方があなたより早く診断されたのに」"

(『脳に棲む魔物』p339より)

「あまりにも反響が大きくて、身が凍る思いでした。誰も耳を傾けてくれない中での痛みや苦難を抱えている人たちの話には、本当に圧倒されるばかりでした。それと同時に、私のやってることは正しかったんだという安堵感や、改めて謙虚な気持ちで伝えなければという思いを強く持ちました」

大きな反響を受けて「より本格的に取り組まなければ」と感じたスザンナさんは、自分の体験を本にまとめることにした。医師、家族、恋人などサポートしてくれた周囲の人たちに取材し、自分自身の体験を掘り起こして執筆した。また、自己免疫疾患の患者をサポートするNPOと協業し、病気の認知を広げたり、適切な治療を薦めたりすることにも力を入れはじめた。

そうしてできた本が、ノンフィクション『Brain on Fire(日本語翻訳版「脳に棲む魔物」KADOKAWA刊)』だ。本は世界中で大きな反響を呼び、映画化も決まった。『彼女が目覚めるその日まで』(クロエ・グレース・モレッツ主演)は12月16日に公開される。

Marie Minami/HuffPost Japan

「私と同じ病気の人たちが、誤診などによって正しく治療を受けられていないという現実には、怒りを覚えます。検査すらさせてもらえていない人もたくさんいます。知りさえすれば糸口はつかめるのに」

「私はたまたま、運が良かった。でも、運が良い悪いで分けられていいことではないんです。みんな公平に診察を受けられるべきだし、正しく診断されるべきだと思うんです」

生きのびたことの罪

本の中に『生きのびたことの罪』と題された章がある。

そこでは、スザンナさんが患った抗NMDA受容体自己免疫性脳炎を含む100種類以上の自己免疫疾患の患者のおよそ75%が女性であると綴られている。なぜ女性に多いのかは、謎のままだという。

「事実として女性がかかりやすい病気だということ、そしてそれはどんな病気であるかということを、ちゃんと知って欲しい。これまでこうした病気にかかった人の中には、女性だからといって"ヒステリー"と片付けられてしまった人がたくさんいたと思うんです。女性であるがゆえに軽んじられてきた人たちの声に、耳を傾けて、真剣に向き合わなきゃいけない。そう訴えかけたいです」

Marie Minami/HuffPost Japan

「これはジェンダーの問題でもある」と語るスザンナさん。今、世界では、ハリウッドの大物プロデューサーから受けたセクハラ被害の告白をきっかけとして、世界中の女性が自分たちのセクハラ・性暴力被害の体験を告発する「MeTooキャンペーン」が大きなムーブメントにもなっている。

「私の病気は、MeTooキャンペーンに比べたら本当にちっぽけなものですが、自分自身の辛い体験を共有することが社会を動かしうるという意味では同じなんだと思っています」

「こうした大きな反響を目の当たりにして、個人の物語がこれほど大きなインパクトをもたらし得るパワフルなものであるということを改めて認識しました。

ひとりのストーリーでも、それが他の人も感じているような痛みであれば、自分自身をさらけ出し物語っていくことで、大きなうねり、大きな変化を起こすことができる。パーソナルストーリーには、客観的事実や数字にはない力強さがあると感じています」

Marie Minami/HuffPost Japan

「新しいスザンナ」

スザンナさんは本の中で、病にかかる前の自分と後の自分を、「かつてのスザンナ」、「新しいスザンナ」と呼んでいる。

再発への不安はないですか?と尋ねると、当初はあったが今は大丈夫だと力強く語った。

「退院直後は不安もありました。ある時、手の感覚がなくなったことがあって。それが初期症状に似ていたので、一生、私はこれと付き合っていかなきゃいけないのかと暗澹たる気持ちになったんです。でも色々と検査をしてみたら、ただのパソコンのタイピングのしすぎでした(笑)」

「不安は徐々に薄れています。あれはあくまで過去に起きたことで、今の私の人生を脅かすものではない。こうして本にしたり、映画にしたりという風に(他人に)物語っていくことで、乗り越え、消化していったんだと思います。もしかしたら思い込みかもしれないけど、そうやって自分をコントロールしています。私はもう、大丈夫」

「新しいスザンナ」のインタビューを横で優しく見守ったのは、今は「恋人」から「夫」になったスティーヴンさん。

「私がこうやって復帰できたのは、彼がいたおかげです。病気の間も、回復してからも、いつも辛抱強くサポートしてくれていました」

「自分の辛い経験を人に語ることで、救えるはずの命をちゃんと救っていきたいという新しい私の夢を、きちんと支えて、理解を示してくれました。彼なしには今、私はここにいることができていません」

Marie Minami/HuffPost Japan
夫のスティーブンさんとスザンナさん

スザンナさんをモデルにした映画「彼女が目覚めるその日まで」は12月16日(土)から全国公開。

■スザンナ・キャハランさんプロフィール

高校3年生で「ニューヨーク・ポスト紙」のインターンシップで働き、ワシントン大学卒業後、同紙に入社、雑用係を経て、報道記者に。スキャンダルから犯罪まで幅広い分野をカバーして記事を書く。2009年、24歳のときに原因不明の神経疾患にかかる。復帰後その闘病記「記憶から抜け落ちた謎と錯乱の一ヶ月」を書いて話題となり、シルリアン優秀賞を受賞。この記事をベースにして『Brain on Fire(日本語翻訳版「脳に棲む魔物」KADOKAWA刊)』執筆、たちまちベストセラーとなる。現在は、ニュージャージーに在住。ポスト紙で主に書籍関連の記事を担当している。