カンボジア:一人ひとりの障がいに合った車いすを届けるために

6名のカンボジア人スタッフが、障がい者に車いすを届けるために、日々懸命に働いています。

AAR Japan[難民を助ける会]は、1994年に車いす工房をカンボジアの首都プノンペンに設立、2006年に当工房が現地NGO(Association for Aid and Relief, Wheelchair for Development/以下AAR,WCD)として独立した後も、財政面・運営面などで支援を継続しています。AAR,WCDは、カンボジア国内の数少ない車いす工房の一つとして、カンボジアでも入手可能な資材を使い、車いすの製造・配付を行っています。2016年4月から2017年3月の一年間には、平均すると一月に約45台の車いすや手漕ぎ三輪車、杖などを製造しました。現在は、カンボジア国内のリハビリセンターおよび障がい者を支援するNGOや企業への販売に加え、毎月10台無料で配付しています。

AAR,WCDは、一人ひとりの障がいの状態に合った車いすを製造するために事前調査を行い、配付の際には家族に簡単なリハビリと介護の指導も行っています。障がい者の権利や就労に関する情報提供、配付後のフォローアップなど、包括的できめ細やかな支援を通して、障がい者の社会参加を後押ししています。工房では、6名のカンボジア人スタッフが、障がい者に車いすを届けるために、日々懸命に働いています。彼らの声をお届けします。

この秋から新しくディレクターに

今年の10月からディレクターとなったソパノさんは、小さいときに患ったポリオの影響で、両足と右手に麻痺が残りました。高校でバイクの乗り方を学ぶまでは、家族や友人が毎日の通学を支えてくれました。両親の理解もあり、大学にも進み、卒業後は奨学金を得て義肢装具士を育成するNGOで3年間学びました。

その後は、義肢装具士として、同NGOが運営するリハビリテーションセンターに4年間、次いでスリランカ事務所に1年間勤務しました。帰国後は、再び同センターに戻りましたが、結婚して地元のプノンペン近郊に戻る必要があったため退職せざるを得ませんでした。しかし、障がい者に関わる仕事がしたいとの思いから、2013年にAAR,WCDの新たなメンバーとなりました。

AAR Japan[難民を助ける会]

車いすの状況を確認するソパノさん(2017年5月30日)

AAR,WCDでは、これまでアシスタント・ディレクターとして、書類作成や外部機関との折衝のほか、車いす製造前の事前調査や配付・フォローアップ活動にも積極的に取り組んできました。特に、実際に障がい者と接する活動は、彼らが抱える困難や、車いすなどの適切な活用方法を確認できる大切な機会だと話してくれました。10月から新しくディレクターとなり、現在は自身のマネージメント能力の向上に力を入れているほか、行政や他NGOとの信頼関係維持や新たな団体との関係構築にも取り組み、障がい者の就労の場としてもその意義が高いAAR, WCDの活動を、今後は自分が引っ張っていくと力強く語ってくれました。

AAR Japan[難民を助ける会]

車いすの利用者にインタビューするソパノさん(右)。左はカンボジア事務所の園田知子(2017年2月22日)

日本で学んだ溶接技術

製造チームの中で、勤務歴最長のサルーンさんは、1986年から1989年まで兵士として行っていた警備活動中に地雷を踏み、右足の膝上から先を失いました。左目も失い、現在は義眼を入れています。その後地元のプノンペンに戻ったサルーンさんは、木材で家具や家を作る仕事をしていましたが、片足にかかる負担が大きく続けることができませんでした。そんなとき、AARが職業訓練校を設立したことを聞き、設立初年の1993年に入学しました。車いすの製造について1年間学び、1994年にAARが設立した車いす工房の最初のスタッフの一人となりました。

AAR Japan[難民を助ける会]

工房でスタッフに指導するサルーンさん(右)(2017年5月30日)

1995年には、大分県で開かれた研修に同僚とともに参加し、溶接技術を含め、車いすの製造や修理方法を学ぶとともに、事前調査やフォローアップ活動などのフィールドワークの方法も学びました。その後、これまで20年以上、AAR, WCDの工房スタッフの要として働いてきました。自身が障がい者であるサルーンさんは、遠方でサービスを受けにくい障がい者や、貧困に苦しむ障がい者を支援することができるAAR, WCDの活動に大きなやりがいを感じています。

車いすや補装具があることで、活動範囲が広がり、その人が自信をもって生活していけるようになるからです。また、今後のAAR, WCDの存続には、専門家からの研修を受け、製造技術を更新することが、何よりも重要だと感じています。現在56歳のサルーンさんは、自身の年齢も考え、若いスタッフに技術を教え始めていますが、「体が動くまで、そしてAAR, WCDが必要としてくれる限りは、いつまでも働き続けたい」と笑顔で話してくれました。

「工房で働けることが何よりもうれしい」

AAR Japan[難民を助ける会]

手際よく車いすのシートを作成するピンさん(2017年9月26日)

最後は、製造スタッフチームの紅一点、ピンさんです。生まれつき、左足が内反足であるピンさんは、サルーンさんと同じく、AARが設立した職業訓練校で裁縫技術を学びました。地元のプレイベン州にいたころは、障がい者への差別もあり、就ける職がなかったと言います。

もともと裁縫が得意だったピンさんは、職業訓練校の先生からもAAR, WCDでの就職を勧められました。男性スタッフが製造した車いすの骨格に、ピンさんが縫った背もたれや座席カバーをセットして完成です。注文が重なると休みを返上して働かなければならないこともありますが、「休みがないのは気にならない。工房で働けることが何よりも嬉しいから」と、仕事への熱い思いを語ってくれました。

AARは、今後も、一人でも多くの障がい者が車いすや補装具などを受け取り、社会に参加していけるよう、AAR, WCDの支援を継続していきます。皆さまの温かなご支援、どうぞよろしくお願い申し上げます。

【報告者】

AAR Japan[難民を助ける会]

カンボジア事務所 向井 郷美

2013年11月より東京事務局で主にカンボジア事業を担当し2015年3月よりカンボジア駐在。日本の中学校や中国の高校で教師として働く中で、教育を受けたくても受けられない子どもの問題に関心を持ち、大学院で国際協力について学ぶ。「支援を必要とする子どもたちと支援してくださる日本の方々の気持ちをつなげたい」。青森県出身

注目記事