ハイチ:被災者や障がい者を7年に亘り支援―活動を終了しました

2010年1月12日、カリブ海にあるハイチ共和国をマグニチュード7.0の大地震が襲いました。

AAR Japan[難民を助ける会]は、2010年から7年に亘り実施してきたハイチでの活動を、2017年1月をもってすべて終了しました。

2010年1月、ハイチがマグニチュード7.0の大地震により甚大な被害を受けたことから、AARは緊急支援チームを派遣。

首都ポルトープランスに事務所を設置し、被災者に食料などの配付を行ったほか、障がい者施設や児童養護施設などの再建、衛生活動、インクルーシブ教育の推進などを実施してきました。

震災から7年が経った2016年4月に事務所を閉鎖し、その後は現地団体を通じてインクルーシブ教育を推進していました。2016年10月にハリケーン「マシュー」により大きな被害が発生したことから、再び緊急支援チームを派遣し、被災者支援を実施。

2017年1月、インクルーシブ教育推進事業およびハリケーンマシュー被災者支援が完了したことから、ハイチでの活動は終了となりました。これまで皆さまからいただいたご支援により実施してまいりました活動の成果をご報告します。

1.巨大地震による被災者への支援(2010年1月~2010年6月)

2010年1月12日(現地時間)、カリブ海にあるハイチ共和国をマグニチュード7.0の大地震が襲いました。

ハイチは震災前より西半球の最貧国といわれており、人口が密集する首都を直撃したことや、地震の規模、国内の政情不安などによる脆弱な社会基盤が相まって甚大な被害となりました。

AARはこの状況を受け、1月25日、東京事務局職員4名からなる 緊急支援チームを現地に派遣し、2010年4月までに緊急支援パッケージ、防水シートなどをのべ13,400世帯(約67,000名)に配布しました。

食料や生活用品からなる緊急支援パッケージと防水シートは、ともに隣国のドミニカ共和国で調達し、陸路でハイチに輸送しました。

パッケージにはハイチで親しまれている米、豆、パスタ、ビスケット、食用油、魚缶、ソーセージ缶、飴、水、ロングライフ・ミルク、ロングライフ・フルーツジュースのほか、バケツ、石けん、タオル、洗濯粉、女性用ナプキン、スポンジ、ロウソク、マッチ、トイレットペーパーなどの日用品が含まれています。

これらを、ポルトープランス市内と郊外の避難所や障がい児施設で暮らす、支援が十分に届いていない方々に届けました。また、学校3校および養護施設18ヵ所に学用品を届けたほか、養護施設では食料が不足していたため米などを支援しました。

「待ち望んだ水と食料でした」被災者の女性へ食料と生活必需品のセットを渡す難民を助ける会の五十嵐豪(右)(2010年2月4日)

2.支援の届きにくい障がい者や子どもたちへ(2010年7月~2013年1月)

この大地震では建物の倒壊が多かったことやけが人の救助が遅れたことから、身体的な障がいを負う被災者が多くいました。AARが支援した聖ビンセント校は、被災前は障がい児や障がい者を支援するポルトープランス市最大の教育・医療施設でした。

被災後は防水シートを張ったテントの下で授業を行っていましたが、豪雨の影響によりテントが倒壊するなど、しばしば授業が中断されていました。また、病院が倒壊し、医療サービスの提供もままならない状況でした。

AARは、仮設クリニックと仮設校舎を建設し、クリニックには医薬品や医療機器の整備を行い、ハイチでは数少ない義肢装具工房を併設しました。

医療アクセスが限られている地域では、小規模な養護施設を対象に巡回診療を行いました。2ヵ月間で37ヵ所のべ8,484人の児童を診察しました。

そのほか、障がい者施設3ヵ所、児童養護施9ヵ所、教育施設2ヵ所の再建や、これらの施設の運営に携わる人材を育成し、71,231名が安心で安全な環境の生活に戻れるように支援を実施しました。

AARが建設した聖ビンセント校仮設クリニック(2012年1月12日)

3.コレラの恐怖と衛生活動(2010年10月~2015年2月)

震災から半年後の2010年10月、ハイチ北部のアルティボニット県で最初のコレラ感染が確認されました。その後感染は拡大してハイチ全土での死者は9,000人にのぼり、2016年のハリケーンの後も感染が拡大していると言われています。

ポルトープランス市や郊外にある児童養護施設の多くは衛生状態が悪く、AARはこれらの施設を巡回し、コレラ感染対策を行うことにしました。

はじめに、ハイチ共和国保健省などが発行するパンフレットを用いて、コレラの感染経路や予防対策を施設職員に説明するとともに、石けんや浄水剤、コレラを発症した場合に脱水症状を和らげる経口補水塩を配付し、子どもたちに対して石けんを使った手洗い講座を開催しました。

その後、特に抵抗力が弱い子どもたちを感染から守るために、首都ポルトープランス市の小学校において、トイレや手洗い設備などの衛生設備の整備と、衛生教育の推進を行いました。

小学校8校にトイレを建設し、手洗い用の雨水貯水タンクを設置したほか、教師が子どもたちに対して分かりやすく効果的な衛生教育を行えるように、衛生教育の教え方について講習会を実施しました。

子どもたちが主体となって衛生活動を促進するため衛生クラブの組織を支援した結果、子どもたち同士が衛生知識を伝え合ったり 、校内の清掃をする姿が見られるようになりました。

トイレのすぐ近くに設置した手洗い場で石けんで手洗いする子ども(2014年5月29日)

4.障がい児も教育をうけられるように(2015年3月~2017年1月)

ハイチでは、障がい児の初等教育就学率は約2%(ハイチ教育省特別教育社会的支援委員会)と推測されており、多くの障がい児が学校に通うことができていませんでした。

AARは、首都ポルトープランス市カルフール地区で、2015年3月から障がい児のためのインクルーシブ教育(障がいの有無、人種や言語の違いなどにかかわらず、すべての子どもたちがそれぞれの能力やニーズに合わせて受けられる教育)を推進しました。

その結果、調査を実施したカルフール地区で新たに48名の障がい児が居住していることが分かり、すでに分かっていた94名に加え、計142名の情報を集約したリストを作成することができました。

また、教員および事務職員を含む学校関係者35名に障がい児教育研修を実施し、3,287名に啓発活動を実施したほか、保護者会を設立して地域で障がい児を見守ることができるように基盤を整えました。

その結果、新たに3名の障がい児が通学を開始しました。今後さらに人数が増えることが期待できます。

支援対象校のひとつ、リシェルシュ・デュ・サボワール校(以下、リシェルシュ校)に通い始めた軽度の知的障がいのあるマーヴェンスくん(7歳、下写真中央)は、当初はクラスメートに暴力をふるったり、授業中に集中できず教室内を歩き回ったりしていました。

しかし、半年もするとそのような行動はなくなり、友だちがたくさんできました。

マーヴェンスくんのお母さんは「リシェルシュ校に通うようになってから、学校の先生や近所の人にきちんと挨拶できるようになり、算数やフランス語も少しずつできるようになってきました。以前には考えられなかったマーヴェンスの変化にとても驚いています」と嬉しそうに語ってくれました。

マーヴェンスくん(中央)のお母さん(右)は、マーヴェンスくんの変化に喜んでいます。左はAARの池上亜沙子(2016年8月5日)

5.ハリケーン被災者への支援(2016年10月~2016年11月)

2016年10月4日ハイチに大型ハリケーン「マシュー」が上陸し、10月17日時点で死者546名、負傷者438名という甚大な被害が出ました(国際連合人道問題調整事務所)。

AARは緊急支援チームを派遣し、被害の大きかったグランダンス県と南県で、障がい者のいる家庭1,000世帯に食料や衛生用品などの支援物資を配付しました。

また、5つの障がい者団体に松葉杖や補助具などを配付したほか、小学校3校に教材を200セットずつ届けました。

支援物資を受け取り握手を求める男性。左はAARの加藤亜季子(2016年11月13日)

2017年1月には、被災者支援およびインクルーシブ教育推進事業に関わる業務は全て完了し、これをもってハイチでの活動は全て終わることとなりました。

2010年の震災前より貧困国であったハイチでは、現在でも日々の生活がままならない方が大勢います。衛生状態や教育状況も決して良いとは言えず、災害にも脆弱です。

政情や治安が不安定であるため、事業継続は困難であったことから、2017年1月にハイチでの活動を終了せざるをえませんでしたが、AARは今後もハイチの動向を注視し、ハイチが大きな課題に直面したり、災害などが万一発生した場合には、すぐに支援をすることができるよう準備をしてまいります。

改めまして、これまでのご支援に心より御礼申し上げます。引き続き、AARの活動への深いご理解と、温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

【報告者】記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 加藤 亜季子

英国の大学院で社会開発を学び、政府系研究機関、在外公館勤務を経て2010年AARへ。東北事務所長を経て、現在は東京事務局でザンビア事業や東日本大震災復興支援などを担当。東京都出身

注目記事