熊本地震から1年~震災の教訓を活かす支援

熊本地震が起きてから1年が経過しようとしています。

熊本地震が起きてから1年が経過しようとしています。益城町、西原村では2度の震度7を観測する地震が発生し、南阿蘇村では大規模な土砂崩れにより阿蘇大橋が崩落しました。以降、昨年11月30日までに4,165回の有感地震を記録、犠牲者は震災関連死の方150名を含め、205名にのぼりました(熊本県危機管理防災課発表、3月3日速報値)。また、最も多いときで避難者は18万人を超え、避難所は855ヵ所に達しました。

AAR Japan[難民を助ける会]は発災直後から、炊き出しや生活必需品の配付などを行い、現在に至るまで障がい者福祉作業所や仮設住宅などへの支援を実施しています。

「村に欠かせない存在」を再建

今回の地震では、障がいのある方やご高齢の方など特別な配慮が必要な人のために設置された福祉避難所で物資や人材が不足したり、仮設住宅が車いすの方も利用できるように設計されていなかったりと、災害時は特に障がい者や高齢者が困難な状態に置かれやすいということが改めて認識されました。このため、AARは障がい者支援に重点を置き、地域の中心となり復興の担い手として活躍する現地の障がい者団体を支えることにしました。

地震で約6割の家が全半壊した西原村。役場のすぐ近くにあるNPO法人「にしはらたんぽぽハウス」は、障がいのある方々が通い、農産物の加工や弁当、お菓子の製造・販売をする村唯一の福祉作業所です。日中は食堂として地域の人で賑わい、また経済的に困窮する方が身を寄せて、作業の手伝いをしながら食事をともにするなど、村の中心的な存在、村には欠かせない存在となっていました。地震発生後も、ハウスに通っていた障がい者や職員の避難場所となり、地域への物資配付や炊き出しの拠点となりました。

しかし一方でたんぽぽハウスは、地震により柱や壁がずれ、何より裏手の斜面が崩れるなどの被害があり、半壊の判定を受けていました。建物の前を車が走るたびに大きく揺れるような危険な状態になっていたのです。ほかに行き場のない人たちのためにも、壊れかけの施設で何とか活動を続けていましたが、ハウスの建物の所有権は村にあり、修理を完了するには2年ほど時間を要する見込みでした。一日も早く安全な場所を確保する必要があり、さらに近隣に大規模な仮設住宅が建設されたことによって弁当や食堂の需要の増加が見込まれたため、震災前より充実した、より多くの利用者を受け入れることが可能な施設としての再建が望まれていました。

AARはそんなたんぽぽハウスの新たな作業所の建設支援を決定。建設するにあたっては、ハウスの利用者や職員の意向、そして地域の状況調査も含め、どのような施設が必要とされているのかを意識しながら、打ち合わせを重ねました。また、災害発生時などの緊急時には、利用者をはじめとした方々が一時的に避難できるような施設とすることを目指しました。

今年2月28日に建物の建設が完了し、新しい作業所は「ふわり」と名付けられました。「被災したときは本当に将来が見えず、どうしようかと思い悩んだ」という理事長の福永一之さんは、新しい建物を前に「AARをはじめ、さまざまなご支援をいただきこうして復活することができた」と笑顔を見せました。そして「今回の地震もそうだが、私だっていつ支援される側になるかわからない。今後も障がい者をはじめ、高齢者や子ども、貧困層などさまざまな方の力になれればと考えています」と話してくださいました。

施設長の上村加代子さんも「あっという間の一年だったが、新しい施設ができて、やることが山ほどできる。もっとがんばらないと」と抱負を語ってくださいました。4月から約10名が新しい作業所で仕事に携わる予定ですが、より多くの地域の障がい者を受け入れ、その拠り所となるべく活動を開始しています。

「いつなくなるかわからない」不安を和らげる

南阿蘇村沢津野地区は、隣接する黒川地区の東海大学のキャンパスにつながる阿蘇大橋が崩落し、主要な道路が被災したのをはじめ、村内各所の水源・水道管や農業用水路などのインフラが大きな被害を受けました。地区には44世帯が暮らしていましたが、うち約8割の方が被災し、仮設住宅に入居しました。多くの方は、現在も仮設住宅から修復中の自宅に通い、農作業を行うという生活をされています。しかし、被災してから昨年12月までの間、自宅がある区域では上水道が使用できない状況にありました。

このため、住民の方々は地区の公民館に支援物資として不定期に搬入される飲料水を利用していました。生活において何より必要な水が満足に確保できないことは、住民にとって経済的に大きな負担であることに加え、水がいつなくなるかわからない不安も日々抱えていました。こうした状況のなか、沢津野地区長の野口則秋さんが住民からニーズを聞き取り調整に動くなど全面的に協力してくださり、AARは支援を必要としていた35世帯(約100名)に飲料水の支援を行いました。

現在はすでに水道管の仮設工事は完了し、自宅での飲料水の確保はできています。しかし、本格的な復旧工事はこれから数ヵ月にわたり続くとのことです。また、被災した道路もなかなか工事が進まない状況が続いており、まだ復旧の目途がまったく立っていない区域も残されています。動脈ともいえる阿蘇大橋の復旧も今年の夏以降になり、観光が主な産業の一つである南阿蘇村にとって大きな問題として横たわっています。AARは今後も、現地の状況を見ながら、必要に応じてできる限りの支援を行っていきたいと考えています。

地震発生直後から現地の状況に対応しながら支援を行ってきましたが、継続的にご支援くださっている皆さま、緊急の募金の呼びかけに答えてくださった皆さまのお蔭で、被災前の状態に戻す復旧作業だけにとどまらず、被災の教訓から従来の脆弱性を克服するための大規模な支援を実施できました。改めまして心より御礼を申し上げます。

2017年度は益城町を中心に、特に支援の届きにくい在宅の障がい者のために活動する団体を支え、また仮設住宅をはじめとする被災地域でのコミュニティづくりの支援を行っていく予定です。

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