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3度目の宇宙へ。野口聡一さんが宇宙空間で体験した「死の世界」と「生きている地球」

「哲学的な意味で命の存在を強烈に感じた」

2017年11月25日 13時21分 JST | 更新 2017年11月25日 13時21分 JST

Abema TIMES

今月9日、JAXAの宇宙飛行士・野口聡一さんが2019年末から約半年間、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在することになった。これが3回目の宇宙飛行で、日本人としては最年長54歳での挑戦となる。

■独学で英語をマスターした少年時代

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1965年、神奈川県横浜市に生まれた野口さん。

幼少期はごく普通の少年だったというが、1961年に「地球は青かった」で知られるソ連のガガーリン少佐が人類初の有人宇宙飛行に成功、1969年にはアメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸を果たした時代。

テレビのSF人形劇「サンダーバード」に憧れ、「将来の夢」という作文には「ぼくはロケットのそうじゅうしになりたい。わけは宇宙のいろいろのことがわかるから」と書いていた。

野口少年が本格的に宇宙飛行士を志す原点となったのは、12歳の頃に移り住んだ神奈川県茅ヶ崎市でのボーイスカウト経験だという。

好奇心旺盛で冒険好きだったという野口少年は自然の中での活動を通じ、仲間達との協調性を学んでいった。

自著『宇宙少年』(講談社刊)でも、「こうして冒険旅行に情熱を燃やすうちにミッションを遂行する喜びを知り、野山でテント生活するのも苦でなくなりました。

いま思うと、この経験は宇宙飛行士になってからも生かされています。

宇宙飛行士は冬山や水上でのサバイバル訓練をよく行うのですが、僕はこの手の訓練はいまでも大得意です」と綴っている。

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独学で英語もマスターした。当時を知る友人たちは、「賢いというイメージはあった」「英検をとっていた。高校2年かなんかで2級を取ったんじゃなかったかな」「『英語喋れるんだ』と後で聞いたら、好きで勉強していたと。

FEN(在日米軍向けラジオ放送)を聞きながら勉強していたと」と証言する。

控えめだが「やることはしっかりやる」タイプだった野口さんは、高校1年生の時にはボーイスカウト9人で「日本海の海水を太平洋に流す」という突拍子もない計画を立て、トラックで新潟まで行き、そこから自転車で茅ヶ崎市まで約300キロを横断しようとした。

この時の仲間の一人は、「下見に行かないといけないとか、事前準備などについてすごく積極的だったのが野口さんだった。途中で買い出しをしながら多い時で1日に100kmくらい走った」と振り返る。

■エンジン開発者から、倍率572倍の超難関を突破、候補生に

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その頃、野口さんの人生に大きな影響を与える出来事が起きた。

NASAのスペースシャトル・コロンビア号が2人の宇宙飛行士を乗せ初飛行し、無事に帰還したのだ。「自分もスペースシャトルに乗れたらいいな。仕事として宇宙に行くことができればいいな」と思った。

1985年、宇宙航空研究に強いとされた東京大学工学部航空学科に入学、卒業してからは「技術者になれば宇宙に行けるかもしれない」と、民間企業で超音速旅客機のエンジン開発などに従事していた。

そして1996年当時の宇宙開発事業団「NASDA」が募集する宇宙飛行士の選抜試験に臨み、倍率572倍の超難関を突破し、31歳で合格した。

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野口さんは試験について後に「非常に優秀な方が集まった試験で、本当に最後の最後まで誰が残るのかなということで分からなかったし、ともかくここまで来られてラッキーだと思っている」と述懐。

「日頃、物を扱っている、物を作っているエンジニアであるということと、後はボーイスカウト活動などを通してチームワークだとか、集団生活の中での適合力を身につけている。その2点を大きく評価してもらったのではないかと思っている」と自己分析している。

NASAの「宇宙飛行士養成クラス」に入った野口さんはシャトルの操作やジェット機の飛行訓練などを続け、2年後の1998年にはNASAの搭乗運用技術者として認定され、ついに正式な宇宙飛行士になった。

それでもすぐに宇宙に行けるわけではなかった。

44人もいる同期はの中から選抜された者だけが宇宙に行ける制度だった。正式にスペースシャトルの搭乗員に選ばれるまでには、さらに3年を要した。

■宇宙飛行士選抜試験に合格してから9年後に宇宙へ

宇宙に滞在するための訓練は、想像を超える過酷さだとされている。

「フロリダ沖の海底に沈められた基地にスキューバで降りていき、1、2週間生活する。地上と全く隔離した世界で極限環境に身体を慣らしていく。

通常我々がスポーツでやるスキューバダイビングではすっと上がってこられるが、ある程度深くなると"飽和潜水"といって、身体の中の窒素の量を調節する。

そうすると潜水病になってしまうので、何かあってもすぐには上がってこられない。その意味で、宇宙ステーションでの緊急処理に似ている」。

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さらに地底での訓練も待っている。洞窟で集団生活を行うのだ。「イタリアの鍾乳洞を使う。地下に山あり谷ありがあるというようなところに食料を持ち込んで生活する月面基地で地下に基地を作るとか、火星でも表面は空気がないので地下に何か大きな基地をつくるといった場合に環境が似ている」。

そして2001年、2年後に行われる国際宇宙ステーションの組立ミッションのメンバーに任命された。船外活動の主担当としてミッションを完璧にこなせるよう、野口さんは2年間で何千回もの訓練を繰り返した。

しかし、初飛行を1か月後に控えた2003年2月、最悪の事態が起こる。スペースシャトル・コロンビア号が大気圏に再突入する際に空中分解し、7人の宇宙飛行士が犠牲になったのだ。

コロンビア号の事故により、すべての計画が白紙に戻され、野口さんの初フライトも中止になった。

「私も宇宙飛行士になった時、言葉では『命を懸けて』と言っていたが、実際に仲間を失うまではこの仕事の厳しさが分からなかった。

その上で、遺されたご家族の気持ちも含めて、自分たちがその後を継いでいかないとこの先人間の宇宙への道は止まってしまうということで、宇宙飛行士の仲間と2年半かけてスペースシャトルを安全にして復活するんだという気持ちで一生懸命耐えた。

それを乗り越えられたおかげで、2回目、3回目がある」。

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スペースシャトル計画が再開し、野口さんが初フライトを果たすのはコロンビア号事故から2年5か月後の2005年7月26日となった。多くの人が見守る中、野口さんを乗せたスペースシャトル・ディスカバリー号が無事発射された。

日本で宇宙飛行士選抜試験に合格してから、実に9年もの歳月が流れていた。

コロンビア号事故の教訓を踏まえ、3回の船外活動のリーダーとして事故原因だった耐熱タイルの補修が軌道上で可能なのかを検証したり、ISSの姿勢制御装置の交換などを行ったりするため、日本人として初めて船外活動に挑戦した。

2010年、野口さんは日本人として初の船長補佐(レフトシーター)としてソユーズ操縦の補佐を務め、ISSに約5カ月半の長期滞在をしながら作業を行った。

後に山崎直子さんがISSに合流、作業を協力して行ったこともある。2回目のミッションを終えた後は、少年時代を過ごした神奈川県茅ヶ崎市で凱旋パレードにも参加した。

■「死の世界」と「生きている地球」

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スペースシャトルの外に出る時の感覚について、野口さんは「死の世界」という言葉を使って説明する。

「外の世界に出る前に、二重のドアに入って圧力を段々下げて外に出る。その時に、死の世界に近づいているなという感覚があった。ドアを開けた時、足元400km下が地球という怖さもあるが、空気がどんどん抜けていく真空の世界に、肌感覚で死後の世界にどんどん近づいているなという感覚を今でも覚えている」。

ただ、宇宙空間に行くこと自体に「怖い」という感情はなかったという。

「訓練してきたことの発表会みたいな感じ。『宇宙怖くないですか』と聞かれると『あれ、なにが怖いんだっけ』となる。宇宙空間に行くと水を得た魚のようになる」。

気になる"地球外生命体"の存在について、「この広い広い宇宙には間違いなく宇宙人がいると思っている派だ。逆にこの広い宇宙の中で、地球にしか命がないと思う方が不自然。

ただ、例えば六本木ヒルズのUFOが飛んでいたとかいうのは全然信じない。

なぜかというと、銀河系の中を見ても太陽系があるのは本当に端っこの端っこ。もし、銀河系を超えるようなすごい科学力を持つ宇宙人がいるとして、わざわざ銀河系の隅っこの太陽系の3番目の惑星の、しかも六本木ヒルズの上に飛ばすか?と。

我々は宇宙の中のたった4%しか見ていない、残りの96%は我々の目に見えていないという学説もある。そういう意味では宇宙人がいても、そもそも見られないのではという気がする」と話す野口さん。

それでも、もし宇宙人に遭遇した場合は「偉い人に報告する前に写真を撮ってTwitterにあげる」と宣言した。

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野口さんが3度目の宇宙に赴くのは2019年末だ。今度のミッションは、宇宙空間での生活が人体に与える影響を調査するためのデータを採取することだ。

宇宙からみた地球について野口さんに尋ねると、「私は相変わらずつまらないことで怒るし、いさかいもあるので人間的には全然成長していない。

ただ、宇宙で地球を見た時の美しさは強烈なものがあった。美しさと一言で言ってしまうが、何かというとリアリティが違う。

写真で見る地球もきれいだし、最近は4Kテレビもあるので映像的にもきれい。しかし、特に船外活動でドアを開けたとき、『死の世界』を挟んでめちゃくちゃリアルで"生きている地球"があるという感覚は、哲学的な意味で命の存在を強烈に感じた。

自分は生きていて、でもその外に完全な死の世界があって、でも目の前にある星には僕が知っている全ての人と僕が知っていた過去全ての歴史が詰まっている。"生き物としての地球"という感覚は、やはり宇宙に行った一番の贈り物」と教えてくれた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

『AbemaPrime』は月~金、21時から放送中!

(2017年11月24日「Abema TIMES」より転載)